岡田裕介インタビュー「写真家としてのこれまでとこれから」

新進気鋭の写真家・岡田裕介さん。
その経歴はこれまであまり国内メディアに露出されてきませんでしたが、撮影した水中写真は海外の「ナショナルジオグラフィック」誌からも認められるほど。
なにより、パッと見ただけでもその写真は華やかや明るさに満ちています。

そんな岡田裕介さんに、オーシャナが全4回のインタビューで迫ります!

インタビュー&撮影:いぬたく
(水中写真・風景写真は岡田さん撮影のものです)

第1回:日本兵に蹂躙される中国人女性の写真

いぬたく

小さい頃ってどんな子どもだったんでしょうか?

岡田

すごく普通の子でしたよ。大宮で育って、学校も、お金持ちも貧乏もいない、みたいな。お父さんは全員サラリーマンで東京に行ってます、みたいな。

いぬたく

典型的なベッドタウンなんですね。

岡田

両親も生活に精一杯で写真だとか文化的なことに全く興味がない人なんですよ。「よく写真に興味を持ったね」って言われることがあります。

岡田裕介インタビュー

いぬたく

そこから写真に興味をもったのはなぜなんでしょう?

岡田

親が「本だけはいくらでもお金を使っていいよ」って言ってくれてたんです。それで、小学校の頃から本を読むのが好きで。例えば椎名誠さんとかを読んでて、この世界とは違う世界というのに少しずつ興味を持ち始めたんです。

いぬたく

本がきっかけだったんですね。

岡田

はい、他のことには全然甘くない親だったんですけど。ただ、写真に初めて興味を持ったのは、高校生のときに修学旅行で行った北京でした。

いぬたく

修学旅行が中国ってすごいですね。

岡田

通っていた高校が昔から中国と交流がある学校で、それで日中戦争が始まった盧溝橋のすぐ近くにある抗日戦争記念館に行ったんです。
僕はラグビー部に所属する超体育会系で、歴史とか全然興味がなくて「なんでこんなとこ来なきゃいけないんだ」みたいに思ってたんですけど。

いぬたく

はい。

岡田

ただ、ある1枚の写真の前でみんな立ち止まったんです。その写真っていうのが、日本兵が現地の女性を全裸にして座らせて、その後ろで日本兵が刀や銃を持って笑ってる写真で。今でも忘れられないんですけど。
その座ってる女性の悲痛の表情ひとつで、みんな一斉に「うわっ」って足を止めて。

いぬたく

衝撃的だったんですね。

岡田

皆でしばらく無言で固まってました。それについて語る言葉が当時の僕らにはなくて。それがきっかけで、写真ってすごいなって思ったんですね。何も考えてない僕らを立ち止まらせて、文章があるわけじゃないのに、何かを感じさせることができて。

いぬたく

それが写真との決定的な出会いだったんですね。

岡田

はい。

フロリダマナティー(岡田裕介)

岡田

ただその頃はラグビーを本気でやっていて、将来は社会人ラグビーをやりたいなと思ってました。写真家になりたいっていう感じじゃなかったんです。

いぬたく

まだ自分の仕事だとは思ってなかったんですね。

岡田

それから大学に行って、簡単に言うとラグビーは挫折をして辞めてしまったんですね。その頃にいろんな本から刺激を受けて、バイトしてバックパッカー的なことをしてたんですよ。18の時にインド行ったりとか。

いぬたく

はい。

岡田

その時にカメラを持って行っていたんですね。きっかけは戦争の写真で、ロバート・キャパとか沢田教一さんとかに興味を持って写真展に行ったり、「地雷を踏んだらサヨウナラ」っていう映画を観に行ったり。旅をしながら写真を撮る、みたいなことをやってたんです。

白化したイソギンチャクとクマノミ(撮影:岡田裕介)

岡田

大学を卒業した後は、好きなことができるようにお金は貯めていたので、東京総合写真専門学校という横浜の専門学校に行くことにしたんです。ただその頃ってどんな写真を撮りたいかっていう明確なものはなくて、カメラマンとして生きていきたいなとは思っていたんですけど、深く考えてなかったんですね。それで初めて一人暮らしをして、あまりにも遊んでしまい、毎日二日酔いで体重も5~10㎏痩せちゃって。

いぬたく

太ったんではなく痩せたんですね(笑)。

岡田

生活が不規則すぎて、栄養は酒みたいな(笑)。そういう生活をしてた時に、たまたまインドで知り合ったカメラマンの方が上京していて、その方の友達のカメラマンのアシスタントをすることになったんです。それで現場に行くと、緊張感が違うわけじゃないですか。

いぬたく

はい。

岡田

写真の専門学校なんて失敗してもみんな笑ってるみたいな、そういう世界で。写真の専門を出たからといって特に資格を得られるわけでもないし、先のことを悩んでいたので、その緊張感ある現場を見て、今こっちに行かないとカメラマンになれないなと直感で思ったんです。それでその日のうちに学校を辞めることを決めて、その人にアシスタントにしてほしいって言ったんです。最初は断られたんですけど、何度か粘ってたらアシスタントにしてもらえることになって。それで1年半から2年くらいやって独立したんです。

海上からみた空(撮影:岡田裕介)

岡田裕介インタビュー「写真家としてのこれまでとこれから」

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