泳げなくてもダイビングはできますか?(後編)

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この質問は何度聞かれたことだろう。

頑固オヤジに「泳げないなんてとんでもない!」と言われると何だかシュンとしてしまうし、「泳げなくても大丈夫ですよ〜」というイントラの笑顔も何だか胡散臭い。

そこで、一応、文章を書く人間としては言葉に忠実に考えてみると、泳ぐとは「手足やひれを動かして水面や水中を進む」こと。

こう考えると、泳ぐとことはダイビングそのものなわけで、「泳げないとダイビングはできない」になってしまう。

しかし、同じ〝泳ぐ〟でも水泳で泳ぐのとダイビングで泳ぐのでは違うのが問題。
あ〜ややこしい(笑)。

ここで、ちょっと昔話。

先日も少し書いたBCの歴史を振り返ると、70年代前半にライフジャケット、70年代後半にスタビの登場で、ダイビングが劇的に変化したらしい。
〝らしい〝というのは、僕が生まれるか生まれないかの時代だから。

僕は昔、BCのないころのダイバーのように、ハーネスだけで潜ったことがある(ウエットスーツで)。

まさに泳ぐダイビングだった。

これは今考えると反省しなければいけないダイビングなのだが、特に深く考えずに、通常と同じように確か4か5㌔のウエイトをつけて25㍍くらいまで潜った。

浮力がなくなるのでもう泳ぎっぱなし。そして、着底して何度も休憩。
古いダイバーに聞くと、確かにこのころは水底近くを泳ぐことが主流で、中層を泳ぐという発想はあまりなかったらしい。

一緒に潜ったダイバーもハーネスだったので(これも反省……)、浮上できるかが不安だし、足をつったらどうしよう、フィンが脱げたらどうしようと不安だらけ。

恐ろしくなったので早めに水面まで浮上したが浮上するのも大変。
そして、やっと水面に到着しても、浮力がないのでやっぱり泳ぐしかない。

泳ぐの意味など考える必要もなく、間違いなく泳ぐわけで(笑)、当時「泳げなくてもダイビングはできる」という発想そのものすらなかったのではないだろうか。

このハーネスだけで泳ぎまくりダイビングの体験は、逆説的に考えれば、BCさえあれば、溺れずに泳げるということを意味している。
水面だって、BCを膨らませとけば、とりあえず溺れないし泳げる。

BCの登場で「泳げなくてもダイビングはできる」は嘘でなくなった。
嘘でなくなれば正しくもなる。しかし、嘘だった記憶もあるので、正しいとも言い切れず……。雰囲気としてはそういうことだろう。

やはり裸泳とダイビングの装備での〝泳ぐ〟は似て非なるものだと思う。
実際、PADIの講習には「3点をつけて300㍍泳ぐ」という項目があるが、これは海パン一丁の水泳ができない人でも、
浮力と呼吸源が確保された状態なら、そんなに難しいことではないとも思う。

ただ、「泳げなくてもダイビングはできる」もしくは「泳げないとダイビングはできない」という言葉には、本来の意味以外に、言う人の気持ちやイントラとしてスタンス、その他いろいろな意味が含まれているので一概にどちらが正しいとも言えない。
と、往生際悪く、やはり玉虫色にしてみたり(笑)。
実際に、僕も言う相手、場所によって使い分けたり、付け足しの言葉を変えたりしています。

つまり、ダイビングにおける「泳げる・泳げない」の言葉は共通概念としては破綻していて、同じ方向を向いているはずのイントラ仲間でも意見が分かれて釈然としないのはこのためだろう。

僕が思うに、ダイビングを始める前の人が聞く「泳げなくても大丈夫かな?」という不安に対しては、「泳げなくても大丈夫! でもね……」という返答でよくて、「でもね……」の部分を講習や言葉で積み重ねていけばいいのかなと。

だって、「泳げないとダメ」だなんて、水泳教室じゃないし、せっかくのBCというダイビング界の大発明を否定しちゃっているわけだしね。

ただ、お間違いなきよう言っておくと、「泳げるかどうか」にこだわりを持っていたり、語れるイントラはどっちのスタンスでも素晴らしいプロですよ。きっと。

最後に、「泳げなくてもイントラになれますか?」と聞かれたこともあるが、これは、なしの方向にしませんか?(笑)。

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