テラ編集長と私

こんにちは。須賀潮美です。

父・須賀次郎がダイビングの黎明期を振り返る連載「ニッポン潜水グラフィティ」を、
現在発売中の『月刊ダイバー』12月号から始めました。
日本に初めてスクーバが登場した頃の貴重な写真などもあります。
ぜひ(買って)読んでください。

さて、今回は先日のテラの日記「Dコミュ隊員と僕」で
私のことを書いたものへの返信です。

寺山君と初めて会ったのは、彼が大学3年生の終わり頃、
一学年上の先輩たちの「追い出しコンパ」の時だった。

その頃私は、すでに卒業して10年以上経ち、
学生とほとんど接点はなくなっていたが、
古参OBから「今年は参加せよ」と指令を受け、久しぶりに参加した。

ダイビングクラブの学生なら、ダイビングを職業とする先輩には
いろいろ聞きたいこともあるのではと答える気満々でいたものの、
学生たちは突然現れたOGと何を話していいのか分からないらしく、
まったく会話が噛み合わない。そんな中、唯一会話が成立したのがテラだった。

ダイビング業界や旅行業界に興味があるらしく、
私の仕事は楽しいかというようなことを聞かれた。

仕事となれば楽しいことばかりではないけれど、好きで始めた仕事なのだから、
愚痴めいたことは一切言わないと決めている私は、
どんなに楽しいか、どんなにやりがいがあるのか、いい部分だけを話した。

そんな話をしたこともすっかり忘れていた1年後、
テラから1枚のはがきが届いた。
私の話を聞き、ダイビングを仕事にしたいと思い、
水中造形センターに入社した。今後もよろしくお願いします。
というようなことが書かれていた。

ダイビングを仕事にしたい、テレビの仕事をしたい、
ライターになるにはどうしたらいいのなど、
後輩や若い人に相談されることは少なくないが、
親身になって答えても、その後はまったくお礼も近況報告もないのが当たり前。
それなのに、テラは進路相談を受けた訳でもなく、
飲み会の雑談に過ぎなかったのにお礼状まで送って来るなんて。

「なんて礼儀正しい、偉いヤツなんだ!」

この時、テラ青年の好感度は200%に跳ね上がった。
その後、テラは『マリンダイビング』で、
私は『月刊ダイバー』にいたことから仕事で接点はなかったが、
ときおり誌面で金ピカの変な格好をして潜るテラ、
下ネタ満載の「スキルアップ寺子屋」などを目にすると、
私にあこがれて入ったと言っていたけれど、
果たして彼は幸せなのだろうか…とふと不安になった。

けれども、今ではレジャーダイバーなら誰もが知る人気者であり、
サイトを主催し、スキル本まで出すほどの活躍ぶりを私も誇らしく思う。

テラよ、いろいろ大変なこともあるでしょうけれど、
好きなことを仕事にしてよかったと胸を張ってがんばってほしい。

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