“サンゴ博物館”と呼ばれる辺野古のボートポイント「中ノ瀬」に初潜入

沖縄 辺野古 撮影:中村卓哉

パラオハマサンゴをはじめさまざまな種類のサンゴが集まるポイントへ。そこはまさに天然のサンゴ博物館

1ダイブで1km泳ぐ、
過酷なビーチエントリーを続けてきた理由

辺野古・大浦湾の海へ通い出したのはかれこれ16年前のこと。
ジュゴンの空撮、アオサンゴをはじめとする貴重なサンゴや、魚たちを数多く撮影してきた。

沖縄 辺野古 撮影:中村卓哉

2003年に撮影した辺野古のジュゴン

しかし、そのほとんどがビーチエントリーによるダイビングであるため、当然岸からでは到達できない場所へは潜れていなかった。
 
私が岸からのビーチエントリーにこだわったのは、やんばるの森から注ぎ込まれる栄養たっぷりの川の水に注目したことにある。
山から海への栄養の循環を表現するためには、岸からサンゴ帯にかけて変化する海の色のグラデーションが大切だと思った。
よって、1ダイブ1kmほど泳ぐ過酷なビーチエントリーにこだわって、栄養の循環をテーマに撮影してきたのだ。

大浦川上流の森を流れる清流

大浦川上流の森を流れる清流

しかし、今回地元の方々にご協力いただき、大浦湾の「中ノ瀬」と呼ばれるリーフポイントへ初めて潜ることができた。

ボートポイント「中ノ瀬」
初めて潜って見た景色

空から見る辺野古・大浦湾。湾の中心部にも広大なリーフが広がっていることがわかる。

空から見る辺野古・大浦湾。湾の中心部にも広大なリーフが広がっていることがわかる。

サンゴ博物館とも呼ばれる「中ノ瀬」は潜っている人がほとんどいない。
そのなかの数少ない一人、ダイブショップ桜海(おうみ)の岩本俊紀さんが今回撮影のために快くガイドを引き受けてくれた。

また、もう一人ご協力いただいたのは相馬由里さん。
普段は辺野古を守る活動をしている抗議船の船長だが、岩本さんと一緒に「中ノ瀬」を潜って撮影してほしいと、今回特別に船を出してくれた。

岩本さんが水面をひたすら泳ぎ、根を探すこと約1時間。
だだっ広い荒野の中にひょっこり現れるようにその根は存在した。
まさにそこはサンゴの博物館だった。
ウエディングケーキのように積み重なったパラオハマサンゴの群体がひときわ存在感を誇示している。

中ノ瀬のサンゴ博物館と呼ばれる海の景観

中ノ瀬のサンゴ博物館と呼ばれる海の景観

ウエディングケーキのように積み重なったパラオハマサンゴの群体

ウエディングケーキのように積み重なったパラオハマサンゴの群体

しかしよく見ると、その周囲も一切着底できないほど多種多様なサンゴでひしめき合っていた。
さらに根を広範囲にまわると、うっすらと巨大な山のような影が見えた。
近づいて見ると山のような根の一面がさまざまなサンゴで覆われている。
まさに辺野古・大浦湾はサンゴでできた湾なのだと、この「中ノ瀬」の姿を見て確信したのであった。

さまざまなサンゴで覆われた巨大な山

さまざまなサンゴで覆われた巨大な山

ボートに戻る途中、浅瀬の一角にツツジの木のように丸くなったサンゴが密集する場所があった。
ユビエダハマサンゴだと思って近づくと、なんと塊状に育ったアオサンゴだったのだ。
大浦湾には柱状に育った巨大なアオサンゴの群落が有名だが、このように丸く塊状になって育つアオサンゴは非常に珍しい。

塊状のアオサンゴが密集する「中ノ瀬」

塊状のアオサンゴが密集する「中ノ瀬」

16年間、この海を広範囲に撮影してきたつもりでいたがそれは氷山の一角にすぎなかった。
今回ボートで潜ることにより、さらに辺野古・大浦湾の偉大さを知ることになった。

まだまだ通いつめて、今後も私なりにこの海の魅力を随時発信していきたいと思う。
(協力:ダイビングショップ桜海)

\メルマガ会員募集中/

週に2回、今読んで欲しいオーシャナの記事をピックアップしてお届けします♪
メールアドレスを入力して簡単登録はこちらから↓↓

writer
PROFILE
1975年東京都生まれ。

10才の時に沖縄のケラマ諸島でダイビングと出会い海中世界の虜となる。

師匠は父親である水中写真家の中村征夫。
活動の場を広げるため2001年に沖縄に移住。その頃から辺野古の海に通いながら撮影を始める(現在は拠点を東京に置く)。

一般誌を中心に連載の執筆やカメラメーカーのアドバイザーなどの活動もおこなう。
最近ではテレビやラジオ、イベントへの出演を通じて、沖縄の海をはじめとする環境問題について言及する機会も多い。

2014年10月にパプアニューギニア・ダイビングアンバサダーに就任。

■著書:『わすれたくない海のこと 辺野古・大浦湾の山 川 海』(偕成社)、『海の辞典』(雷鳥社)など。
FOLLOW