マリンレジャーの車イス専用施設「Zero Gravity」オープン! ~パラリンピックのメダリストが体験スノーケリング~
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■文/寺山英樹
■撮影/菊地聡美
「魚がいっぱいいる!」と水面からスズメダイの群れを指さし、マスク越しに破顔するのは増子恵美さん。
最初は慣れないライフジャケットと安定しない体に怖さがあったものの、10分も経つとすっかり海を楽しんでいた。
手をかざすと引っ込むイバラカンザシに驚き、大きなシャコガイに興味津々。
叶わなかったウミガメとの出会いに残念がっている。
海に入っていることだけで楽しかったあの頃を思い出せてくれる、どこにでもある体験ダイビング、あるいはスノーケリングの微笑ましいひとコマだ。
ただ、少し事情が違うのは、彼女が普段、車イス生活だということだが、奄美大島の海で無重量を得てスノーケリングを楽しんでいる。
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車イス使用者専用のマリンアクティビティ施設
「Zero Gravity」オープン!
2016年4月1日、鹿児島県・奄美大島に車イス使用者専用のマリンアクティビティ施設「Zero Gravity(ゼロ・グラヴィティ)」がオープン。
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水深が2段階ある練習用プールを設け、車イスのままエントリー可能なカタマラン船を所有する。
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長さ9m、最大水深2.5mのプール、ダイビングやスノーケリングでは、この練習用プールがあるかないかで、リスクや快適度が大きく変わってくる
さらに、バリアフリーの宿泊施設が完備されて、本場で学んだ専用シェフが常駐し、石窯で焼いた名物ピザなど、本格的なイタリアンを食べることができる。
マリンアクティビティだけでなく、“海辺の快適な休日”を過ごすことができる施設だ。
増子恵美さん、スノーケリングデビュー・ドキュメント
海に海をゆだねれば大丈夫
みんなにも、ぜひやって欲しい!
増子さんは、シドニー・パラリンピックで銅メダルを獲得した元車いすバスケットボール選手。
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事故で下半身不随になり引きこもっていた時、車いすバスケを見学に行って、「普通に働いて、結婚している姿を見て希望になった。可能性が広がった気がしました」
現在、障がい者スポーツの普及に従事し、自身の姿で希望を与えている増子さんの今回のチャレンジは、障がい者の可能性を広げるものだ。
■まずはプールで基本的なスキルを学び、水慣れから。
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車イスのままスロープを下りエントリー。まずは水に慣れることが重要だ
■折りたたみの車いす専用のスロープで乗船。
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■いざ、奄美に海へ!
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カタマランタイプのボートは揺れも少なく、広々としている。全長13.5メートル、総トン数14トン
■車イス専用のエレベーターボックスには車イスに座った増子さんの他、インストラクターが1名付き添いで入る。
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■合図をすると、インストラクターが増子さんの表情を見ながら、キャプテンとコンタクトをとりながら、手動のリフトを徐々に降ろしていく。
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■最初は足が浮いてしまって体が安定せず苦労した様子だったが、慣れるにつれて安定。
10分後には海を楽しんでいた。
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「非現実的な世界がすごく楽しかった。全身の力を抜いて、海に身をゆだねてしまえば大丈夫でした」と、さすがアスリートだけあって、楽しむだけでなく、コツを吸収するのも早い。
実は、今回、他にも車イスの方にスノーケリングや体験ダイビングを誘ったが、増子さん以外は躊躇した。
「やっぱり、やったことがないことはイメージがないので怖いのかもしれません。でも、ちゃんと手順を追って教えてくれますし、海に身をゆだねてしまえば大丈夫。みんなにもぜひやってほしいです。私も次はダイビングができたら嬉しい」と増子さんは嬉々としてこの日2回目の海へ。
今度は、エレベーターを使わず、通常のダイバーのように、ボート後ろのラダーから、上半身の力でエントリーしていってしまった。
代表の鳥畑純一さんに聞く! ゼログラヴィティへの思い
空を飛んでいるような
無重力の世界を感じて欲しい
ダイビング歴が30年近い「ゼログラヴィティ」代表理事の鳥畑純一さん(65)。
27年ほど前に八丈島で潜っている時、「車イスの方に、無重力の世界、そして無音の世界を楽しんでほしいと思いました」と思いつく。
そんな思いは、団体名にも込められている(Zero Gravity=無重力)。
2016年4月に施行された「障がい者差別解消法」やパラリンピックなど、今、障がい者に対する機運やインバウンド需要の高まりがあって、今回のゼログラヴィティのオープンもことさらそこに結びつけがちだ。
「でも、思いついたのは27年前ですよね?」と問いかけると、ゼログラビティの原風景を教えてくれた。
「22~23歳のころ、オーストラリアに行きました。その時、現地の大学に行くと、車イスの人が健常者と普通の友達にように接していて、普通に生活している。当時、日本ではあり得ない光景だったので、深く印象に残ったのだと思います」
そうした原体験を経て、趣味のダイビングが結びついた。
「あまり小さい魚を見るダイビングスタイルは好きではなかった(笑)。ただ海の中にいて、無重力みたいな感覚が好きでした。ふと海底がキラキラ反射しているのを見つめていると、この空を飛んでいる感じを車イスの人も感じてほしいと、ふと思ったことがすべての始まりです」
そして、気が熟し、費用約2億5000万円の私財を投じて完成したのが「ゼログラビティ」。
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施設を運営する上で、経済的合理性は大事だが、その前に、“思い”があると感じた。
なぜ、奄美大島なのか?
「会社でダイビングクラブを主催していたとき、奄美大島もよく潜っていました。波が穏やかで浜辺がきれい。そして海の中はサンゴが美しい。施設を作る時はここだ、と決めていました」
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今後はどういう施設を目指していきたいですか?
「まず、きちんと言っておきたいのは、この施設は障がい者専用の施設ではなく、車いす専用の施設。障がい者にもいろいろな段階があり、すべてに対応はできません。まずは、一人でも活動、生活できる車いすの方に楽しんでいただきたいと思っています」
車いす専用の施設として軌道に乗ったら、障がい者という枠まで広げる可能性もあるという鳥畑さんだが、今のところは慎重だ。
その大変さをよく知っているからこそで、「そこまできたらいいのですけどね……」という言葉には、本心でいえばきっとそういう方にも楽しんでいただきたいという思いがにじむ。
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バリアフリーのツインルームを4部屋完備
そして、施設としては、“オシャレ”“スマート”にこだわりを見せる。
「とにかく尊厳を傷つけるようなことはしたくありません。マリンレジャーをする場合、車イスから降りることになります。例えば、そんな時に不格好な海でプールや海に入っていくのはナンセンスです」
プールにスロープをつけたのも、車イスのままスマートにスッと海に入って欲しいからだという。
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また、食事やカラオケ・お酒など、トータルで楽しめる施設を目指したいとのことだ。
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専用石窯で焼いた、本場のピッツァが楽しめる
シーズンは5~11月。
ゴールデンウイーク分から宿泊を受け付けており、2泊3日と3泊4日のコースがある。奄美空港の送迎と宿泊、食事、アクティビティすべてを含み、2泊3日で13万円(税抜き)。
日本国内はもちろんのこと、2020年の東京パラリンピックに向けて、車イス使用者の外国人旅行のモデルのひとつとなることを目指している。
ダイバーとしては、一人でも多くの方に海中世界の魅力を感じてもらい、車イスの方が普通に潜っているようになって欲しい。
【問い合わせ】
株式会社LA DITTA LIMITED
電話:03-5403-4853 email:hpc@laditta.jp
【ゼログラビティ】
http://zerogravity.jp/
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ゼロ・グラヴィティのスタッフ
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中庭テラス
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ツインルーム内には車いすの方が快適に過ごせるバリアーフリー仕様
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ダイビングのための充填施設を完備。各種器材もそろい、ウエットスーツは下半身が不自由な方でも着やすいようチャックに工夫がこらされている
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ボートの先端にはスロープがついており、水中バギーがエントリー可能
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ボート内施設も車いすのまま使える設備が整う
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ゼログラビティではカヤック施設と提携しているので、最終日は、奄美大島の自然を思いっきり満喫できる
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