それでも海を信じたい

Iwate / 岩手

東日本大震災から1年後の三陸の海のルポルタージュ。

Photo
越智 隆治、中村 卓哉
Text
寺山 英樹
Design
Panari*Design
取材協力
三陸ボランティアダイバーズ
特別協力
The More Project Japan
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東日本大震災から1年後の三陸の海のルポルタージュ。

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越智 隆治、中村 卓哉
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あれから1年。三陸の海を取り戻せ!
三陸ボランティアダイバーズの1年

 漁師とともに、東日本大震災で被災した三陸沿岸地域の復興を手伝うために集った三陸ボランティアダイバーズ。「三陸の海を取り戻せ!」を合言葉に奮闘してきた三ボラの1年、そして、これから。
 
 タイのクルーズにスタッフとして乗っていたくまちゃんのもとに無線が入る。津波。とっさに「またスマトラか」と思ったが、よく聞けば日本、それも生まれ故郷の東北だという。すぐに家族の安否は確認できたものの、翌日帰港するやいなや、家族のいる岩手を目指していた。
 震災直後の混乱で新幹線も高速道路も動かず、飛行機も原子炉の問題で太平洋側は飛べないという状況。羽田経由で秋田空港へ飛び、さらに家族に迎えにきてもらった車でようやく岩手にたどり着いた。いつも通っているはずの道がどこを走っているかすらわからない惨状。親戚は5人助からなかった。
 ダイバーの自分にできることは何か。答えはひとつ。潜るほかない。
「海を、そして川をきれいにしよう」。海をきれいにしないことには、漁師の生活は戻らない。川をきれいにしないことには、サケも帰ってこられない。 遺体捜索のため、しばらく海に近付けなかったが、震災からおよそ1カ月後。くまちゃんと漁師の2人きりからガレキ撤去は始まった。

 やがて、活動を知った友人のダイバーたちが次々に連絡をくれて、次第に輪が広がっていき、気づけば支援の輪は世界中のダイバー仲間に広まっていた。そして、ついに、4月末、《三陸ボランティアダイバーズ》が立ちあがり、本格的に支援活動を展開する。

“楽しみながらボランティア”
三ボラ行くところ、いつも笑顔があふれている

 ボランティアの基本は、「安全を考えて、できる範囲のお手伝いしかしない」こと。事故を起こしたら元も子もない。メンバーはレジャーダイバーがほとんどだが、1人潜れば3人のヘルプが必要で、陸上や船上のサポートもとても大事な役割。海辺でできることもあるし、プロが潜って整備された後ならチャリティーダイブもできる。一緒に潜ってきれいになった海を見て伝えることも大事。潜れなくてもできることは山ほどあった。
 

 くまちゃんが1人で潜っていた当初は、「1人が潜ってどうなるんだ」という冷ややかな視線もあったが、ワカメをボイルする機械や使えそうな漁具が上がるのを目の当たりにすると漁師たちは「おー」と盛り上がり、目の色が変わってきた。だんだん漁師の輪も広がっていき、行政も動き始めて重機を投入。ダイバー、漁師、行政が三位一体となって、大きなムーブメントとなっていく。
 “くまちゃんハウス”と呼ばれる小屋を拠点に、これまで述べ2000人のダイバーたちが、漁師とタッグを組んで、海や川のガレキ撤去や海辺の清掃はもちろん、仮設住宅への激励や各メディアへの呼びかけなどなど、あらゆる角度から支援を行なってきて、今なお続いている。三ボラが地域に果たした役割は大きい。
 

 三ボラには女性参加者も多く、現場は笑顔にあふれ、明るく和やかだ。「下を向きながら辛い作業をやっていても仕方ない。楽しみながらボランティアです」と副理事長の早乙女祐基さんもいつも満面の笑みだ。
 

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