去り行く夏にささげるブルース
どうも、太陽系方面ほにゃららです。
忙しい上に金欠で海に行くことができないので、当コミュのもう一つのテーマ、というかほとんどメインテーマとなりつつある下ネタでも書こうと思います。あと、夏といえばやっぱり「おっぱい」の季節なので、今回は去り行く夏と「おっぱい」に捧げるオマージュというかバラードというかブルースというか、そんなようなものを一席……
[おっぱい聖人のBlues]
あらためて言うほどのことでもないのだが、私たち男性は「おっぱい」が大好きである。うれしいとき、悲しいとき、退屈なとき、疲れはてたとき、元気ハツラツなとき、暑いとき、寒いとき、お腹がすいているとき、お腹がいっぱいのとき、いかなる状況においても「おっぱい」は男性を幸せにする。
うそだと思うなら、なにが原因であれ、たいへんに怒っている男性がいたら、目の前で「おっぱい」を出してみるといい。彼の怒りのボルテージは、みるみる下がっていくはずである(ただ腹を立てる変わりに何か別のものを立てるかもしれないので注意)。もしくはなんだか気を落として元気のない男性がいたら、会議室とか人気のないところにでも誘って、そっと「おっぱい」を見せてあげるといい。彼は、みるみる元気になっていくはずである(いろんな意味で)。そう、かように「おっぱい」は、男性に取ってのキング・オブ・キラーコンテンツにして、抗うことのできない最終兵器なのである。
かく言う私も「おっぱい」が大好きである。「おっぱい」のためなら、少々苦労をしてもかまわないとすら考えている。いや、少々どころか、かなりの苦労もいとわない。もし「今すぐ会いに来て♡」という、おっぱいの写メールが深夜2時過ぎに届いたとしたら、私は間違いなくタクシーを飛ばして駆けつけるはずである。
がしかし、私は、いわゆる「おっぱい星人」ではない。というか間違っても「おっぱい星人」などと呼ぶのはやめていただきたい。なぜなら私は「おっぱい星人」なる輩を、同じおっぱい好きの同士とは、絶対に認めないからだ。
私に言わせれば、やつらは、そのくもった眼差しと偏った思考によって、「大きなおっぱい」のみが「よいおっぱい」であるなどと考える、偏狭なレイシストである(フェティシストとも認めない)。にもかかわらず、自分たちのことを「おっぱいを愛する、おっぱい星からやってきた、おっぱい星人」であるなどと、なんとも厚顔無恥な、勘違いも甚だしい主張をしている、ただの似非おっぱい好きなのである。
さて、その昔、ジャズの神様と呼ばれたマイルス・デイビスは、自身のバンドに白人のピアニスト、ビル・エバンスを入れたところ「黒人の魂たるジャズを白人に売り渡す気か」と仲間内から批判され、こう言ったという。
「いいプレイをする奴なら、たとえ肌の色が赤だろうが緑だろう雇うゼ!」
ならば、私はこう言おうと思う。
「それがおっぱいなら、大きかろうが小さかろうが、いっさい、まったく、全然、かまわない、というか、ぜひお願いしたいゼ!」
そう、私は手のひらに収まりきらないような巨乳も好きだが、手のひらにすっぽりと収まるような微乳も好きなのだ(ちなみに私は「貧乳」なる言葉を認めない。なぜならこと「おっぱい」に関してはそれ自体が豊かさを象徴しているのであり、貧などという形容詞がつくわけがないのだ)。私にとって、あらゆる「おっぱい」は、ただ「おっぱい」であることにおいて、例外なく「いいおっぱい」なのである。というわけで、私のことは今後「おっぱい星人」ならぬ「おっぱい聖人」であると理解していただきたい。
……とまぁ、何がいいたいかというと、お盆がすぎてくらげが出始める頃になると、夏ももう終わりで、ダイビングのインターバルに、ウエットの上半身をおろしてビキニになれる季節も残りわずかです。そこで、女性ダイバーのみなさんには、その2つの幸せなコンテンツをできる限りオープンにしていただきたい、と全男性ダイバーを代表して、ここにお願いしておきたいのです。
あと、今年の夏も海に行くことなく終わろうしている私に、ぜひおっぱい写メを個人的に送っていただきたいです。