竹沢うるまインタビュー「世界一周の果てに辿り着いた場所」
2013年、1021日間に及ぶ世界一周の旅を終え、日本に帰ってきた写真家・竹沢うるまさん。
8月1日からはともに同じタイトルである「Walkabout」という写真集の出版、写真展の開催を控えています。
1021日もの間、何を感じていたのか。
それを終えて今、何を思うのか。
竹沢うるまさんが世界一周の旅の果てに辿り着いた場所をうかがいました。
写真提供:竹沢うるま
インタビュー・構成:いぬたく
竹沢うるまさん撮影:編集部
世界一周の旅を決めたとき
いぬたく
はじめまして。今日は写真展と写真集をきっかけとして、そのテーマでもある世界一周のお話を中心にうかがいたいと思っています。
うるま
僕、最近はあまり積極的に水中の撮影はやってないんですよね。昔からのつながりで声かけていただいた場合はやっているんですけれども。
いぬたく
はい、確かにオーシャナは海とダイビングがテーマなんですけれど、僕がうるまさんとお話してみたかった、というのもあって(笑)。
うるま
了解しました。なんでも聞いてください。
いぬたく
最初はきっかけの部分からうかがいます。2010年3月に世界一周の旅に出られましたが、それまでの仕事ではなくてなぜ世界を巡ろうと思ったんですか?
うるま
もともと僕は、21歳から25歳まで「ダイビングワールド」というダイビング雑誌の社員カメラマンで、その後に独立して、水中だけでなく南の島もテーマにして写真家をやっていたんです。
いぬたく
はい。
うるま
2009年11月に32歳になって、カメラの仕事をするようになってちょうど10年、一つの区切りとして「Tio’s Island」っていう写真集を出したんです。水中写真と南の島っていう今までやってきたことを一つの形でまとめて。そこから、自分としてはもっと広い世界を求めてたんですよね。
いぬたく
海だけではなくて。
うるま
はい、南の島や水中でもっと色んなこともできたかもしれないんですが、言ってしまえば、今の水中写真やダイビングの写真ってみんな一緒なんですよね。写真を見て「これはあの人の写真だ」って分かるほどの完璧な個性がある写真って、正直なところ少ない。
先人たちが作ってきてくれた水中撮影っていう世界があって、そこから完璧に飛び出せている人ってどれだけいるんだろうかって考えた時に、ほとんどいないのではないかと思っていて。僕自身の水中写真も、先人が作ってきてくれた水中写真の流れの中でしか撮ることができていなかった。だから一度海から離れないといけないなと思ったんです。
いぬたく
なるほど。
うるま
のちのち海っていう撮影の場所に帰ってくることになったとしても、帰ってこなくなったとしても、海の中から海を見るんじゃなくて、一度海から離れてもっと広い世界を持った上で海を捉えないと、新しい水中写真は生み出せないんじゃないかと思ったんです。
いぬたく
はい。
うるま
32歳という年齢で、それ以上年をとると自分自身の世界を広げられない可能性もある。やってきた実績や仕事のつながりを一度すべて断ち切らないといけないので、年を重ねるほどそれは難しくなる、そういうギリギリのタイミングだろうと思って。
僕も自分の水中写真や海の写真に満足してはいなかったので、5年10年なら惰性でやれるかもしれないけれど、もっと先を見据えた時に、より経験を積まないといけないと思ったんです。長くて1年半の予定が、結局3年半弱かかったんですけどね(笑)。
いぬたく
(笑)。うるまさんにとって、写真家として作品のグレードアップをしたいというのと人間として見聞を広めて経験を積みたいというのは、ほぼイコールということでしょうか?
うるま
僕にとって写真っていうのは、自分自身を表現する上での一つのツールでしかないんですよ。
いぬたく
はい、その点はうるまさんから強く感じます。
うるま
世界が自分自身の中にあって、それを目に見える形にするための一つの形として写真があるだけで。絵でも音楽でもよかったのかもしれないですけれど、最も自分の中のものを表現することができるツールがカメラ、写真なんです。
だから、自分自身の内面性の深さと世界の広さを広げていけば、そこから発露する写真や文章は自ずと広がりを持ち始めると思うんですね。
僕はカメラや写真(というツール)にこだわってるわけではなくて、いかにして自分が考えていること、感じていること、内面の世界観を人に伝えるかを考えているので。だから、自分自身の世界が広くないと、やっぱり写真の世界も広くならないんですよ。
いぬたく
その結果として、撮る写真が変わってくる、と。
うるま
そうですね。
いつも思うんですけど、自分の認識ひとつで世界ってガラッと変わっちゃうんです。自分自身の世界の捉え方を変えていくこと。出発の時はそこに一番重きを置いていましたね。
いぬたく
では出発前のことについてもう少しうかがいます。出発までの準備の面で大変だったのはどんなことですか?例えばお金の面にしても全て自腹というのは難しいですよね。
うるま
一番大変だったのは、心の準備です。
もちろん実際、金銭面など現実的な問題はいっぱいありますよ。でもそういうものは何とかなるんですよ、自分の気持ち一つで。
結局自分が覚悟を決めないと、スポンサーを取るにしても何をするにしても人を説得できないし、人を動かすことはできないんですよね。だからまずは心の準備と覚悟ですね。
自分自身の中に葛藤があったんですよ。行っていいのか、ちゃんと帰ってこられるのか、帰ってきたとしてもそれはプラスになるのか。そういう迷いと全部向かい合って、心の中で整理して、納得して、覚悟を決めないとダメなんですよね。
それを決めてから現実的なところでは、結局スポンサーについていただける企業が数社。プラス、連載を雑誌1つとウェブ2つ。それで一応金銭的なところはクリアして出発したわけです。
いぬたく
いろんな会社や人のところを回られて、どうでしたか?自分の言葉が伝わっているとは感じましたか?
うるま
どうでしょう。回りながら迷いはありましたよ。自分でしゃべりながら、果たしてこんな大きなこと言っていいんだろうかって。
出発前まではフラストレーションがすごくあったんです。
いぬたく
フラストレーションっていうのは旅の準備の中で、ですか?
うるま
いや、そうではなくて、自分自身の写真に対するフラストレーションです。
もっとこう撮れるはずなのに、自分の思い描いている写真はこういうものじゃない、っていう。
出発までの3~4年間はほとんどが依頼されての撮影だったので、自分自身の写真を撮る時間がなかったんです。自分自身を表現できていないっていうフラストレーションがものすごくあって、それを自分の心の中で整理するには、旅をして写真を撮り続けるしかなかったんですよ。
出発前にそういう心境に至って、「もう行ってちゃんとやるしかない」と。それしか自分自身の心の中にある落ち着かない状態っていうのは絶対片づけることができない、じゃあとりあえず行こう、ってなったんですよね。
いぬたく
分かりました。では出発した後の話を。
自分自身と世界が融合していく感覚
いぬたく
約3年間旅に出られていて、全てを振り返るのは到底時間が足りないですし、うるまさんのブログなどをざーっと見ていく方がおもしろいのかもしれないですけど、僕が一番興味があったのは、例えば目の前にいる土地や人を見ているというのは、同時に自分の内面を見ることでもあるわけですよね。その、外の世界を見る感覚と、自分の心を見る感覚ってどんどん一体化していくと思うんですけれども、その切り分けというか、違いというか、そこの感覚ってどんな感じなんでしょうか?
うるま
僕は、ものすごく自分中心な人間で、写真を人のために撮らないんですよね。自分自身のためにしか撮らない。やっぱり僕にとって写真っていうのは自分が生きるためのもので、それは金銭的に生活するっていう意味ではなくて、自分の精神バランスを保つための一種の儀式みたいなものなんです。それがないと僕は成り立たない部分がすごくあって。
おっしゃる通り、風景とか人との出会いとか、そういうものは外面的でありつつ、すべて自分の内面性なんですよね。実際の世界に存在するものにカメラを向けているけれども、その先に見ているのはその時の自分自身の内面性であって。だから、僕にとってそこの明確な区切りや切り替えというのはたぶんないんだと思います。カメラを持っている限りは、そこは全く同じ意味です。
旅をするっていうこと自体がもうすでに自己表現というか、風景に出会うことが自己表現であり、人と出会うことが自己表現なので、そこに区切りはないかもしれないですね。
いぬたく
はい。うるまさんの写真や文章を拝見していて、うるまさん自身と世界や旅がどんどん融合していって、境目がなくなっている印象をとても感じます。
それってもう世界一周を始めた当初、もしくは始める前からそうだったのか、もしくは世界一周を始めてからそうなったのか。
うるま
おっしゃる通り、自分自身の世界と実際に旅をしている世界が旅をする程どんどん融合していくのは、まさしくその通りで。
僕自身、旅をするってどういうことかっていうのをよく考えていたんですけど、それは例えば砂漠を歩いて熱くて喉が渇いたり、ジャングルの中で蚊に刺されたり、暑くて汗をかいたり、怒ったり笑ったりとか、そういう自分自身の心の動きがあるわけですよね。旅の中のある出来事に触れ合った瞬間に、そこに大きな心の動きが生まれるわけです。その心の動きが蓄積されていくんですよね。蓄積されるってどういうことかというと、自分自身の中に世界を取り入れるっていう作業なんですよ。
旅の本質は、出会いの連続性
うるま
僕はよく旅の本質は出会いの連続性だと言うんですけれども、その出会いの連続性の中で自分の中に世界のかけらみたいなものをどんどん取り入れることによって、心に一つの世界が出来上がっていくんです。それが出来上がれば出来上がるほど、自分自身の存在と世界や旅がどんどん融合して一体化していく。
いぬたく
はい。
うるま
人間って肉体と精神で成り立っていますけど、肉体って精神を実際の世界から隔てているわけですよね。でも、自分自身の中に世界を取り入れることによって、精神が実際の世界と融合するんです。旅を続ければ続けるほど、それに比例して自分自身と旅の世界ってはどんどん融和、融合していくって感覚はありましたね。
いぬたく
最初は1年か1年半と予定していた世界一周の旅が3年になったのって、世界の広さに触れてそれを自分の中に取り入れることが楽しくなっていったというか、やめられなくなったというか、そういうことなんでしょうか?
うるま
第一に、やっぱり世界は広いってことなんですよね。
世界一周から帰ってきて振り返った時に、僕が一番感じたのは「世界は広い」っていうことなんです。僕らが考えてるよりも遥かに広くて、遥かに深い。果てがないんですよ。
僕らが日本で考えている世界っていうのは、実は世界じゃないんです。たとえインターネットで世界中のいろんな情報がリアルタイムに入ってきたとしても、それはやっぱりバーチャルでしかないんですよね。それで世界を知った気になっていた自分がいたんです。
実際に旅を始めて、最初はやっぱり自分の知っている土地を行っていたんですよ。聞いたことのある、行ってみたかった場所。でも、そういうものには何の楽しみもないことに気づき始めたんですよね。それは一種の追体験でしかなくて、何の努力もなければ感動もない。一つのスタンプラリーみたいなもの。
そういうことに気づいた後、いろんな出会いの中で世界が広がっていくようになったんですね。
例えば、現地の原住民に出会って「この先に村があってそこに行けばシャーマンがいるよ」とか、「そのシャーマンの村の先に、川を一週間下ったら村があって、そこにこういうものがあるよ」とか、「さらにそこに行ったら砂漠があるからそこにはこういう民族が住んでいて」とか、どんどん出会いの中で世界が広がっていって、見たことも聞いたこともない世界が広がっているんですよね。一つ辿り着いたと思ったら、この先はもうないだろうと思っても、いつだってその先には世界が広がっているんですよ。それが旅の連続性なんですよね。
そこにはキリがないし、僕らの想像力を超えた世界なんです。僕らの想像力っていうのは、日本っていう国の限られた情報の中で造り上げた世界でしかなくて、本当にあるリアルな世界っていうのは、細切れではなくつながっているんですよね。そこまで行けば、必ずその先に世界がつながっている。
最初は1年って考えてましたけど、そんな短い期間では世界の連続性の果てまで辿り着かない。どこまで行けるか分からないけれど、旅の連続性、出会いの連続性に身を委ねて行けるところまで行ってみようと思って続けていくうちに1021日かかっちゃった、ってところですね(笑)。
いぬたく
なるほど(笑)。
※この世界一周をテーマにした写真集「Walkabout」、発売中!
※写真展の詳細はこちらの記事をご覧ください。
世界一周の旅を終えた写真家・竹沢うるまの写真展&写真集「Walkabout」 | オーシャナ