ガラパゴスのダイビング死亡事故

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2010年2月14日に起こったガラパゴスのダイビング事故について、現場に居
合わせた男性ダイバー(ジョン・ビスナー)のリポートを翻訳したものを紹介します。
※このダイバーが事故専門の弁護士であることも特筆すべきことでしょう。
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スキューバ・ダイビング死亡事故
(ガラパゴス – 2010年2月12日 – 犠牲者E.G.)
※2010年2月14日ジョン・ビスナー記

ガラパゴス・アグレッサーII号に乗船していた14名のダイバーにとっ
て、本格的ダイビング・アドベンチャーの一本目は、23歳のテキサス
州ガルベストン生まれ・ニューヨークで保母さんとして働くE.Gの死で
終わった。何が起こったのか、E.G.がどのように死亡したのかについ
てのより詳細な情報について、数多くの要請に答えるために以下の
状況描写を提供したい。

最初にE.G.の家族や友人に心から哀悼の意を表しておきたい。私に
は、あなた方の痛みを和らげたり、失ったものを元に戻してあげる言
葉さえない。しかし、E.G.は私たちの心と記憶の中に生き続けてい
る。しかし、運命のいたずらによってE.G.は今でも、私の妻キンバリー
と私と共にある。

第二に、E.G.は先生だった。彼女が愛したスポーツが元で命を失っ
た彼女の最後の行為を、私たちすべてのための、特にスキューバ・ダ
イバーの教訓にしよう。E.G.の名のもとに、彼女へのオマージュとし
て、彼女の悲劇からなんらかの教訓を私たちが学べることを願って、
自分自身の幼稚園の先生やダイビング・インストラクターから学んだ
時のような謙虚な精神で、この記事のあとにあるコメントセクションで、
何が起こった可能性があると考えるのか、そしてどうすればこの
ような悲劇を将来的に防止することができるのか、皆さんのお考えを
お聞かせいただきたくお願いします。

2010年2月11日の木曜日。サン・クリストバル島の空港の荷物のピ
ックアップ場所でキンバリーと私はE.G.、デニーズ・フリオ、ダイブマス
ターのジェイミー、パトリシオおよびアドベンチャーを共にする他の10
名のダイバーと出会いました。E.G.とデニーズはすぐに仲良くなり、
旅を共にする二人組の女性になりました。彼女たちはすぐに二人とも
テキサス出身であることを発見したのです。

私たちはガラパゴス・アグレッサーII号までバスで運ばれ、直ちに乗
り込みました。 短いブリーフィング、部屋の割り当て、荷物の積み込
みを終えた後、すべての乗客ダイバーが短い「チェック・ダイブ」のた
めに水に入り、器材チェックと器材慣れを行ないました。そのダイブは
約20分間で、深度は6m未満でした。 E.G.は、私たちの多くがそう
であったように、中性浮力をとる適正ウエイト量を見つけるのに苦労し
ていました。ウエット・スーツが重く、また塩分濃度が高かったからで
す。それでも、すべては順調であるように思えました。

翌日2月12日の午前6時30分をちょっと過ぎたくらいに私たちは朝食
をとり、引き続きジェイミーのダイビングに関するブリーフィングがあり
ました。ジェイミーはホワイトボード上に描かれた地図を使ってポイン
トと潜水計画を説明しました。地図で見る限り私たちはノースセイモア
島の最東部あたりにいました。インストラクションの中で、ジェイミー
は、透視度は約18m、最大深度27mより行かないよう指示しまし
た。複雑な流れがあり、潜水時間は最長1時間とも指示されました。
彼は安全にポンガ(小型ダイビングボート)周辺に浮上するにはどうし
たらいいか、どのように水からポンガに上がるかについていくつかの
コツを私たちに説明しました。キンバリーと私は、特にそれが今回の
旅行の事実上、最初のダイビングであるのに、ブリーフィングがあまり
に素っ気ないことに驚きました。

私たちは器材を装着し、7名ずつの2つのグループに分かれてポンガ
に向かいました。 E.G.、キンバリー、他の4人のダイバー、そして私
は2番目のポンガで、ポンガの船長とダイブマスターのパトリシオが同
行しました。私たちがポンガに乗り込む前に、ダイブマスターが器材確
認、あるいはバルブが開いているかのチェックを行わなかったのに私
は驚きました。以前に私たちはアグレッサーで二度旅行をしましたが、
その時にはそうしたチェックを経験していたからです。その時点で、私
はポンガの船上で、水に入る前にパトリシオが潜水計画のブリーフィン
グを行い、セーフティ・チェックとバルブが開いているかチェックを行うの
だろうと思い込んでいましたがそれは誤りでした。

ダイビングスポットまで、アグレッサーから約90mの移動でした。パト
リシオは私たちに、彼のかけ声で一斉にバックロールで水に入るよう
指示しました。そうしなければポンガが不安定になり、ポンガに残さ
れた人たちが転げ回ることになるからでした。その時点で、キンバリ
ーと私はバルブが開いているか確認するためにレギュレーターを再チ
ェックしました。パトリシオのかけ声で、私たちは一斉にバックロール
で水に飛び込みました。

水に入るやいなや、私はキンバリーの位置を確認し、私たちはお互い
に「OK」サインを出しました。私はマスク・クリアを行い、マスクに水が
入り込む原因となっていたフードを調整し直しました。パトリシオと他
の人たちは6m前後下方にいて、移動を開始していました。私は通
常、早朝ダイブでは他の人たちより耳抜きが遅いので、キンバリーと
私はスタートからグループの大部分の後ろにいましたが、パトリシオ
が先導するグループについて行くために、通常よりかなり急速に潜降
しました。私はその時、E.G.がどこにいたのか知りません。私は安全
に潜降し、私のバディであるキンバリーから離れないことに集中して
いました。

私のダイブコンピュータによるとその時の分単位の深度は次の通りで
す。1分後7m、2分後13m、3分後16m、 4分後27m、5分後
30m、6分後32m、7分後31m、 8分後30m、9分後27m、10分後
26m、11分後26m、12分後26m、13分後24m、14分後19m、
15分後 16m、16分後16m、17分後15m、18分後16m、19分後
15m、20分後 13m、21分後11m、22分後11m、23分後10m、
24分後10m、25分後13m、26分後13m、27分後9m、28分後
5m、29分後5m、30分後4m。

潜降中、パトリシオは常にキンバリーと私より深場の、島から離れた
位置にいました。ジェイミーが指示していた27mよりもパトリシオが深
場に私たちをガイドして行こうとするのに私は驚きました。どの時点か
で私は流れに必死で耐えていたことを覚えています。私の推定が間
違っていないかぎり私のコンピュータが記録し

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writer
PROFILE
法政大学アクアダイビング時にダイビングインストラクター資格を取得。
卒業後は、ダイビング誌の編集者として世界の海を行脚。
潜ったダイビングポイントは500を超え、夢は誰よりもいろんな海を潜ること。
ダイビング入門誌副編集長を経て、「ocean+α」を立ち上げ初代編集長に。

現在、フリーランスとして、ダイバーがより安全に楽しく潜るため、新しい選択肢を提供するため、
そして、ダイビング業界で働く人が幸せになれる環境を作るために、深海に潜伏して活動中。

〇詳細プロフィール/コンタクト
https://divingman.co.jp/profile/
〇NPOプロジェクトセーフダイブ
http://safedive.or.jp/
〇問い合わせ・連絡先
teraniku@gmail.com

■著書:「スキルアップ寺子屋」、「スキルアップ寺子屋NEO」
■DVD:「絶対☆ダイビングスキル10」、「奥義☆ダイビングスキル20」
■安全ダイビング提言集
http://safedive.or.jp/journal
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