それでも海を信じたい
Iwate / 岩手
東日本大震災から1年後の三陸の海のルポルタージュ。
Iwate / 岩手
東日本大震災から1年後の三陸の海のルポルタージュ。
- Photo
- 越智 隆治、中村 卓哉
- Text
- 寺山 英樹
- Design
- Panari*Design
- 取材協力
- 三陸ボランティアダイバーズ
- 特別協力
- The More Project Japan
あれから1年。三陸の海は取り戻せたのか!?
3.11ドキュメント
あれから1年。2012年3月11日。岩手県大船渡市高田町越喜来(おきらい)泊。すべてを飲み込んだ海の中にいる。
水温3度。時に4度。ドライスーツの下は、いつも以上に着こんだインナーウェア。さらにその上にホッカイロを4枚貼って臨んだものの、強烈な寒さにくじけそうになる。唯一、直接水に触れている口の周りは冷たくはない。痛い。「この水温だったのか……」。改めて、あの日の津波を思う。
ぽっきり折れた電柱、ひしゃげた鉄骨、絡み合うロープの束。海の中は、そこかしこにまだまだあの日の爪跡が残っている。ダイビングサービス「みちのくダイビング・リアス」の佐藤寛志氏が、目の前でそんなガレキの山と対峙している。彼のこの1年は、ガイドではなく、「NPO法人 三陸ボランティアダイバーズ」(以下三ボラ)の理事長としての活動がほとんどである。
130キロの立派な体躯と人柄そのままの人懐っこい笑顔で”くまちゃん”の愛称で親しまれているが、水中ではフルフェイスのフードに笑顔をしまい込み、頭の両サイドにライト、足ではなく腕にナイフを装着し、黙々と作業をこなしていく。手元を照らしながら作業ができるように、すぐにナイフが取り出せるようにという、海底清掃のための工夫だ。
船上から降ろされたロープをガレキの一部にくくりつけ、時にナイフで切り離し、くまちゃんがロープをクイクイっと引っ張るのを合図に、船上の漁師や三ボラのメンバーたちがロープを手繰ってガレキを引き上げる。ガレキが引き上げられると、再び水中のくまちゃんのもとへロープが投げ込まれ、それをガレキにくくりつけ……この一連の作業が黙々と1時間続く。
その手際の良さや装備の工夫が、この1年の海底清掃の積み重ねを感じさせる。
1時間ほど潜っている間に、指先の感覚は失われ、痺れてくる。口の周りはもはや感覚さえなく、体が小刻みに震え始める。「戻りたい」。その願いは浮上サインひとつで叶うが、あの日は叶わなかった人が大勢この海にいた。
『遺体』(石井光太著・新潮社)というルポタージュの中で、津波に流されたものの、浮いた屋根の上に這い上がって一命を取りとめた女性が、海から助けを求める描写がある。結局、闇夜の中でどうすることもできず、潮に乗って沖へと流され、「助けてください、助けてください」という声と供に闇の彼方へ彼女は消えていってしまう。「立っているだけで震えが止まらなくなるほどの寒さで、濡れた服装のまま海面を漂流して朝まで耐え抜くのは難しい」。戻る術のない彼女の痛さ、絶望は想像を絶する。
エグジット後、集まった三ボラのダイバーや漁師たちは、手を合わせ、花を海に手向けて、思い思いに黙とうを捧げた。悼むために。忘れないために。