小さいトラブルが大きな悲しみに。潜水事故の事実が教えてくれること
ダイビングの事故を数字で見るとき、普通のメディアは海上保安庁(以降、海保)のデータで足りるとすることが一般的です。
しかし海保は、正式な手続きがないと事故を認知できず、統計資料にも反映できません。
ですからその数字は、常に事実より少なくカウントされます。
また、事故者は生存だったと公式に記録されたり発表されても、その事故者が数日後から数か月後に入院先で死亡したり、あるいは植物状態となったり、脳に障害が残ったり、車いすの生活となったり、排尿も自分でできない障害受傷者となっている人々がいます。
減圧症から職を失った人もいました。
彼らは統計の数字からだけ見れば、何事もなかったような印象を受ける「生存」と分類されています。
拙著「最新版 忘れてはいけない ダイビングセーフティブック」(太田出版)では、ダイビング事故者の苦悩と悲しみの実態を紹介しています。
字数の関係ですべては紹介できませんが、教諭がインストラクターとなった講習で高校生が溺死した事例、海外にある日本人経営の“優良ダイビングショップ”でファンダイビングを行った客二人がボートのスクリューに巻き込まれた事例、そして浅くて明るいところでファンダイビングを行なうという条件での契約でダイビングの現場に行ったら、土壇場でキャンセルできない状況からやむを得ず深く暗いダイビングに連れていかれることになり、結果、減圧症になって重度の障害を負った方の実例を、写真入りで紹介しています。
これらは、従来はなかったことにされていた可能性が高い事実の数々です。
ただ、多数の潜水事故事例を調べて見えてくるものは、事故の多くは、本人やプロ側がわずかな注意や安全対策を怠ったり、身勝手な行動をとったり、無知と油断が背景にあったり、または安全への投資をケチる気持ちや目先のわずかな利益を優先させた結果だったり、あるいは個々の優越感への「欲」などによって、小さなトラブルをその発生時点で解決することができずにエスカレーションさせた結果だったということです。
潜水事故の予防は、小さいトラブルをいかに小さいうちに解決するかにかかっているのです。
自分か誰かのわずかな手抜きや油断の結果がもたらす結果の累積は、ダイビングを甘く見てはならない厳格な理由となっています。
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