Palau New WestSideStory

Palau / パラオ

ブルーマーリン ポイントリサーチ徹底取材 Vol.02,西部エリア

Photo&Text
越智隆治
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Palau / パラオ

ブルーマーリン ポイントリサーチ徹底取材 Vol.02,西部エリア

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ブルーマーリン ポイントリサーチ徹底取材
Vol.02,西部エリア

普段何気なく潜っている、ダイビングポイント。その多くが先人ガイドたちの残してきた開拓の足跡であることは、ダイビングを楽しみに訪れた多くのダイバーにとってみれば、あまり興味の無いことに違いない。しかし、そういう先人たちの開拓のおかげで、パラオには、ブルーコーナーという世界屈指のダイビングポイントや、マンタで人気のジャーマンチャネルが誕生してきたわけだ。
ブルーマーリンのポイント開拓は、手薄だった東側に留まらず、人気の既存ポイントが多く点在する西側にまで拡大していった。一度火のついた彼らの勢いは、留まる事を知らないかのようだ。
前編の東部エリアに続き、ブルーマーリンのポイントリサーチ、徹底取材第2弾!

パラオ・ウェストサイドストーリー

パラオ、ポイント開拓の歴史

ブルーコーナーを開拓したのは、いつのことで誰によってなのか?確定した説に行き着かなかったのだが、その話題になったときにいつも挙がるのが、フランシス・ トリビオンという一人のパラワンガイド。パラオでは、伝説的に語り継がれている、パラオのダイビングシーンの創設者。現在のフィッシュアンドフィンズを作った人物でもある。

パラオのガイドたちから聞いた話では、まずブルーホールがポイントとして存在していて、通常はホールを抜けると右に移動していたのが、ある日たまたま左に移動してブルーコーナーが発見されたのだそうだ。その後もフランシスファミリーと呼ばれるパラワンガイドたちによって次々に発見された数々のポイントのおかげで、今の世界に誇れるダイバーズパラダイス・パラオがあるわけだ。

ジャーマンチャネルがマンタポイントとしての地位を確立したのは、1990年代初期のこと。こちらも、ネコマリンやサムズツアーなどの欧米系のサービスが、たまたまポイントとして利用していて、よくマンタに遭遇するということで、クリーニングステーションが発見されたということだ。
ポイント開拓に、日本人の名前が登場し始めるのは、1990年代半ばになってから。以前のシャークシティーは、サンゴが美しいポイントで、今潜っているところとは少し位置が違う。今のような上級者向けの群れ、大物ポイントとして潜るようになったのが、当時スプラッシュにいた長野浩さん(現アクアマジック)。

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