もうひとつの沖縄

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プロフェッサー・パパもんの「我潜る。故に我あり。」

パパもんの本業は大学教員だ。
もう20年くらい前から訳あってゼミ合宿は沖縄に出かけるのが
パパもん「陸上」塾の恒例行事である。潜水塾ではなくて「陸上塾」?

なにせうちの大学は「塾」であり、おまけに「陸の王者」を自負してるからね。
この言い回しはタテマエ的にもうちの建学の精神に適合する。
海以外のこともこなせるのが水陸両用型ナビゲーターのパパもんの売りだ。

なぜ沖縄なのか。

まずは「その方が結果として安く済む」という金欠学生に
(そして一介のサラリーマン教員にすぎないパパもんとっても)
優しい実利的な理由がある。

近年は航空燃料費の高騰のあおりをくって、以前ほど安く済ますことはできなくなったが、
それでも5泊6日のパパもん塾の合宿でかかる費用は8万円を超えない事が計画目標だ。
ダイビングにも一日をあて、レンタカーを借りて基地や戦跡を見て回る費用も、
毎晩繰り広げられる宴会費用もすべてコミコミにしての話である。

伊豆や河口湖といった東京近辺で2泊ほどする合宿を企画したところで、
昨今は交通費込みで3万円くらいかかるのが相場だから、
この沖縄合宿のお得感はハンパない。
もちろん、ここまで安くあげるには長年培ってきたノウハウがあるんだけど、
その秘訣はここでは明かさないことにする。皆にまねされれば秘訣じゃなくなるからね。

しかし、れっきとした「学問的」理由もある。パパもんが教えているのは政治学。
そこで一番重要なのは民主主義の問題で、わかりやすく言えば、日本の社会全体のために、
そのしわ寄せを一部の少数者に押しつけていていいのかということが問題となる。
そしてそうならないためには何が必要なのかを制度面も含めて考えることが大切になる。

そういう観点から沖縄を見るとどうだろう。

そこに浮かび上がるのは、戦前・戦中・戦後と一貫して
日本「本土」を生かすための捨て石扱いをされてきたのが沖縄の姿だ。
このことを学生たちには肌で感じて欲しいというのがパパもんの願いだ。

戦前には琉球処分による暴力的な「侵略」の対象となり、
大日本帝国に「植民地」化されたのが琉球王朝である。
日本にして日本ではないという差別にさらされつつも、そのように差別され、
中心から離れた周辺に置かれている、そういった人ほど、
天皇制国家の本当の一員になりたいとする心理構造を持つようになる。
辺境に住む人ほど都会人に憧れるのと同じだ。
都会人は都会人になりたいなどと思いもしない。

太平洋戦争時ではどうだっただろうか。
「本土決戦」に持ち込むための時間稼ぎとして、
勝つ見込みのない無用な戦闘の長期化を強いられたのが沖縄戦の実態だった。
そのなかで日本軍による現地住民虐殺事件も多発した。

また戦後になってもこの島にだけは平和は戻らない。
基地の島としての沖縄の姿がそこにある。日本の米軍基地の75%が沖縄にあり、
沖縄本島の陸地面積に対して基地が占めるその割合は20%にも達する。

青い海と白い砂浜の常夏の楽園、沖縄のもうひとつの顔がそこにある。
パパもんが沖縄にこだわりを持ち続けているのは、海が素晴らしいだけではない。

 

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