中村卓哉 “写真絵本”発売記念インタビュー

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水中カメラマン・中村卓哉さんが2011年3月に「わすれたくない海のこと 辺野古・大浦湾の山・川・海」を出されます。
“写真絵本”とも言うべきこの本は、沖縄の辺野古・大浦湾を陸上からも水中からも見つめると同時に、山と川と海のつながりを子どもにも分かりやすく伝えようとしているものです。

スキューバダイビング.jpでは、その発売を記念して、中村卓哉さんにインタビューをさせてもらいました。
父親であると同時に偉大な師でもある中村征夫さんとの関わりから、水中カメラマンという職業に就くまで、そしてこの本に対する思いを、長く語っていただきました。

全10回にわたるインタビュー、どうぞお楽しみください!
(取材日:2011年2月10日 聞き手:いぬたく 撮影:編集部)

第1回:父・中村征夫に連れて行かれた初ダイビング

いぬたく

今日はよろしくお願いします。

中村

よろしくお願いします。

いぬたく

まずは時系列順に中村卓哉さんの歩みを振り返ってみたいと思うのですが…。

中村

はい。

いぬたく

小さい頃は病弱だったということをうかがっているんですけれども、初めてのダイビングは海に無理やり入れられたみたいな感じだったとか?

中村

はい、最初のきっかけと言うのは、10歳の時に親父(水中写真家・中村征夫)が沖縄ロケの仕事があって、そこに家族旅行で一緒について来いという感じで。場所は慶良間諸島。
自分は喘息の発作を持っていたんですよ。それで水泳だとかスポーツをやったことがなくて、体育の授業もサボってるような少年だったので。遠足に行っても、山の土埃でぜぇぜぇ、ひゅーひゅー言うような感じで。

いぬたく

それほど体が弱い男の子だったんですね。

水中写真家・中村卓哉インタビュー

中村

ダイビングなんて考えられなかったですね。
それが沖縄の宿に着くと、子ども用のウエットスーツが用意されてまして、親父が「これを着ろ」という感じで。初めはシュノーケルでもやるのかなぁという感じでいたんですが、「ダイビングボートに乗るぞ」って。着替えて船に乗ると、いきなり出港してしまって。 「えぇ!?」ですよね。
そうしたら見たことのないようなダイビング器材が置いてあるわけです。まさか自分がやるとは思ってないんですけど、ごっつい大人に周りを囲まれまして、「ちょっとこれ着てみろ」って。もう着せ替え人形のような状態ですね。それで、あれよあれよという間にウエイトベルトと、その時はBCジャケットがなかったんでハーネスのついたタンクを背負って、「船のへりに座れ」って。そのまんま、ドーンですよ(笑)

いぬたく

急ですね(笑)潜る前に何か教えてもらったりはしたんですか?

中村

一応潜る前に、「レギュレーター、これだけくわえていろ」って。「これを吸ってれば死ぬことはない」と。
あとは耳抜きですよね。「最初は水圧で耳が痛くなるから」って言われるんですけど、自分の中では、ダイビングの言葉も異次元の世界で。「耳抜きってなに?」みたいな。

いぬたく

どうしたらいいのか分からないですよね。

中村

うん、どうしたらいいか分かんない。「とりあえず鼻をつまんでフーン!」って、そういう感じしか教わってないですからね。もうほんとパニックですよね。

いぬたく

海に入ってもパニックで?

中村

最初は水面から船のアンカーロープにしがみついて。駄々こねれば上がれるっていう状態だったんですね(笑) 「もういやだ、いやだ!」って、半ベソで。「もう上がるー」って。
そうしたら、親父と、その時船を出していただいていた大方洋二さん(水中写真家)は、違うところを見てるだけなんですよ。船にラダーもかけてない。

いぬたく

厳しいですねえ。

中村

ええ。なので、そのまんまとりあえずロープづたいに耳抜きしながら、耳抜きって言っても分かってないんで、とりあえずフーン!ってやりながら。 徐々に水深を下げていって、3mくらいですかね、耳にキーンときまして。「痛い!」って水面に上がって。「いやもう1回行け」って言われて、何度も何度もそれにチャレンジしてっていう。マスクは涙で曇ってくるし、もう死ぬかと思いました(笑)

水中写真家・中村卓哉インタビュー

いぬたく

今でこそ笑って思い出されてますが(笑)、それはけっこうひどい記憶だったんですね、最初のダイビングは。

中村

普通だったらトラウマに残るような経験ですよね。10歳の子供の時なんで。
ただ、親父の方も根気強くて。ただの放任主義とかスパルタではないんです。僕ができるまで時間をかけて。1時間くらいでしょうか、ちゃんと感覚が掴めるまで待っててくれたんで。「自分の呼吸で入れるときに入れ」と。ですから、だんだんやってるうちに耳も「おっ、これかな?」って抜けて。
余裕が出てきて顔を見上げると、水面の太陽がキラキラキラーっと光っていて。周りでは目の青い魚がぐわーって泳いでいて、スズメダイが群れてて、「なんて綺麗なんだろう、おとうの写真と一緒だ!」って。めちゃくちゃ感動しました。

いぬたく

卓哉少年が見ていたお父さんの水中写真の風景と、そこで初めて合致したんですね。それが初めてのダイビングだったわけですか。

中村

はい。水中では親父が「ロープを離してみろ」と、手を貸してくれまして。こっちは中性浮力がとれないから、赤ちゃんのハイハイのような感じで。それが慣れたころに、手を離されたんですよ。

いぬたく

それはビックリしますよね。

中村

「えっ!?」って。もうその手が頼りだったんですよ。「この手を離されたら、俺は死ぬかもしれない」っていう。それが急にポンと離されて、親父は先にどんどん泳いでいっちゃうんですよね。一人ぼっちで残されて。まあ見える範囲ですけど、「ここまでちょっと泳いでみろ」と。フィンキックをしてみるんですけど、ドーンと下について、ゴロゴローンとタンクが転げちゃって、起き上がれなかったですね。親父はそれを見て、笑ってるだけなんですけどね。

いぬたく

はい。

中村

「これじゃもうやばい」と思って、時間をかけて自分で起き上がって、また親父のところまで行って手を掴むんですがまた離されて。それを何度も繰り返していくうちに、徐々に泳げるようになって。ほんとに初めての体験ダイビングですけど、気がついたら普通に泳げてたという。

いぬたく

子どもならではの吸収力なんでしょうかね。

中村

そうですかねえ。
ダイビングが終わって船に上がると、初めてのことなんで体は疲れてるし波酔いはしてるしで、グッタリしてる時に、親父が一言、「お前すごいぞ、学校行って自慢してこい。もっと自信を持って胸張って生きていけ」みたいなことを言われたんですよ。
そこで初めて、達成感が生まれたんです。

いぬたく

それは大きな一言ですね。

中村

それが夏休みの出来事だったんですが、夏休みが明けて、みんなに自慢しました。水中写真もその時に一応素潜りで撮っていたんですね。へったくそな写真なんですけど、クマノミの写真を、友達に見せて「すげぇだろ」って。一気に、今まで学校を登校拒否するような児童がちょっと人気者になっちゃったんです。なんでしょうねえ、なんか「できるじゃん」みたいな(笑)
それがきっかけですね、自分に自信がついたっていう。

いぬたく

それは劇的な体験ですね。

中村

はい。そうだったんです。

中村卓哉 “写真絵本”発売記念インタビュー

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