PADIのコース改定の背景にある20年間のパラダイムシフト~テクニカルダイビングの台頭と自立したダイバー認定~

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セブ島の魚の群れとダイバー(撮影:越智隆治)

PADIコース改定の背景にある
レジャーダイビングのパラダイムシフト

前回、PADIオープンウォーター・ダイバー・コースの改定についてお話ししましたが(20年ぶりの大改訂でPADIオープンウォーターダイバーコースはどこが変わるのか)、今回は、まず、PADIがどのような理由で改定を行なったかを見てみましょう。

公式な改定アナウンスは、昨年11月の「DEMAショウ」の直前に、PADIメンバーを対象に季刊で配布される「アンダーシー・ジャーナル」と「トレーニング・ブルティン」(2013年第3号英語版)でした。

その後、ダイビング産業内向けで世界最大の国際見本市と呼ばれるフロリダ州オーランドで開催された11月の「DEMAショウ」で、新しいオープン・ウォーター・ダイバー・マニュアルを始めとする一連の改定インストラクション教材(英語版)を発表しました。

その「アンダーシー・ジャーナル」と「トレーニング・ブルティン」、「DEMAショウ」でのセミナーで、今回の改定は、第1に(プログラムの)近代化(modernize)とダイバーの要望、2番目にコースを教えているインストラクターからの批評(comments)、そしてPADIコースの安全性の向上である、と3つの理由を挙げています。

これだけを見れば、これらの理由はあまりにも当たり前すぎて、何の面白味もありません。
もっとその背後にある具体的な理由は何かを探る試みが、この小論考の主題なので、もう少し掘り下げてみなければなりません。

つまりこの20年の間に、レクレェーショナル・ダイビングを取り巻く世界に何が起り、何から影響を受けようとしているのか?
このパラダイムシフトが何によって起ろうとしているのか?

この疑問の答えを”妄想”してみようということです。

改定内容から読み解く
PADIの意図とは?

PADIが、新しいプログラムを開発して市場に投入する、または既存のプログラムに大きな手を加える、あるいはそうしなければならないと判断する要因は、ダイバー認定数と器材販売の動向、メンバーからの意見、テクノロジーの進化による新器材の出現、コンペティターとの関係や新しい競争相手の出現、地域紛争などの地政学上の影響、そしてダイビング事故や訴訟などです。

これらの要因から、新プログラムを出す、または改定するという仮説を立てたとき、通常1年程度の期間をかけて市場調査を行なって裏付けをとり、必要であれば新プログラムや改定プログラムのベータ・テストを行なって評価し、修正した後に発表します。

そこで、今回の「PADIオープンウォーター・ダイバー・コース」の改定で追加され、強化された、特に私が注目する項目について、コースの骨格を構成する以下の3つ分野別に掲げます。

知識の開発

  • ターン・プレッシャー(編注:折り返し地点での残圧)と安全停止時に必要な予備を含むガス・マネージメント
  • ダイバーが3人のバディ・システム
  • ガス・ナルコシス(酔い)

スキルの開発

  • エア・マネージメント
  • トリム(姿勢・バランス)の調整と決定
  • バディに接触可能な位置の維持
  • 潜降から浮上までの中性浮力の維持
  • ミニダイブ

オープン・ウォーター・ダイブ

  • サーフェス・マーカー・ブイの打ち上げ
  • ダイブ4はバディ・チームで計画を立てダイビングをやり遂げる(execute)

このように概観してみると、追加や明確化、強調された項目から、今回の改定の大きな意図が見えてくるのですがいかがでしょうか?

テクニカル・ダイビングの概念の運用と
自立したダイバーを認定するために

これらの追加、または強化項目に共通するものは、明らかにテクニカル・ダイビングからの概念と運用、くわえて自立したダイバーの認定を目的とするものです。

例えば、ガス・マネージメントで伝えられる概念は、ダイバー自身が残圧管理を行なうのは当然として「ターン・プレッシャー」、さらに「安全停止開始時に最小限残すべきガス量」、言い換えると“ミニマム・ガス”や“ロック・ボトム”と呼ばれるテクニカル・ダイビングの概念です。

これまでにも「ストリームライン」という言葉で、流体抵抗が少なく移動効率の良い“ダイバーの水平姿勢”を説明していましたが、今回は明確にテクニカル・ダイビング用語の「トリム」を使って説明し強調されています。

PADIの改定されたオープンウォーターマニュアル

他にも“チーム”または“ユニット”という概念で運用される「3人のバディ」、水中から「サーフェス・マーカー・ブイ」を打ち上げるスキルは、テクニカル・ダイビングでは当たり前に行なわれます。

別の面から注目すべきは、バディ・システムの運用強化、またプールの「ミニダイブ」の実施と「バディで計画し、やり遂げる(execute)」ことを達成条件とした最終ダイブの「ダイブ4」でしょう。

プールで開発され獲得したスキルを使って、あらかじめプールでシミュレーション・ダイブを経験させ、その後、移行したオープン・ウォーター環境で最後の認定ダイブを、インストラクターの監督下ではあるものの、「自分たちで計画実行する」という極めて現実的な“卒業ダイブ”を求めています。

なぜ、今なのか?
改定のタイミング

では、なぜ今このタイミングで、PADIのダイバー・トレーニング・プログラムの根幹である「オープン・ウォーター・ダイバー・コース」を改定する必要があったのか? という疑問に対する仮説を“妄想”してみましょう。

PADIが標榜するゴール、すなわちPADIという企業が存在する目的と意義は、「高質で最も安全な教育プログラムを通して世界中にスクーバ・ダイビングを普及する」というものです。

1960年代中盤に誕生し、これまでの50年でほぼレクレェーション・ダイビング教育市場の大部分を占めるまでに成長を遂げ、良くも悪くも市場と産業に大きな影響を与える存在となりました。

一方で、この20年ほどの間に、新たに「テクニカル・ダイビング市場」が誕生し、少ないとはいえ、テクニカル・ダイビング教育機関が誕生してテクニカル・ダイバー認定活動を行っています。

しかし近年、これらのテクニカル・ダイビング教育機関では、レクレェーショナル市場への進出が始まり、彼らのプログラムで、「オープン・ウォーター・ダイバー認定活動」さえも始まっています。

そしてその結果、当然、想像可能な事ですが、現時点ではわずかな数ですが、理論知識とスキル能力のたいへん高い「オープン・ウォーター・ダイバー」が出現しています。

例えば、テクニカカル・ダイビングの指導団体である、IANTDやSDIでは、空気またはエンリッチド・エア・ナイトロックスが使える21mまでのオープン・ウォーター・ダイバー・プログラムを持ち、GUEとそこからスピン・アウトしたUTDは「レクレェーショナル・ダイバー・レベル1」という名称で、8ダイブから14ダイブの“オープン・ウォーター・ダイバー・プログラム”を提供しています。

私は、国内ではまだ遭遇した事がありませんが、これらのビギナー・ダイバー・コースで認定を受けた、“非常に出来の良いビギナー・ダイバー“とともにダイビングを楽しんだ経験が複数回ありますが、おそらく彼等・彼女等は、高いスキルのレベルで裏打ちされた安全ダイビングを続けて、余程の理由が無い限りドロップ・アウトすること無く、ダイビングを生涯の趣味とするであろうことは容易に想像ができました。

このことの意味は「高質で最も安全な教育プログラムを通して世界中にスクーバ・ダイビングを普及する」というPADIにとっては、将来、強力な競争相手が出現する可能性がある、と判断しても驚きではないだろうということです。

くわえてこの状況は、要求度の高いテクニカル・ダイビング教育機関のテクニカル・ダイバー・トレーニングを受けたことがある、あるいはそれらのインストラクター資格も併せ持つPADIインストラクターやコース・ディレクター達が最も良く理解しているはずです。

“失われた20年”とならないために……

したがって、今回の改定から力強く明確に伝わるメッセージは、この20年の間に著しく成長し、なお進化を続ける「テクニカル・ダイビンング」からのアイデア、安全手順、スキルを導入して、ビギナー・ダイバーの危機回避能力を高めること。

そして、その反射的な利益として水中環境に現実的に配慮できる技量を持った、さらに本来のオープン・ウォーター・ダイバー認定の目的であった、日中の良好なコンディション下で18m以浅という限定的な条件下であるものの、「バディ・ダイブ」の出来るダイバーを育成することに他なりません。

構造上の変更がない今回の改定は、一見、大きな改定ではないかのよう見えてしまいますが、この改定された「オープン・ウォーター・ダイバー・コース」で基礎トレーニングを受けて水中世界の扉を開いたビギナー・ダイバーが、その先にある多様な楽しみ方と、さらに、いわゆるテクニカル・ダイビングまでを射程に入れた、大きな意味での「レクレェーショナル・ダイビング」に長くかかわっていられるようにプログラム設計を改めた、実は大胆な舵切りをした大改定であることが分かります。

ひるがえって、ダイビング・インストラクターとダイビング・ファシリティーには、換言するとわれわれ日本のダイビング業界は、これまでサボってきた“ツケ”の清算を、この“やりがいのある課題”で突き付けられた、ということになります。

申し遅れましたが、これまでの既存のプログラムの使い方を独創的な発想で工夫し、想像力を使って練り上げたコースの運営で自立したPADI オープン・ウォーター・ダイバーの認定と育成に腐心されてきたインストラクターと、認定の意味と定義を良く理解して、バディ・ダイブを受け入れてきたダイブ・ファシリティと現地サービスの皆様には、この失礼をお詫びいたします。

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PROFILE
DIR-TECH Divers' Institute を主宰し、東京とフィリピンの拠点を往復しながらダイビング・インストラクション活動を行なう。
「日本水中科学協会」および「日本洞穴学研究所」所属。
 
最近の主な監修・著作に「最新ダイビング用語事典」(成山堂書店)、連載「世界レック遺産」(月刊ダイバー)、「遊ぶ指差さし会話帳・ダイビング英語」(情報センター出版局)など。
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