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Photo,Text Junji Takasago, Takaji Ochi, Takuya Nakamura, Sachi Murai, Ayano Suzuki
Text Wakana Uematsu, Suika Tsumita
Edit Tatsuya Nakamura, Suika Tsumita

Introduction

「それでも海を信じたい。」

東日本大震災に関する第一回目のWEBマガジンのタイトルが、それであった。

毎年3月11日が近づくと、あの日の津波の様子がテレビや新聞で飛び交う。
それを見て、私たちは地球という場所に生かされており、
自然にはとうてい太刀打ちできないのだと思い知る。

しかし人間の心というのは不思議なもので、
自然と遊ぶダイビングにおいて、
2011年のダイビングCカード取得数は、前年に比べての減少率はわずか8%。
インストラクターになった人やスキルアップをした人の数としては、前年比を上回っていた。

当時、余震に備え住むことが禁止されている地域にも関わらず、
元々住んでいた土地から離れられずにいた人たちも見てきた。
そんな住民の行動を見ていると、津波で被害にあった地域にも関わらず、
大きな防潮堤を作ることには賛否両論あったことも理解できる。
そして、2012年の夏には、
仙台の沿岸部のコンビニで浮き輪やビーチボールが売られていたのを目にした時は、
それでも多くの人にとって、海は格別なものなのだと再認識させられた。

十年一昔。それぞれが時の流れを実感しているだろう。
この10年の間、定期的に三陸へ向かい海に潜り、
その時々の様子を記録してきた5名の写真家たちがいる。
彼らが見てきた東北の10年間の中から
「海辺」「水中」「人」のテーマで、印象的だった瞬間を時系列で紹介していきたい。

海辺

東日本大震災で発生した未曾有の大津波。
福島県相馬市では9.3m 以上、岩手県大船渡市で8.0m以上、
宮城県石巻市鮎川 浜で7.6m以上などが観測されたほか、
宮城県女川おながわ漁港では14.8mの津波痕跡も。
震災後の光景は決して忘れられるものではない。
しかしその反面、自然は私たちの心を豊かにしてくれる美しさや、
豊かな海の幸も変わらず与えてくれている。

海辺

東日本大震災で発生した未曾有の大津波。
福島県相馬市では9.3m 以上、岩手県大船渡市で8.0m以上、
宮城県石巻市鮎川 浜で7.6m以上などが観測されたほか、
宮城県女川おながわ漁港では14.8mの津波痕跡も。
震災後の光景は決して忘れられるものではない。
しかしその反面、自然は私たちの心を豊かにしてくれる美しさや、
豊かな海の幸も変わらず与えてくれている。

津波に飲み込まれた生まれ故郷

津波に飲み込まれた生まれ故郷

震災の後、解体や後片付けのため何度か実家を訪れた時の一枚。僕の生まれ故郷の海。津波に飲み込まれ、ほとんどの家が流された。遊んだり、泳いだり、部活でランニングしたりと、生活の一部だった海辺が、一瞬で失われてしまい、激しい喪失感に襲われた。

2011年12月@宮城県石巻市渡波わたのは 高砂淳二

津波に飲み込まれた生まれ故郷

震災の後、解体や後片付けのため何度か実家を訪れた時の一枚。僕の生まれ故郷の海。津波に飲み込まれ、ほとんどの家が流された。遊んだり、泳いだり、部活でランニングしたりと、生活の一部だった海辺が、一瞬で失われてしまい、激しい喪失感に襲われた。

2011年12月@宮城県石巻市渡波わたのは 高砂淳二

震災後、初の養殖ワカメを収穫

震災後、初の養殖ワカメを収穫

震災時に養殖用の機材も津波で流されて、収穫できなかった養殖ワカメ。1年を棒に振ったが、次の年には、写真のように見事に成長したワカメが収穫されて、感動を呼んだ。それまでと違うのは、収穫する船にボランティアの姿が見られるようになったこと。漁師とボランティアメンバーが、力を合わせて活動する風景が日常になってきたことは、震災をとおして生まれた新しい絆の一つでもあった。

2012年3月@岩手県大船渡市三陸町越喜来おきらい 越智隆治

震災後、初の養殖ワカメを収穫

震災時に養殖用の機材も津波で流されて、収穫できなかった養殖ワカメ。1年を棒に振ったが、次の年には、写真のように見事に成長したワカメが収穫されて、感動を呼んだ。それまでと違うのは、収穫する船にボランティアの姿が見られるようになったこと。漁師とボランティアメンバーが、力を合わせて活動する風景が日常になってきたことは、震災をとおして生まれた新しい絆の一つでもあった。

2012年3月@岩手県大船渡市三陸町越喜来おきらい 越智隆治

子どもたちの願いに応え海水浴場をオープンするため の海岸清掃活動

子どもたちの願いに応え海水浴場をオープンするため の海岸清掃活動

もともと宮城では有名な海水浴場だった長須賀ビーチ。ここでもう一度泳ぎたいという子どもたちの願いを、「TSUNAGARI」の勝又さんたちが叶えるために皆でビーチの清掃を行った。この時は、東北に桜を送る活動をしている「心に花を*フォトプロジェクト」として一緒に海岸清掃に参加。その後、子どもたちが嬉しそうに海で遊んでいる姿を見て、「この子たちがこの場所の未来を作っていくんだ」と改めて思った。

2013年7月@宮城県南三陸町歌津うだつ 長須賀海水浴場 むらいさち

子どもたちの願いに応え海水浴場をオープンするため の海岸清掃活動

もともと宮城では有名な海水浴場だった長須賀ビーチ。ここでもう一度泳ぎたいという子どもたちの願いを、「TSUNAGARI」の勝又さんたちが叶えるために皆でビーチの清掃を行った。この時は、東北に桜を送る活動をしている「心に花を*フォトプロジェクト」として一緒に海岸清掃に参加。その後、子どもたちが嬉しそうに海で遊んでいる姿を見て、「この子たちがこの場所の未来を作っていくんだ」と改めて思った。

2013年7月@宮城県南三陸町歌津うだつ 長須賀海水浴場 むらいさち

おかせいの海鮮丼

おかせいの海鮮丼

取材で訪れた⼥川町。震災後に故郷である宮城県でダイビングサービス「High-Bridgeハイブリッジ」を始めた髙橋正祥さん、通称まさくんにダイビングの合間に連れて⾏っていただいた「おかせい」の海鮮丼!噂どおりの美味しさに驚き、豊かな海の幸と⽣命に感謝した。

2015年2⽉@宮城県牡鹿郡⼥川町⼥川浜「おかせい」 鈴木あやの

おかせいの海鮮丼

取材で訪れた⼥川町。震災後に故郷である宮城県でダイビングサービス「High-Bridgeハイブリッジ」を始めた髙橋正祥さん、通称まさくんにダイビングの合間に連れて⾏っていただいた「おかせい」の海鮮丼!噂どおりの美味しさに驚き、豊かな海の幸と⽣命に感謝した。

2015年2⽉@宮城県牡鹿郡⼥川町⼥川浜「おかせい」 鈴木あやの

変わらずそこにある自然が織りなす風景

変わらずそこにある自然が織りなす風景

女川の海が一望できる場所を案内してもらいドローンで撮影。3.11以降、海と陸の境界とされた場所は変化し、10年という歳月は人々の暮らしや街並みを変化させていった。しかし、私が思い描く東北地方の澄んだ空と海と山々が織りなす美しい景色は昔も今も変わらない。

2017年10月@宮城県牡鹿郡女川町竹浦 中村卓哉

変わらずそこにある自然が織りなす風景

女川の海が一望できる場所を案内してもらいドローンで撮影。3.11以降、海と陸の境界とされた場所は変化し、10年という歳月は人々の暮らしや街並みを変化させていった。しかし、私が思い描く東北地方の澄んだ空と海と山々が織りなす美しい景色は昔も今も変わらない。

2017年10月@宮城県牡鹿郡女川町竹浦 中村卓哉

水中

津波の影響は水中にも及び、
大量の瓦礫や生活用品が海や河川へ流れ込んだ。
しかし、現地の方やボランティアダイバーの協力による撤去作業が進むにつれ、
ゆっくりではあるが、本来の姿を取り戻しつつある。
そこで姿を現す水中の生き物の様相は、
私たちに生命力と希望を与えてくれるようだ。

水中

津波の影響は水中にも及び、
大量の瓦礫や生活用品が海や河川へ流れ込んだ。
しかし、現地の方やボランティアダイバーの協力による撤去作業が進むにつれ、
ゆっくりではあるが、本来の姿を取り戻しつつある。
そこで姿を現す水中の生き物の様相は、
私たちに生命力と希望を与えてくれるようだ。

撤去作業中の心温まる一コマ

撤去作業中の心温まる一コマ

海中で瓦礫撤去作業中の、三陸ボランティアダイバーズさん。まだまだ震災の爪痕が残り緊張感が走る現場だったが、瓦礫にロープをかけるダイバーの腕の上に、何やらちょこんと乗ったのが見えた。初めて見るイソバテングだった。愛くるしい姿に、ほっこりとしたと同時に生き物が戻りつつある東北の海の姿に希望を感じる瞬間だった。

2011年11月18日@岩手県大船渡市三陸町越喜来港 中村卓哉

撤去作業中の心温まる一コマ

海中で瓦礫撤去作業中の、三陸ボランティアダイバーズさん。まだまだ震災の爪痕が残り緊張感が走る現場だったが、瓦礫にロープをかけるダイバーの腕の上に、何やらちょこんと乗ったのが見えた。初めて見るイソバテングだった。愛くるしい姿に、ほっこりとしたと同時に生き物が戻りつつある東北の海の姿に希望を感じる瞬間だった。

2011年11月18日@岩手県大船渡市三陸町越喜来港 中村卓哉

震災から1年、美しさと生命が戻る川

震災から1年、美しさと生命が戻る川

震災から1年後のサケの産卵を撮影。津波で瓦礫の山だった多くの河川も、多くのボランティアの瓦礫撤去作業協力により、産卵のシーズンには元通りの綺麗な川になり、多くのサケが戻ってきて、新たな生命を育んだ。この写真は、綾里川でその決定的瞬間を撮影したものだ。震災から1年後のサケの産卵は、多くの被災者に生きる勇気を与えてくれた。

2012年11月@岩手県大船渡市三陸町綾里りょうり 越智隆治

震災から1年、美しさと生命が戻る川

震災から1年後のサケの産卵を撮影。津波で瓦礫の山だった多くの河川も、多くのボランティアの瓦礫撤去作業協力により、産卵のシーズンには元通りの綺麗な川になり、多くのサケが戻ってきて、新たな生命を育んだ。この写真は、綾里川でその決定的瞬間を撮影したものだ。震災から1年後のサケの産卵は、多くの被災者に生きる勇気を与えてくれた。

2012年11月@岩手県大船渡市三陸町綾里りょうり 越智隆治

クチバシカジカの抱卵

クチバシカジカの抱卵

2015年3⽉に週刊新潮カラーグラビア「震災から4年、命輝く東北の海」にて掲載して頂いた1枚、岩陰でひっそりと卵を守る「クチバシカジカの抱卵」。津波に流され⽡礫に覆われても、この海でまた逞しく新たな命を繋いでいたことに感動。

2015年2⽉@宮城県牡⿅郡⼥川町 鈴木あやの

クチバシカジカの抱卵

2015年3⽉に週刊新潮カラーグラビア「震災から4年、命輝く東北の海」にて掲載して頂いた1枚、岩陰でひっそりと卵を守る「クチバシカジカの抱卵」。津波に流され⽡礫に覆われても、この海でまた逞しく新たな命を繋いでいたことに感動。

2015年2⽉@宮城県牡⿅郡⼥川町 鈴木あやの

可愛くもたくましき、生き物たち

可愛くもたくましき、生き物たち

震災以降、毎年女川の海に潜っている。最初の頃から、僕はジャーナリストではないので報道的な写真ではなく、東北の海はこんなに美しくて、かわいい生物たちが今も生きているんだよと伝えたくて、自分なりに撮影を続けている。

2015年8月@宮城県牡⿅郡女川町竹浦 むらいさち

可愛くもたくましき、生き物たち

震災以降、毎年女川の海に潜っている。最初の頃から、僕はジャーナリストではないので報道的な写真ではなく、東北の海はこんなに美しくて、かわいい生物たちが今も生きているんだよと伝えたくて、自分なりに撮影を続けている。

2015年8月@宮城県牡⿅郡女川町竹浦 むらいさち

未だ残る遺物たち

未だ残る遺物たち

陸では震災の傷跡はどんどん無くなってきているが、海の中はまだまだ手付かずのままだ。津波によって海に持っていかれた生活用品や建材等は、まるで時間が止まってしまったかのようにそのまま海中に残されている。水中で、震災当時にタイムスリップした気分になってしまった。

2020年1月@宮城県牡⿅郡女川 高砂淳二

未だ残る遺物たち

陸では震災の傷跡はどんどん無くなってきているが、海の中はまだまだ手付かずのままだ。津波によって海に持っていかれた生活用品や建材等は、まるで時間が止まってしまったかのようにそのまま海中に残されている。水中で、震災当時にタイムスリップした気分になってしまった。

2020年1月@宮城県牡⿅郡女川 高砂淳二

三陸の海は豊かな漁場。
復興作業を通じて、漁師はダイビングに、
ダイバーは漁師の漁や文化に触れ、新しい繋がりを生んだ。
震災から10年、現地の方、各地から集まったボランティアの方々など、
関わる人たちそれぞれが活動する中で生まれた絆はこの先も続いていくのだろう。

三陸の海は豊かな漁場。
復興作業を通じて、漁師はダイビングに、
ダイバーは漁師の漁や文化に触れ、新しい繋がりを生んだ。
震災から10年、現地の方、各地から集まったボランティアの方々など、
関わる人たちそれぞれが活動する中で生まれた絆はこの先も続いていくのだろう。
震災以前の思い出に触れる

震災以前の思い出に触れる

NHKの「ごちそう賛歌」という番組でホヤを取り上げる回で、僕がレポーターとして天然ホヤの漁師さん(鈴木さん)と一緒に潜ったときの一枚。2002年の撮影時は、鈴木さんはヘルメット潜水で天然ボヤ漁をする最後の漁師さんだった。その後も頑張って続けられていたが、震災で潜水漁はストップ。2020年2月に、久しぶりにお会いしたが、残念ながら漁を再開する気にはなれない、とのことだった。この写真を、ぜひ欲しいとのことだったので、プリントしてお渡しした。震災前の、何とも言えない思い出なのだと思う。

2002年9月@宮城県石巻市 高砂淳二

震災以前の思い出に触れる

NHKの「ごちそう賛歌」という番組でホヤを取り上げる回で、僕がレポーターとして天然ホヤの漁師さん(鈴木さん)と一緒に潜ったときの一枚。2002年の撮影時は、鈴木さんはヘルメット潜水で天然ボヤ漁をする最後の漁師さんだった。その後も頑張って続けられていたが、震災で潜水漁はストップ。2020年2月に、久しぶりにお会いしたが、残念ながら漁を再開する気にはなれない、とのことだった。この写真を、ぜひ欲しいとのことだったので、プリントしてお渡しした。震災前の、何とも言えない思い出なのだと思う。

2002年9月@宮城県石巻市 高砂淳二

東日本大震災から1年後の14時46分

東日本大震災から1年後の14時46分

震災から1年後の3月11日、三陸ボランティアダイバーズのメンバーが集結。震災後から継続されていた海中瓦礫の撤去作業の後に、被災して亡くなられた方々に対して黙祷を捧げ、海への献花が行われた。多くの被災者やボランティアメンバーが心を一つにして、前に進んでいこうと再認識した日でもあった。

2012年3月@岩手県大船渡市三陸町越喜来 越智隆治

東日本大震災から1年後の14時46分

震災から1年後の3月11日、三陸ボランティアダイバーズのメンバーが集結。震災後から継続されていた海中瓦礫の撤去作業の後に、被災して亡くなられた方々に対して黙祷を捧げ、海への献花が行われた。多くの被災者やボランティアメンバーが心を一つにして、前に進んでいこうと再認識した日でもあった。

2012年3月@岩手県大船渡市三陸町越喜来 越智隆治

女川・竹浦のポイントオープンに向けて調査ダイビング

女川・竹浦のポイントオープンに向けて調査ダイビング

東北でのダイビング時にいつもお世話になっている、ハイブリッジの髙橋さん、ダイビングリアスの佐藤さん、女川でいつもお世話になっているバックロールの渡辺さん。この3名のおかげで宮城や岩手で安全に楽しく潜ることができている。皆さん、熱くてとても優しい方々で、感謝があふれる。

2012年8月@宮城県牡⿅郡女川町竹浦 むらいさち

女川・竹浦のポイントオープンに向けて調査ダイビング

東北でのダイビング時にいつもお世話になっている、ハイブリッジの髙橋さん、ダイビングリアスの佐藤さん、女川でいつもお世話になっているバックロールの渡辺さん。この3名のおかげで宮城や岩手で安全に楽しく潜ることができている。皆さん、熱くてとても優しい方々で、感謝があふれる。

2012年8月@宮城県牡⿅郡女川町竹浦 むらいさち

まさくんとホタテ

まさくんとホタテ

⽿吊りという⼿法で丁寧に吊るされ、海中に美しく並び漂う養殖ホタテ。震災から4年が経ち、多くの⽣命が戻りつつある中、養殖も再開が進み⼒強く育っている様⼦を⽔中で⾒ることができた。⼈々の復興の⼒に加え、⾃然の⽣命⼒や再⽣⼒にはただ驚かされるばかり。また、美しいホタテと宮城の海を愛するまさくんの姿を⾒て、海やダイビングを通じて復興⽀援をしたいという想いが強く伝わってきた。

2015年2⽉@宮城県牡⿅郡 ホタテガイの養殖場 鈴木あやの

まさくんとホタテ

⽿吊りという⼿法で丁寧に吊るされ、海中に美しく並び漂う養殖ホタテ。震災から4年が経ち、多くの⽣命が戻りつつある中、養殖も再開が進み⼒強く育っている様⼦を⽔中で⾒ることができた。⼈々の復興の⼒に加え、⾃然の⽣命⼒や再⽣⼒にはただ驚かされるばかり。また、美しいホタテと宮城の海を愛するまさくんの姿を⾒て、海やダイビングを通じて復興⽀援をしたいという想いが強く伝わってきた。

2015年2⽉@宮城県牡⿅郡 ホタテガイの養殖場 鈴木あやの

覚悟

覚悟

ダイビング前の船上。震災後に地元の女川に戻り、海中捜索活動などを精力的に続けているハイブリッジのまさくん。日ごろから和やかにゲストに接する姿が印象的だが、二人だけで潜るときに、一瞬見せる彼の表情にドキッとさせられることがある。覚悟を決めたものだけが放つオーラのようなものに惹かれ、思わずシャッターを切った。

2018年11月12日@宮城県牡⿅郡女川町竹浦 中村卓哉

覚悟

ダイビング前の船上。震災後に地元の女川に戻り、海中捜索活動などを精力的に続けているハイブリッジのまさくん。日ごろから和やかにゲストに接する姿が印象的だが、二人だけで潜るときに、一瞬見せる彼の表情にドキッとさせられることがある。覚悟を決めたものだけが放つオーラのようなものに惹かれ、思わずシャッターを切った。

2018年11月12日@宮城県牡⿅郡女川町竹浦 中村卓哉

5名の写真家による10年の振り返りを見て、
震災当時のことや震災に関する世の中の動きなど、
様々な記憶が蘇ったことだろう。
写真が我々に与える効果は、感情を動かすことだけではない。
自身の記憶の奥にしまった想いまでも呼び起こし、思い出させてくれる。
そして、過去のことだけではなく
「ここに行きたい」「あの魚を見たい」「あの海を潜りたい」といった
未来への希望をも持つきっかけになる。

東日本大震災を頻繁に思い出す必要はない。
ただこうやって思い出した折には、想いを馳せてみよう。
それが私たちが簡単にできる「風化させないこと」だと思う。

次の10年は、どのような月日になるであろう。
誰にもわからない未来のこと。
諸行無常の中でも、
多くの人にとっては海を信じながらの10年になるに違いない。

5名の写真家による10年の振り返りを見て、
震災当時のことや震災に関する世の中の動きなど、
様々な記憶が蘇ったことだろう。
写真が我々に与える効果は、感情を動かすことだけではない。
自身の記憶の奥にしまった想いまでも呼び起こし、思い出させてくれる。
そして、過去のことだけではなく
「ここに行きたい」「あの魚を見たい」「あの海を潜りたい」といった
未来への希望をも持つきっかけになる。

東日本大震災を頻繁に思い出す必要はない。
ただこうやって思い出した折には、想いを馳せてみよう。
それが私たちが簡単にできる「風化させないこと」だと思う。

次の10年は、どのような月日になるであろう。
誰にもわからない未来のこと。
諸行無常の中でも、
多くの人にとっては海を信じながらの10年になるに違いない。