船長に裏切られ、後ろ手に縛られたまま海に落とされて生還したスリランカ人の話

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クダベラの魚村から沖に出てきた朝日を眺める

クダベラの魚村から沖に出てきた朝日を眺める

取材で世界中の海を旅していて、たまたま旅先で知り合った現地の人の信じられないような体験話を直接聞けることも、旅の醍醐味の一つでもある。

ミクロネシアのチュークでは、自分の赤ちゃんが産まれてくるたびに、自分だけの手で取り上げたスーパーお父さんガイドの話を聞いて、当時、自宅水中出産をしようとしていた自分たち夫婦の不安など、大したことないと思ったり(しかも、自分一人で5回も取りあげたと言っていた)。

手作りのカヌーでヤップから海を渡り、日本までたどり着いた現地人の気の良いおっさんの話やら。
50歳過ぎても筋肉隆々のそのおっさんの身体見ていると、なるほどなと妙に納得しちゃったり。

すぐには、パッと思い出せ無いけど、そんな人たちの話を聞いていると、「自分のした経験なんて本当に大したことないよな〜。何も悩む必要ないよな〜、まあ、いまだに生きてるんだし」と思ってしまうことも多い。

たまたま停泊した漁村で出会ったある男性の壮絶な体験談

スリランカでクルーズ中、KUDAWELLA(クダベラ)というスリランカの南にある小さな漁村の沖にヨットを停泊させたある日。

クダベラの漁村

クダベラの漁村

ちょっと岸から近過ぎないかなと不安に思っていたら、案の定、ヨットを見つけた10歳から17歳くらいの村の男の子たち3人が泳いでヨットまでやってきた。

当然追い返すのは悪いので、ヨットにあげてあげたんだけど、その後がまずかった。
その様子を見ていたのか、岸からワラワラと男たちが泳いでヨットにやってくる。

ビーチからヨットまで泳いできたスリランカ人の男の子たち

ビーチからヨットまで泳いできたスリランカ人の男の子たち

まあ、子供だからいいかと思っていたら、「全員、おっさんやん!」そのほとんどが強面で色黒の顔をした大人たち。

しかも、中にはすでに酔っ払っている奴もいた。
気づくと10人近くの上半身裸、下も普通の下着のパンツみたいのとか履いてる野性味満載の漁師野郎たちがヨットを占拠する状態に。

女性ゲストの中には不安を感じる人もいたのだけど、まあ、多少警戒しつつも、クーラーボックスを冷やす氷をたくさんもらったりしたので、ビールを奢ったりして、まったく意味不明のシンハラー語で話しかける酔っ払いのおっさん(おっさんといっても自分より全然若いんだけど、ただの酔っ払いは、年齢が若くてもおっさんはおっさんだと思うので)の相手をしていた。

写真に向かって左から二人目が、船のオーナー。ただの酔っ払いの陽気なおっさんだった。センターが僕らのスリランカ人ガイドのメナカ

写真に向かって左から二人目が、船のオーナー。ただの酔っ払いの陽気なおっさんだった。センターが僕らのスリランカ人ガイドのメナカ

いつまでもヨットの上でくだをまく漁師たちの中になんとなく冷静な男性がいて、その後、ヨットのクルーの村での買い出しなどに付き合ってくれた。

酔っ払いや子供たちが引き上げたあとに、買い出しをして戻ってきたその男性をヨットにあげてビールをあげたりして談笑していたら、僕らのスリランカ人ガイドのメナカが、「彼は船長に裏切られて、後ろ手に縛られて海に捨てられて生還したんだって」と言ってきた。

首と胸をナイフで刺された友人を励ましながら漂流

「え?どういうこと?」と尋ねると、彼の名前はROSHAN(ロシャン)、31歳。英語はまったくしゃべれないので、メナカに英語で通訳してもらった話によると、今から4年前の2012年9月末、27歳のときに、クダベラの漁村から40フィートの新しい漁船で沖合35ノーティカルマイル(約70km)南まで、船長と、自分を含めた5人の船員と漁に出たときのこと。

奪われたのは、もっと大きな漁船だが、形はこんな感じ

奪われたのは、もっと大きな漁船だが、形はこんな感じ

突然別の船から数名が漁船に乗船してきて、自分と、残り4人の船員を後ろ手に縛り上げたのだそうだ。
船長と他の船から乗船してきたスリランカ人は、新しい漁船を奪って、オーストラリアに難民として亡命しようとしていたのだという。

今でも、もっと裕福な生活を求めて亡命を試みるスリランカ人は多いのだそうだが、当時は、オーストラリアに行けば働かなくても毎月数十万のお金が手に入る。
捕らえられて牢屋に入れられても数万円もらえるというようなデマ話が横行していて、オーストラリアに亡命したがるスリランカ人漁師が後を絶たなかったとか。

だったら、船を奪ってそのまま去ってくれればいいのに、船長とその仲間たちは、ロシャンを含む5人の首と胸をナイフで刺して、順々に海に投げ込んだ。

隙を見て、ロシャンは、刺される前に後ろ手にしばられたまま、自ら海に飛び込み、どうにかロープも解いて、海に放り投げられた他の仲間たちを探した。

見つけられたのは、一人だけ。
他の3人は今も行方不明のまま見つからなかった。

しかし、見つけた一人も首と胸を刺されて重症。
大海原でそんな状態のときに、自分一人の身を案ずるのでさえ大変な状況……というか、その状況で重症の仲間を見捨ててしまったとしても、誰もが「しょうがないよ」と思ってしまうような状況で、ロシャンは刺されて血を流し弱っている仲間を励まし続けた。

血の匂いを嗅ぎつけて、もしかしたら、サメがやってくるかもしれない。
その前に二人とも溺れ死んでしまうかもそれない。

そんな恐怖に耐えながら傷付いた仲間を励ましたが、最後にはとうとう二人とも力尽きそうになり、離れてしまったのだそうだ。
しかし、その直後7時間の漂流の末、近海を走っていたタンカーに、運良くそれぞれが救助された。

年齢や人種、男女の違い無く、「精神のステージが高い」人間

もし、自分が同じような境遇にいたら、数時間も傷付いた仲間を励まして、生き続けようという精神力があるだろうか。

31歳と自分より全然若いながら、そこにいる若者は、自分なんかより全然、「精神のステージが高い」、尊敬に価する人物だと感じずにはいられなかった。
自分は、人として魅力的な人のことを「精神のステージが高い」とよく表現する。

いざという絶体絶命の窮地に立たされたときに、自分の命をすり減らしても、仲間を見捨てないその精神力。
どんなに権力やお金があっても、その精神力は手に入れることができない貴重なものだと感じた。

この話は、彼本人からではなく、一緒に買い物を手伝ってくれたロシャンの従兄弟がしてくれたのであって、本人自らの自慢話ではなかったことも、自分にとっては彼への印象を良くしていた。

向かって右側がロシャン。左が、彼の話を教えてくれた、従兄弟

向かって右側がロシャン。左が、彼の話を教えてくれた、従兄弟

その後、酔っ払いの集団が漁船で戻ってきたのだけど、もう暗いし、女性たちもちょっと不安がっていたので、ヨットにあげないでほしいと頼むと、ロシャンたちが、酔っ払いたちを村に戻るようになだめてくれた。

一度は村に戻ったのに、暗くなってからまた戻ってきた、よっぱらいのおっさんたち

一度は村に戻ったのに、暗くなってからまた戻ってきた、よっぱらいのおっさんたち

その中には、奪われた漁船のオーナーで、6隻の漁船を所有し、今でもロシャンを雇っている、上司というか社長(さっきの酔っ払いのおっさんの一人)もいたのだけど、彼もロシャンには一目置いているのか、言うことを聞いて引き上げていった。

ロシャンに比べて、その酔っ払いの船のオーナーの如何に俗っぽかったことか。まあ、それはそれで面白くていいんだけどね。

後日、当時のニュースが載ったスリランカの新聞を手に入れた。
船を奪い、亡命しようとした船長とその仲間たちは、スリランカ海軍に発見され、連行されたというニュース。

スリランカの新聞

救助された当時の険しい表情をしたロシャンの顔と今の穏やかなロシャンが、とても同一人物には見えなかった。
まるでロシャンの方が犯罪犯した犯人みたい(失礼)。
隣は一緒に救助された仲間。

スリランカの新聞

とにかく、こういう「精神のステージの高い」人物というのは、年齢や人種、男女の違い無く、どことなく、崇高で寛大、かつ安心できるオーラを持っていると感じる。

だからこそ自分も、年齢や人種、男女の隔て無く人を尊敬できるんだと思う。自分もそんな人になりたいと思いつつ、またどこかの海で、こんな凄い人で出会えたらいいな。

船長に裏切られ、後ろ手に縛られたまま海に落とされて生還したスリランカ人
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PROFILE
慶応大学文学部人間関係学科卒業。
産経新聞写真報道局(同紙潜水取材班に所属)を経てフリーのフォトグラファー&ライターに。
以降、南の島や暖かい海などを中心に、自然環境をテーマに取材を続けている。
与那国島の海底遺跡、バハマ・ビミニ島の海に沈むアトランティス・ロード、核実験でビキニ環礁に沈められた戦艦長門、南オーストラリア でのホオジロザメ取材などの水中取材経験もある。
ダイビング経験本数5500本以上。
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