ダイビング練習中の同期の死
体育会系ダイビングクラブは厳しくもあったが、
練習するごとに上達するのがわかり、ダイビングの楽しさも芽生えてきた。
練習中は冷徹な上級生も、終われば愉快な人たちであり、
1年生には親身に目をかけてくれ、よく飲み、よく笑い、かけがえのない仲間となった。
そんなクラブの活動が突然終わった。
1年の総仕上げとなる秋合宿の最中、同期のS君が亡くなったのだ。
原因は練習中の事故だった。
学生クラブは、ダイビング経験が3年に満たない学生がリーダーとなり厳しい練習を行う。
体育会系気質の部員が集うため、マッチョな伝統は徐々にエスカレートする。
学生だけで孤立した活動を続けてきたことが最悪の結果を招いてしまった。
事故後、クラブは活動を停止した。
あれから25年以上経過する。
どんなに時間が経っても、元気に海に出かけた大学1年生の息子を
永遠に失った家族の悲しみが、癒えることはないだろう。
私と同じ歳のS君、生きていたらどんな仕事をして
どんな家庭を築いていたのだろうか、今でもふと思うことがある。
若くして将来を失ったS君がいちばん無念であっただろう。
クラブはこれまでの活動や事故の統括を行い、事故から1年後、
当時「藤村スイムスクール」に所属していたOBのインストラクター・小松一平さんや
村田幸雄さんが指導を引き受けてくださり、
正しい知識を持つプロのもと、I君と私が執行部となり再開した。
その後の法政アクアは、何人もの学生イントラ、テラのような変わり種を輩出した。
クラブから巣立ったOBは200名以上、彼らにはそれぞれ青春の物語があるだろう。
今年は東日本大震災後、ダイビングを始めようとする人が激減している中、
勢いのある1年生が9名も入部し、2年後には50周年を迎える。
私はというと、多くの人の助けを得て、執行部を務め上げた一方で、
活動停止中、ダイビングができなくなってしまった私をふびんに思った父が、
アシスタント兼おまけとして、TVの撮影現場に何度か同行させてくれ、
水中リポーターの道へ近づきつつあった。