尾崎たまき「いまも水俣に生きる」写真展記念インタビュー
1995年から熊本県・水俣の海を撮り続けているフォトグラファー・尾崎たまきさん。
その尾崎さんの写真展「いまも水俣に生きる」が2011年5月27日(金)から開催されます。
その開催にあたって、スキューバダイビング.jpではインタビューを行わせていただきました。
尾崎さんがなぜ水俣の海を撮ろうと思ったのか、そしてこの写真展を通じて伝えたいこととは何なのか。
全3回のショート・インタビュー、どうぞお楽しみください。
(取材日:2011年5月12日 聞き手:いぬたく 撮影:編集部)
第1回:水俣の海との出会い
いぬたく
はじめまして。
今日は、5月27日(金)から開催される写真展「いまも水俣に生きる」のことをうかがいたいと思います。
尾崎
よろしくお願いします。
いぬたく
尾崎さんは熊本のご出身で、地元となる水俣の海は15年くらい前から撮られているんですよね。
尾崎
そうですね、はい。
いぬたく
最初に撮り始めようと思ったきっかけは、どういうことだったんですか?
尾崎
初めて水俣の海に潜ったのは16年前、1995年なんです。
そのとき汚染された魚があっちこっち行ったりしないように、“仕切り網”というものが設置されてたんですね。
いぬたく
魚を閉じ込めるわけですね。
尾崎
そうですね。トータルで4.4kmぐらいのけっこう広い距離で張られていて。その仕切り網を撤去するかどうかをめぐって、よく報道されていたんです。
熊本に住んでいたので、水俣病の問題は毎日のように見聞きするような状況で。当時は私もダイビングを始めて4〜5年くらい経っていて、海の中に興味があったんです。それで海の中を仕切るっていうことがちょっと納得がいかなくて、「どういうものなんだろう、海を仕切るなんて普通はできないよね」という思いが漠然とあって。
いぬたく
はい。
尾崎
だったらその仕切り網を水中で見てみたいな、という好奇心から始まったのがきっかけです。地上から網の様子を見たら、その網がずっと長くつながっていて。それを見てますます水中の様子が見てみたいなと思いました。
いぬたく
それでタンクを背負ってスキューバダイビングで見に行ったんですね。
尾崎
はい。一番最初は、埋め立て地に浚渫(しゅんせつ)工事をしたところにドボンと飛び込んだんですね。
いぬたく
はい。
尾崎
だけど、地形も何もわからない状況で、透明度も悪くてこわくて。ちょっと行っただけで「あ、これは水中を行くのは危険だな」と思って上がっちゃったんですね。
いぬたく
水中のコンディションとしてはすごく悪かったんですね。
尾崎
「まずは仕切り網を見てみたい」ということだったので、2回目は網まで水面移動していったんです。仕切り網を目で見ながら水面移動していって、ブイが浮かんでいたので、そのブイを見ながら潜降していきました。
いぬたく
なるほど。
尾崎
そうしたら、想像していたものとは全く違う世界が広がっていて。網の両側には魚が群れていたんです。
それまで私はマイナスイメージばっかりで、「ほんとは奇形の魚がいるのかもしれない、それとも魚は全くいないのかなあ」と、そういうことばっかり考えていたんです。でも実際に水中を見たら、生き生きとした海の様子が広がっていて、そのときは無我夢中で写真を撮っていました。
尾崎
水中から上がってすぐに、陸上にいる他のカメラマンに「私、この海ずっと一生撮るからね!」みたいな。そういう確信めいたものを感じました。
いぬたく
劇的な体験だったんですね。
尾崎
そうですね、それから毎週のように水俣の海に潜るようになりました。
次回は「第2回:ダイビングを始めてから水俣の海に出会うまで」をお送りします。
ちょっと話をさかのぼって、尾崎さんが普通のファンダイバーだった頃のお話からうかがいます!