岡田裕介インタビュー「写真家としてのこれまでとこれから」

この記事は約6分で読めます。

第2回:水中という世界に出会う

いぬたく

前回のお話では、もともと本や文章が好きで、カメラマンを志す最初のきっかけは高校時代に見た盧溝橋での悲痛な写真だった、と。

岡田

戦場写真は好きで、憧れてたんですけど、自分がやろうという気にはならなかったんですね。今になって思えばただのファンだったんだな、って。

いぬたく

ドキュメンタリーなものを仕事として作品にするのはちょっと違ったんですね。

岡田

そうなんですね。独立した直後はファッション系の雑誌などで撮影をしていたのですが、その他に、僕がそういうドキュメンタリーが好きだって知ってるライターさんと組んで仕事をしてたんです。

いぬたく

ライターさんが文章を書いて、現場の写真を岡田さんが撮るっていう。

岡田

はい。ただ、その仕事も僕が持って行った企画ではなくて、ライターさんから言ってもらった仕事で。そのライターさんからは「岡田くん、企画出してよ。何を撮りたいの?いつも僕の企画ばっかりで何か撮りたいものないの?」って言われてたんですね。実際、カメラマンという職業に就きたいとは思ってたんですが、何を撮りたいか全然定まっていなくって。意欲的なことも全然できなくて。

岡田裕介インタビュー

いぬたく

それは何歳くらいのときですか?

岡田

24、25歳くらいかな、23歳で独り立ちしてすぐですね。その頃は僕の師匠がいた事務所に所属してたんですけど、カメラマンが僕の他にはその師匠だけだったので、営業しなくても仕事がもらえる、すごくラッキーなカメラマン人生のスタートだったんですよ。その事務所にはライターさんも編集者さんもいて、僕みたいなぺーぺーでも仕事がいただけて。

いぬたく

環境としては恵まれてますよね。

岡田

はい。でも悶々として、これでいいのかなと思ってる時に、水中と出会ったんです。たまたま旅行で行ったパラオで。

いぬたく

おお。

岡田

パラオっていう場所も知らなくて。たまたま誘われて行って初めてパラオを知って、そこで体験ダイビングをして、水中に目覚めたというか。「あぁ、これすごい楽しいな!この世界があったか!」みたいな。
それで徐々に、こっちを仕事にできたらいいなと思いながらダイビングを始めたんです。Cカード取るところから始まって、コンパクトカメラ持って入って、それから一眼になって。その頃に写真を見ていた方が、越智さん、鍵井さん、古見さん、竹沢うるまさん、細田健太郎さんでした。

カスリヘビギンポの捕食(撮影地:フィリピン セブ島 リロアン)

いぬたく

そうだったんですね。以前にやっていたファッション系やドキュメンタリー的な写真と、その後に出会った水中写真、岡田さんにとってのそれらの違いというか、水中写真に惹かれた理由は何だったんでしょう?

岡田

自分にとってのワクワクドキドキ感が違ったんですね。僕は人物や商品の撮影にはそれを持つ事が出来なかった。例えばファッション写真を本気でやってる人って、ファッションが好きで「このブランドのこの襟ってすごいよね」とか言いながら愛情を持って撮影しますよね。それがなかったら良い写真は撮れないと思うんです。でも僕はそこまで興味湧かなくて、これはもうしょうがないじゃないですか(笑)。

いぬたく

ええ、しょうがないですね(笑)。

岡田

ただ水中で写真撮ってる瞬間はすごく楽しくて、ワクワクドキドキするんです。初めてギンガメアジの群れを見た時も、「えぇ~!」ってアドレナリン出まくって。アドレナリンが出るか出ないか、それはもう言葉じゃなくて。自分が単に好きなんだなと思って。

ウミガメのシルエット(撮影:岡田裕介)

いぬたく

いろんな写真を撮られてきたと思うんですけど、その中でも水中がもう半端なかったと。

岡田

そうなんですよ。もう水中でやっていきたい、って強く思って。1か月くらいフィリピンに行ったりして。26、27歳くらいだったので、水中としてはちょっと遅いじゃないですか。有名な方々は若い頃からガイドやっていたりするので。それでラストチャンスと思って、アホみたいに潜って。水中写真にはダイビングスキルも必要だし、とにかくやりこまなきゃダメだなって思ったんです。体育会系の血が騒ぐじゃないですか(笑)。1日6本とか。

いぬたく

そこで体育会系の血が活きたんですね(笑)。

岡田

そうそう(笑)。とりあえず体力だけはあったんで。そうしていたら、減圧症になっちゃって。減圧症になったことってあんまり公言しない方がいいんですかね…。

いぬたく

写真家の方だと、それと隣り合わせでもありますよね。

岡田

後遺症はないんですけれど、減圧症って診断されて、チャンバーに入って半年くらい潜らないでいたんですよね。僕としては、今さら水中以外の道は考えられないから「どうしよう…」って思って。そう悩んでいた時に、機材のことでお世話になっていたアンサーの野本さんと話していたら、動物カメラマンの福田幸広がいらっしゃって。「岡田くんさぁ、水中ダメだったら陸は?」みたいな。「そんな自然に興味があるなら、水中だけにこだわらないで減圧症の期間だけでも一度やってみたらいいじゃん」って言われて。

いぬたく

ああ、そうなんですね。

マクロレンズで撮ったスカシテンジクダイの群れ(撮影:岡田裕介)

岡田

「日本でも猿とか撮れるところあるから、今度一緒に連れて行ってあげるよ」って言ってもらって、福田さんに地獄谷に連れてってもらったんですよ。

いぬたく

はい。

岡田

そこでもまた大興奮してしまって。そっか、自分は水中だけじゃなくて動物とか自然全部好きなんだって思ったんです。もともと、動物は好きだったんですよ。富士サファリパークとか行くと、一人で大興奮してるタイプだったんで。あ、そうだった、って。一週間、朝から晩までずっと同じ場所にいても飽きることなくて、「あ、これってどうやら好きってことだよな」って思ったんですね。

いぬたく

最初は水中で、次に陸上の動物写真にも出会ったんですね。

岡田

はい。それから福田さんに北海道や海外の撮影に同行させてもらって、色々なことを教わりました。とにかく優しい方でそれが写真にも現れていて、僕もこんな写真家になりたいなって。今でも子供宛に毎年クリスマスカードや写真集を送って頂いています。

いぬたく

いい方ですねえ。

岡田

福田さんの優しさ、写真、撮影スタイルに感動して感化されて。そこから水中だけじゃなくて陸もやってみようと思ったんですよね。

いぬたく

なるほど。岡田さんの写真史がだいぶ分かってきました。

写真家・岡田裕介インタビュー

岡田

自分の意志で動くっていうよりも、ふらふら歩いてたらみんなが導いてくれたみたいな感じで今に至ってるんですね。カメラマンって強い意志があって覚悟を決める方が多い中で。僕はふらふらしてたらいつの間にか導いてもらえたなぁっていうのが今でもあって。

いぬたく

水中も陸上も、最初は自分でも気づいていなかったものに今は巡り会えたという状態なんですね。

岡田

そうですね。

岡田裕介インタビュー「写真家としてのこれまでとこれから」

FOLLOW