安売り競争の開始、そして脱却。マリンハウス シーサー稲井代表が語る、ダイビング業界の現状
今年3月、「安売り競争から脱却」という見出しが琉球経済新聞を飾った。その記事には「マリンハウス シーサー」の値上げ発表について書かれており、ダイビング業界に大きな衝撃が走った。ご存知の方がほとんどだろうが、そもそもの価格競争のきっかけになったのは、今回値上げを発表した「マリンハウス シーサー」だからである。
その心情や背景についてより掘り下げるべく、今回はマリンハウス シーサー・稲井 日出司代表取締役に直接お話を伺う。ご提供いただいた創業当時のお写真とともに、そのリアルを知っていただきたい。
マリンハウス シーサー 稲井 日出司代表取締役
価格競争の先駆けとなったシーサー。そもそも、なぜ安いサービス提供を始めたのか
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シーサーさんが創業当時、ダイビング業界でも「良いサービスをより安く」という価格競争の先駆けのような存在になっていたというのをお聞きしました。
稲井さん
そう。昔は、ダイビングってとても高かったんですよ。
私は45年前に沖縄に来てダイビングを始めたんだけど、みんな本当にお金持ちばかり。ダイビングはパイロットかお医者さん、中小企業の社長とか、そういう人たちの趣味で、一般勤めの人にはまず無理でした。
私自身、沖縄での最初の1年間はダイビングと空手に明け暮れて、東京でコツコツ貯めた200万円は1年足らずでほぼ使い切ってしまいました。その後、お世話になっていたダイビングショップでフリーで潜水作業をスタートしたんです。
昔はダイビングショップ=冬場は寒くてお客さんがいないから潜水作業。特殊な作業だからできる人がすごく限られていて、普通の人の倍以上はお給料をもらえましたよ。
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潜水作業っていうと、一体どんなことを?
稲井さん
水中で何でもやります。水中で溶接もやるし、溶断もやる。沈んだ船の分厚い鉄板を、酸素を流し込んで切ったりとか…あと電気溶接。もう、全身ビリビリしますよ。私がいちばん得意なのは、ダイナマイトを使って、邪魔な岩石や岩盤を飛ばす仕事です。
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ストレス発散できそうですね(笑)。
稲井さん
発散できます、楽しいですよ(笑)。でも海中の世界は本当に素晴らしかったんで、お金を持っている人以外にも知って欲しいと思ったんです。そこから「安くするにはどうしたらいいんだろう」って考えるようになりました。
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料金プランを見てみたら1ダイブ1万円以下のプランもあるようですが、その当時はおいくらでサービスされていたんですか?
稲井さん
昔はね、ひどかったですよ。お客さんを見て値段をつけていましたから。お金を持ってそうだなと思ったら高値を言って、「学生か、お金ないのか。じゃあこれで」って。
そういった曖昧な価格設定が嫌だったので、私が一番最初にダイビング事業を始めた時は、一人でこようが、団体でこようが、一人当たりの金額は同じ。とにかくわかりやすい料金にしました。確か38年前は、2ダイブ9800円でやっていましたね。そういう価格設定をやったのは、ダイビング業界ではおそらく私が初めてだと思います。
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当時「良いサービスをより安く」ということで打ち出した金額だったと思うのですけど、安くするためにどういう工夫があったのでしょうか?
稲井さん
明瞭会計ですね、はっきり表示すること。
実際に価格を発表した時は周囲から「なんでこんな安い値段でやるんだ」って色々な人に言われましたよ。
ただその時は、そんなことをやっている人はどこにもいなかったので、お客さんは相当集中しました。特にパイロットとキャビンアテンダントはたくさん来てくれましたね。そうしているうちに周りも安売りを始めて、いわゆる価格競争が起こっていきました。
突然の値上げを発表。その背景とは?
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そうやって低価格を打ち出したシーサーさんが、今回価格をあげていくと発表したのは業界的にかなりの衝撃でしたね。
稲井さん
そうだと思いますよ。反対する人たちはみんな、お客さんが減ることが怖いんだと思います。
ダイビング料金は約30年間、ほとんど値段が上がっていません。だけど、物価はどんどん上がってますよね。特に日本は、物価の安さが先進国G7の中で1番安いって知っていましたか?実際に海外の海に行くと「日本安いよな」って思うことはとても多いです。だからインバウンドがたくさん来てくれるんです。
稲井さん
でも、ただ安いだけの価格設定では、やはりスタッフが辞めてしまいます。「結婚するからやめます」「子供ができたからやめます」…やっぱり、その原因は低賃金だと思います。だいたい3年くらい経つと「潜るだけ潜ったし、もう僕やめます」というパターンは多いです。「このままだと食べていけないし、結婚もそろそろ考えてるんで」って。それを改善するためには料金をあげるしかないと思いました。
若い人を長時間労働させる、残業は当たり前、社会保険に入ってない、とか、この業界では普通なんです。それを改めなければ良い人材は入らないし、会社が持続的・永続的に成長しない。スタッフも成長できませんし、会社も育つことができません。
ダイビングショップの雇用問題について
稲井さん
社会保険をかけることって、小さな会社や組織にとっては本当に大きな負担。今シーサーでは、正社員が70名ぐらいで、社会保険料だけで年間、すぐに5000万円を越してしまいます。だけどそれを怠ってしまったら、人も会社も育たない。定着してもらうためには、保険をかけなきゃいけないんです。
ダイビングショップが忙しいのは7〜9月で、そこに合わせて春先に採用して、10月11月でもう「じゃあまた来年ね」っていう季節スタッフがとても多いんです。
でもそういった雇用形態を多くしてしまえばサービスの品質が落ちるし、事故やトラブルにも結びつきやすいので、コストがかかってもシーサーではできるだけ正社員化を進めていこうと考えています。
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ダイビングショップでは幹部になりたがる人がいない、という噂も聞きましたが、これはそういった待遇面の問題でしょうか。
稲井さん
そうですね。どうしても責任を持てば、仕事の時間が長くなってしまいます。あとは基本的には「海に潜りたい」って思って入社してくる人が多いので、責任者になってデスクワークが増えるのが嫌なんだと思いますよ。
「給料は上がらない、海には入れない、じゃあ辞めるわ」「俺は海が好きで入ってきたんだから、そんな責任を持つ仕事はしたくない」っていう人が多いんです。
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役職に就くことより、やはり海に入れることの方が魅力が大きいということですかね。
稲井さん
それも理由でしょうね。
そしてこの業界はやっぱり、会社の経営っていうことに関して、十分に気を使っていない。ようやくうちの会社も年に4回個人面談をやって、成果や成長が明確にわかるようシステム化できてきました。随分前から取り組んでいたのに、形になってきたのは本当にこの1年間の話です。
でもこうしてきちんと管理しようとすれば専従者が必要になって、管理部門にお金が必要になります。いわゆる本社機能には、だいたい会社の売り上げの10%以上が必要になってきます。
だから営業利益が出たとしても結局はマイナスの部分が大きくなって、「給料上げろ」って言いにくくなって…そして不満が募っていきます。ここのバランスをとるのが本当に難しいんですよ。
稲井さん
「海が好きで、これを仕事にして、毎日毎日潜りたい」っていう人は、つまりは趣味道楽が高じて職業になったということ。趣味道楽っていうのはお金をいくらかけても構わないんです。自分が好きなことに専念できれば、売り上げや経営は気にならない。
でもビジネスには採算ベース、経営ベースの考え方が必要です。「ダイビング業界=汚い格好をした茶髪の兄ちゃん達の集団」っていう、そもそものイメージが悪い。それはもう抜け出さなきゃいけませんね。
そういう道楽主義の人が多い業界なので、業界内の経営の合理化が進まず、世間で働き方改革といわれても「長時間労働が当たり前。社会保険付いてなくて当たり前」…っていう状態になってしまっているのが実情です。
実際には、どのようにインストラクターへ還元していくのか
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今回の価格改定は、まだ第一段階なんですよね。今後はどのようなプロセスを考えていますか?
稲井さん
そうそう、今回はあくまでも第一歩。税込表示になったので、ちょうどこの機会に1000円だけはあげようと思っていまして。
1年後くらいにはコロナが終息しているはずだから、その時は会社全体で15%値上げしようと考えている。そして今から5年以内にさらに+15%。だから5年後には、今より合計30%はの値上げになる予定です。
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では、そこからインストラクターさんのお給料に反映される部分があるのでしょうか?
稲井さん
もちろん。一生懸命頑張った人、勉強した人、工夫、成果を出している人にはきちんとお給料で還元してあげたいです。Go To Travel が再開したら、「ガイドの指名は一律1000円いただきます」と打ち出すつもり。そのうち600円はスタッフに、残り400円は会社のコロナ借金や設備投資に充てていこうと思っています。
稲井さん
本当はすべてを還元したいんだけど、アベノミクス以降のお客様のための多額の設備投資として、このコロナ期間中、運転資金の借り入れで、2億円以上も借金が増えてしまいましたので。
ダイビングはシーズンで需要に変化があります。でも「ゴールデンウィークだから1人で20名ガイドやるぞ」と無理をすると即事故になってしまいます。安全管理上、1人の生産性は絶対上がらない。お金を稼ぐためにとにかく数をこなす、という、いわゆる“大量生産”のような働き方はできないんです。
だからお客様には「指名制できちんとそのインストラクターの経験と知識を買ってもらう」という発想に至りました。
ダイビングサービスに、よりわかりやすい選択肢を
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昔と比べて、今では若いダイバーさんが多いですけど、そういった意味では安いサービスと高いサービスの両方があっても良いということなんでしょうか。今後は「お客さんもサービスを選び、サービスを提供する側も顧客を選ぶ」みたいな形に変化していくということですか?
稲井さん
はい、当然そうあるべきだと思います。お客さんがそのショップのサービスレベルや設備に応じて、お金の使い方を選べるようになれば良いと思いますよ。
一番わかりやすいのはホテル業界。1000円で泊まれる格安ゲストハウスがあり、ミドルクラスの金額の施設もあって、さらに外資系ホテルでは素泊まりでも最低3万円。そして1泊10万円以上するのが当たり前のホテルだってあります。これは世間的に認識されている価格相場ですね。そうやって分かりやすくチョイスできないと、お客さんが困ると思うんです。
ダイビングショップも、ようは「このランクだからここはこういう料金なんだね」ってわかりやすくなったら、もっと選択肢が広がるし、ビジネスの幅も広がっていくのではないでしょうか。
稲井さんが考える、マリンレジャーにおける今後の課題とは
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今稲井さんを中心に、沖縄ダイビング連合を作ろうと動いているとお聞きしました。
稲井さん
はい。まさに今、実を結びそうなところなんです。
昔から私は、日本は観光大国になれる国なのに、そこにしっかり力を入れていないのをどうにかしたいと思っていて。沖縄県はずっと「マリンレジャー産業は沖縄観光の重大コンテンツだ」と言っておきながら、なかなかそこを重要視してくれませんでした。その結果、汚い漁港やコンテナだらけの物流の港のすぐそばでマリンレジャー事業を行っています。…リゾート感のない海で、誰が遊びたいと思いますか?
これに伴って、ダイビングショップのクオリティも上がらずにいます。この時代に、冬の寒い時期にダイビングをしたあと、冷たい水のシャワーしか出ないんですよ。温水シャワーを浴びられて、清潔で、海から上がったら暖まれるようなスペースを作れば、お客様はそれに見合ったお金をきちんと払ってくれるはず。僕はずっとそう思っているし伝えてきたつもりなんだけど、未だに実行されていないショップがほとんどです。
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なるほど。そうして沖縄ダイビング連合が動き始めたんですね。
稲井さん
そうそう。私は論理的整合性が取れた、自分が納得できることならどんどん突き詰めたい性格ですから。同じ考えを持った人は、少ないけど当然いいます。自分一人でできることなんてたかが知れているので、そうやって意見が合う人と手を繋いで行動していくんです。
大切なのは、集団になって発言力を作っていくこと。「色々なことを変えたい」と思ったら、政治家、県会議員だとか村会議員etc.…色々な人たちとともに、協会事務局として担ぎ上げなきゃいけないんです。物事を変えようとするのは、膨大な時間とエネルギー、そしてお金がかかります。
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県の水上安全条例も問題になっていると新聞には書かれていましたね。今は届出を出せば誰でも、ダイビング事業を開業できてしまう、と。
稲井さん
そうそう、こういった条例の甘さは事故の原因や安売り競争の原因になるので。でもこれは、今後の条例でやっと改正になります。実はついさっき最終確認したところなんですよ。これによって、ダイビングショップが乱立している問題も減っていくでしょう。
稲井さん
ただ、課題点はそれだけじゃない。語りだしたら、1日どころか、3日でも終わらないよ(笑)。今度沖縄に来たら教えるから、ぜひ遊びに来てくださいね。海の中は、素晴らしく綺麗ですから。
今後も積極的に業界の改革を進めていく稲井代表取締役。なんど壁にぶつかろうが諦めずに進み続けてきた彼は、いったいどれだけの時間をこの業界に費やして来たのだろうか。
そして今もなお、「この業界の現状を知ってもらい、仲間を増やしていきたい」と語る彼の取り組みに、今後も目が話せない。
写真提供:マリンハウス シーサー