「東北の海のためにダイバーができること」三陸ボランティアダイバーズ特集

この記事は約3分で読めます。

2011年3月11日の震災の直後から被災地の海で活動を続けている「三陸ボランティアダイバーズ」。
その活動の軌跡を追った特集です。

(取材・構成:いぬたく、写真:楠哲也ほか)

第1回:スマトラ島沖地震の経験

2004年12月26日。タイ、カオラックにて

「なんじゃこりゃあ!」 沖合いの海から戻ったダイバーたちは目を疑った。
そこにあるはずの町がなくなっていた。

スマトラ島沖地震。

タイの西部にある町・カオラックは津波に町ごと飲みこまれ、タイ国内で最大級の被災地となった。
ガイドインストラクターの佐藤寛志は、カオラックに支店を構えるダイビングショップ・ビッグブルーに所属していた。
しかし津波によってカオラックの町がなくなり、ショップごと存続の危機に立たされることとなる。

現地・タイから復興を目指す

幸いなことに、ビッグブルーの支店(建物)は残っていた。ただ、カオラックの町がなくなっている。他のダイビングショップは店を畳むところも出てきた。
「ビッグブルーも店を畳まなければいけないのか…」
スタッフたちの脳裏にはそんな考えがよぎった。

だが、ビッグブルーのオーナー・大村健はカオラックで復興を目指すことを選んだ。
ここで自分たちが店を畳んでしまったら、お世話になったタイとカオラックに何もできないまま終わってしまう。ここから復興を目指さなければ、意味がない。
そう決断してからの行動は早かった。
ビッグブルーのスタッフの一人、東京で学生をしていた早乙女祐基が中心となり、日本で募金を募った。ビッグブルーの常連客だけでなく、一般の日本人からも多くの寄付金が集まり、それをタイに送った。
現地のビッグブルーのスタッフは、その資金をもとに現地の家を再建する活動、珊瑚の植え付け作業などを行い、津波の爪痕を少しずつ埋めていった。

とはいえ、カオラックに前と同じように客足が戻るのはまだそれからだいぶ先、約3年後のこととなる。

・・・・・

2011年3月11日。カオラックから岩手県へ

佐藤寛志は、海上でダイビングスポットを転々と移動するクルーズ船に乗っていた。

その頃、ビッグブルーのスタッフはかろうじて映るNHKの映像で、未曾有の震災が起きたことを知った。
「くまちゃん(佐藤寛志の愛称)の地元が!早くくまちゃんに伝えないと!」
佐藤寛志の実家は、岩手県・花巻市。佐藤は毎年夏にはタイから地元に戻り、現地でリアスというダイビングサービスを営んでいたのだ。

タイの港でクルーズ船から降りた佐藤は、スタッフから飛行機のチケットを渡され、「とにかく急げ、すぐ日本に帰れ!」と言われた。
佐藤寛志は、事情もよく飲み込めぬまま、地元・岩手へと向かった。

スマトラ島沖地震から7年後の出来事だった。

「東北の海のためにダイバーができること」三陸ボランティアダイバーズ特集

FOLLOW