スキューバダイビングのガイドは“命を預かる”ことが仕事なのか? ~Cカード講習の本音と建前のしわ寄せ~
「ガイドはゲストの命を預かっている(守っている)」
ガイドさんからちょくちょく聞く言葉ですが、複雑な気持ちになります。
真面目で誠実なガイドさんほど、こういう思いが強く、その場では特に何も言えなくなるのですが、心の中では、「それって、ひょっとしたら、一番大事な自分の人生と、愛する家族を守れないかもしれませんよ」と思ってしまうのです。
※注:ここでは、便宜上、インストラクターはCカード講習をする人、ガイドはファイダビングのガイドをする人としています
そもそもCカード講習とは、簡単にいえば「自分のことは自分でできる」ダイバーを認定するということになっていますが、現実的にはそうなっていないケースがあるのは明らかでしょう。
そんな本音と建前のせいで、ダイバー(ゲスト)にしわ寄せがくるのはもちろん、実はガイドにも大きなしわ寄せがきています。
ダイビング事故が起きた時、裁判になれば現場における因果関係が重要で、例えば、どんなに未熟なCカードホルダーだとしても、認定したインストラクターより、案内したガイドの責任が問われるのです。
※しかも、初めて会ったゲストたちが混在のチームも珍しくありません
Cカード認定が正しく行なわれている状況であれば、ガイドが「ゲストの命を預かっている」と言った時、それは、一種の“矜持”のようなものでしょう。
一番その海を知っている自分が、安全に潜る方法を伝え、海況の変化に対応し、ゲストの身を守ろうとするカッコいい姿勢、心構えです。
しかし、Cカード認定の前提が崩れているのであれば、「ゲストの命を預かっている」というのは、ゲストのスキル不足、イントラの手抜きのリスクもすべて引き受けるということにもなり、文字通り、命を預かっている状況になりかねない。
ゲストに対する健全な“矜持”であったはずが、“管理責任”となって、ダイビング事故が起きた時に重い責任を問われる可能性があるのです。
ずっと言ってきたことですが、問題は、ファンダイビングやガイドの職責に関するガイドラインがないことでした。
また、引いては、このような問題に関心がない、リスクに無自覚なガイドが少なくないことも背景としてあることは指摘しておきます。
※混同されがちですが、Cカード講習においては、インストラクターがやるべきことは明確になっているので、ファンダイビングのガイドとは分けて考える必要があります。
明文化された「水中ガイドの役割」
しかし、現実は……
ここへ来てようやく、公益社団法人日本レジャーダイビング協会とレジャーダイビング認定協議会が、「水中ガイドの役割」を明確に表明しました(2016年7月6日)。
■水中ガイドの役割
ごくごく簡単にいえば、「ダイビングは自己責任が基本で、ガイドはあくまでリスクの告知と海を案内するのが仕事だからね」ってことです。
業界としてガイドラインができたことは評価ができますが、現実はその先をいっています。
実際のダイビング事故の裁判では、すでに、少なくともガイドの職責には“監視義務”があることに議論の余地はなく、前提になっています。
とある事故の判例を見てみましょう。
この刑事裁判の争点は、以下3点でした。
1.ゲスト(事故者)がエントリーに失敗したことなどから事故の予見可能性があったか
2.ガイドは事故者とバディを組み、事故者を自己から1メートル以内の所において、5秒から10秒に1回観察するという義務があったか(ガイドの注意義務)
3.これらの注意義務を果たしていれば事故を回避することができたか
「1メートル以内にゲストを置く」「5秒から10秒に1回観察する義務」なんてのが争点になるの? と率直に驚くわけですが、ガイドの皆さん、そんなことが義務になった日には魚なんて探せないですよね?
そして、ここで裁判所が「ガイドに、海中で客と3~4メートルの距離を保ち、排気の泡の状態や泳ぎ方、マスク越しにうかがえる表情を確認する以上の注意義務があったということはできない」という判断を示したというのは、裏を返せば、それぐらいの注意義務はある、とも受け止めることができるのではないでしょうか。
もう、案内人ではいられないのです。
では、ガイドはどうやって身を守ればいいのか?
個人レベルでは、まずは、今回発表された「水中ガイドの役割」でもいいですし、各ダイビングエリアのローカルルールでもいいので、ある程度、議論された上でガイドの役割を明文化し、ゲストに告知しておくことが第一歩かもしれません。
とばっちりを受ける
一般ダイバー
ここまでは、あくまでガイドの立場からの考察です。
ガイドがその役割を明確にした時、一番とばっちりを受けるのはゲストダイバーです。
つまり、極論をいえば、Cカード講習を適当にやられた上に、ガイドには「あくまで案内人ですから自己責任で潜ってね」と言われても、当然、「ちゃんと教えられてもいないのに、都合のいいように自己責任を持ちだされても……」となります。
実際、先述の裁判では、裁判所はCカードホルダーのダイバーについてこう言っています。
検察官からは「事故者のダイビングスキルは体験ダイバーにとどまるものであったのだから、事故者はCカードを有していないダイバー同様に扱うべきであった」という趣旨の主張もなされましたが、裁判所は「Cカードを保有するファンダイバーは基本的には自ら危険を回避することができるスキルを備えているものと見なさなければ、資格制度の意味はなくなるから、体験ダイバーとCカードを保有するファンダイバーとを同列に論じることはできない」としています。
つまり、Cカードを保有するダイバーは、例え、手抜きの講習をされた場合でも、実際の技量とは関係なく、「自ら危険を回避できるスキルを備えているもの」とみなされる可能性があるということです。
なので、是非でなく、現実論で考えるなら、Cカード講習には本音と建て前があり、未知の世界で講習者がリテラシーをきかせにくいという事情を考えると、この記事にいきつくような一般ダイバーは、まずは、Cカード講習でどんなスキルを身に着けることになっているか、チェックしてみてください。
そして、スキルが身についてないのに認定されていたら、「たったの2日で取得できた!」とか「マスククリア免除してもらっちゃった!」なんて喜んでいる場合でなく、怒った方がいいんじゃないですかね。
若手ガイドに「命を預かれ」は精神論
若手イントラに「講習ちゃんとやれ」だけでは無責任
結局は、ちゃんとCカード講習をやれよって話で、そうすればガイドもダイバーも困らないわけですが、これは特定の指導団体やショップ、イントラが悪いという域を超えて構造の問題でしょう。
それぞれがそれぞれの立場でちょっとずつ改善したり、動くしかないのでしょうね。
それが、例えば、ガイドでいえば「水中ガイドの役割」の表明であり、僕らでいえば「バディダイビング(セルフダイビング)の普及」であったり、こうした問題をお伝えすることだったり……。
※
ダイビングの責任論について話すとき、どの立場で考えるかによって見え方、提言の内容は変わるわけですが、割とすべての視点で見ることができる立場にいる自分としては、バックに指導団体がいるインストラクター(Cカード講習をする人)や消費者庁や世論がバックにあるダイバー(消費者)に対して、ノーガードで立っているガイドという構図に見えるわけです。
山のガイドは、ガイドとしての協会が存在し、ガイドラインはもちろん、資格もありますが、ダイビングにはありません。
ダイビング訴訟を扱う弁護士も、以前から「業界としてのガイドラインの必要性」を強く訴えていました。
以前、こんなことがありました。
とある山岳事故をきっかけに、旅行業界では、レジャー、アウトドアツアーの運行ガイドラインの作成、見直しがはかられ、山については、登山業界と組んで「ツアー登山の運行ガイドライン」を作成しました。
しかし、ダイビングやガイド業には、それらを統合する組織やガイドラインがなく、困ったとある大手旅行会社のダイビング部門の担当者が僕のところに相談にきて、結局、僕らのチームで安全基準のガイドライン作成のお手伝いをさせていただきました。
後に、ダイビングサービスから、「こんな厳しいガイドラインを作りやがって!」というお叱りを受けたりもしましたが、「だったら、自分たちで作ってよ」というのが率直な気持ちで……。
そんな背景もあって、冒頭の「ガイドはゲストの命を預かっているんだ」はリスク大きいよそれは、と思うわけです。
そして、当然、そんな状況では、若い人にとっても魅力ある職業になりません。
現地ダイビングサービスのオーナーが、若手ガイドに「ガイドはダイバーの命を預かっているんだ」なんて言っているのとか聞くと、“無自覚に”ものすごいリスクを押し付けているように聞こえるし、都市型ダイビングショップのオーナーが、若手イントラに、十分な時間を与えずに「規準通りちゃんと講習をやるんだ」なんて言っているのを聞くと、“気づかないふりをして”矛盾を押し付けているようにしか聞こえません。
しわ寄せは弱い立場にいくもの。
「若手、早くそこから逃げて!」と言いたくもなります。
もちろん、オーナーレベルのガイドさんの中には、問題意識のある方はたくさんいます。
しかし、先述した通り、構造上の問題でもあるし、今すぐどうこうできるわけでもありません。
だとしたら、少なくとも矛盾と向き合い、嘘をなくし、「ダイバーの命を預かっているんだぞ!」という精神論を注入するのではなく、「ガイドの職責」といったテーマで若手ガイドとワークショップしたり、詳しい人を呼んで勉強会を開いてあげたりしてほしいなと思います。
素敵なガイドさんが、そして、海の仕事に憧れを持つ若者が、安心して働けるような職場になることを願わずにはいられません。