「東北の海のためにダイバーができること」三陸ボランティアダイバーズ特集

第2回:ひろがる惨状、あつまる支援

日本でつながっていった支援

佐藤寛志は130kgの巨体であることから、“くまちゃん”という愛称でダイバーから親しまれている。
地元である花巻市に戻ったくまちゃんの眼前に広がったのは、何度も日本中のメディアで流れたような惨状。かつてお客さんを連れてガイドをした場所も、3月11日以前の面影はなかった。

くまちゃんは、まずはその様子を発信することから始めた。
2009年から始めた、川でサケの遡上を観察するサーモンスイム。その舞台となる川の状況をブログにアップした。

それに反応したのが、そのサーモンスイムツアーに参加したことがあるビッグブルーの常連客たち。かつて自分たちが訪れて愛着を持っていた川や山の惨状を知り、支援の輪が広まっていった。

早乙女祐基と、ツアーの窓口となっていた写真家の楠哲也はいち早く「くまちゃん義援金」(※現在は「くまちゃん寄金」)の口座を開設し、支援を取りまとめるようにした。

口座にはあっという間に30万円が集まり、すぐに現地のくまちゃんの元に届けられた。

“すぐに使ってもらえるお金”として注目を浴びる

そうして集まった30万円で、くまちゃんは現地のスーパーに行き必要な物資を買い、被害の大きい沿岸部に運んだ。内陸の方はスーパーがまだかろうじて営業していた。

救援物資をトラックに乗せる佐藤寛志(くまちゃん)

それから数日が経ち、徐々に花巻や盛岡の物流が滞ってくると、東京からの支援は“カネ”から“モノ”に変えた。東京で買った救援物資を花巻に集約し、そこから毎日くまちゃんが車で沿岸部に届けるようにした。

寄付したお金や物資が、被災地にすぐ、直接、届く。そのくまちゃん義援金の評判は、震災後の状況下で、ボランティア意識の高い人たちを中心に話題となった。使用用途や配分に議論の時間がかかる義援金ではない寄付として、ダイバーだけでなく一般の人たちにもmixiやFacebookを通じて伝わっていった。

日本を代表する水中写真家の一人、越智隆治もいち早くこの活動を広めた人物の一人。海外のダイバーにも顔が広い越智がFacebookで支援を募ると、ヨーロッパ、アメリカ、アジアからあっという間に大量の支援物資が届いた。越智の自宅はすぐに各国からの段ボールの山で埋まった。

くまちゃんという被災地での拠点に向けて、日本中・世界中から支援が集まっていった。くまちゃんは130kgの巨体を揺らしながら、物資を被災地に搬送する日々が続いた。

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