尾崎たまき「いまも水俣に生きる」写真展記念インタビュー

この記事は約3分で読めます。

第3回:水俣の写真展で伝えたいこと

いぬたく

前回のお話では、水俣の水中を撮っていた頃から、陸上で水俣の海に関わられている方々の写真も撮るようになったということでしたね。今回の写真展「いまも水俣に生きる」には、水中写真も陸上写真もあるんですね。

尾崎

そうですね。だいたい半分半分くらいだと思います。

いぬたく

陸上写真では、水俣の風景であったり、そこで生活されている漁師さんたちであったりを切り取るということなんでしょうか。

尾崎

はい、そうですね。

いぬたく

水中の写真だけを撮っていた頃から変わって、漁業が再開されて漁師さんの写真を撮ったりお話をされたりして、また新しく感じられたことってありますか?

尾崎たまき「いまも水俣に生きる」写真展記念インタビュー

尾崎

やはりいろんな漁師さんたちと出会えたので、それによって水俣に対する思いは強くなりましたね。
例えば水俣病患者であった漁師さんもいらっしゃって、寝たきりの状態から復活した方もいるんです。もともとは網元の娘さんで、「漁師が病気を治すところは海の上しかない」ということで漁を再開されたんですね。

いぬたく

それはすごいですね。

尾崎

水俣病にかかっているときって、いじめや差別もあっただろうし、若くして亡くなる方もいただろうし、苦しかった時代が続いたと思うんですね。それでもそれを乗り越えて、元気に明るく素敵な笑顔でいらっしゃって。その思いが息子さんたちにも継承されていて、今は息子さんたちが一線で頑張っていらっしゃるんです。

尾崎たまき「いまも水俣に生きる」写真展記念インタビュー

尾崎

そうやって、陸上では水俣病を乗り越えてやっていこうとされていて、水中は水中で海が再生してきていて。陸上も水中も、少しずつ前を向いて進んでいるんだなと思いますね。

いぬたく

尾崎さんはそれを見てこられたんですね。今回の写真展のタイトルは「いまも水俣に生きる」となっていますね。

尾崎

はい。

いぬたく

水俣という言葉は未だに社会的な意味のようなものがつきまとってしまいますけれども、実際にご自身の目で「水俣に生きている」方々を見てきて、そして写真を撮られてきて、そこで伝えたいことはどういったことでしょうか?

尾崎

どうしても大きな公害病で地名がついてしまったがために、特別なものとして受け取られる方がいると思うんですけども、それでも他の海と全然変わらない状態ですし、他の海と同じように漁師さんたちも漁を続けているんですね。そんなに賑やかな様子ではないかもしれないけれども、他の海と同じようにいろんな営みが繰り返されているということを伝えたいなって。
何も変わらない、普通の海なんだっていうことを伝えたいです。

いぬたく

普通の海、だと。

尾崎

今回の写真展に展示する写真もすごく珍しいシーンでもないし、珍しい生き物でもないんです。

尾崎たまき「いまも水俣に生きる」写真展記念インタビュー

尾崎

普通の海沿いにある港町の、普通の風景を展示してると思います。
特別な写真には見えないかもしれないですけど、「それが水俣なんだよ」っていうことを伝えたいですね。

いぬたく

「特別ではない」ということが一番伝えたいことなんですね。

尾崎

はい、そうですね。

いぬたく

今日はどうもありがとうございました。写真展、ぜひうかがいますね。尾崎ありがとうございました。

以上で、尾崎たまき「いまも水俣に生きる」写真展記念インタビューは終了いたします。
尾崎たまきさん、ありがとうございました!

なお、取材当日に尾崎さんはエレファントカシマシのTシャツを着てこられ、それに気づいた編集長・いぬたくと盛り上がったエレカシ話は割愛させていただきました。どうぞご了承ください。

尾崎たまき「いまも水俣に生きる」写真展記念インタビュー

FOLLOW