水中ご遺体捜索 中編

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前編

■岩手に到着。そこで目にした現実

大坪さんは、広島を8日夜に車で出発し、9日昼過ぎに16時間かけて石巻に到着。
NPOに物資を渡した後、炊き出し場所でゲリラ的に物資を下ろしその日は盛岡で1泊。

「石巻は多くの支援団体やボランティアで
復興は着々と進んでいるようでしたが被害は甚大でした。
ただ、物資はだぶついてきているようで、必要な物資が変わってきている様子が伺えました」

10日。宮古から峠を越え、世界一の防潮堤で有名だった田老町に入ると、
あまりの光景に大坪さんは言葉を失う。

「町がひとつなくなっていました」

町にはボランティアセンターはない。
なぜなら町が壊滅しているため、ほぼ全員が避難所生活のため、
避難所以外のボランティアは必要ないからだ。

瓦礫を片付けている地元の方に物資を手渡す際、
このような状況下でも、前向きに、我慢強く頑張ろうとしている姿と言葉に、
大坪さんは、かける言葉が見つからない。

「車に乗り込むと涙が込み上げて、しばらくは止まりませんでした」

その日の11時、最終目的地、山田町に到着する。
水は一部を除き回復していなかったが、電気は回復し、
電波状況は不安定なものの携帯は繋がった。

山田町のボランティアセンターは立ち上がったばかりのため、
避難所や全壊しなかった家をひとつひとつまわり、ボランティアセンターの告知をする。
当初、地元の方々は警戒心からか、斜に構えていた様子だったが、
徐々に心を開き、いろいろな要望を知ることができるようになる。

その後、役場で支援物資の仕分けを行なうと、
物資が被災者に行き渡っていない現状を目の当たりにする。

「物資が必要なときに必要なものが行き渡らず、
不必要なときに不必要なものが配られたり、廃棄される恐れがあります」

行政は機能していたもの、被災者・避難所の実態把握ができていないようで、
行政・社会福祉協議会・ボランティアセンターとのコミュニケーション不足や
情報の共有化ができていない現実がそこにあった。

「しかし、役場の職員も被災者で、家や身寄りが亡くなっていることを考えると、
行政批判はできません。
各地から派遣されている職員がもっと有効に機能し、
全体の組織や権限を、指示命令系統をはっきりさせることが必要です」

大坪さんが感じたのは、「こういうときこそ決断力と行動力が大事」ということだった。

■笑顔の裏にあるもの

11日は、ボランティアセンターと役場に交渉し、
物資を避難所などに配布しながら要望を聞いて回る。
震災後1ヶ月が経過し、必要な物資はどんどん変わっていることに気がつく。

水やレトルト食品、オムツ類、衣料、タオルなどがだぶついて、
自分達で炊き出ししていく食材や生物・たんぱく質、そして、嗜好品などの必要性を感じる。

震災直後に伝えられていたようなものは必要なくなり、
店も営業を開始しているところが増え、
お金と足さえあればだいたいのものが手に入れることができ、燃料事情も良くなってきた。

しかし、家も車も無くされた避難所暮らしの方々にはその手段がないのが現実。

「一刻も早い、仮設住宅の建設や、インフラ整備、義援金の配布が望まれます。
そして復興のための人的支援が、今後ますます重要になってきます」

岩手の方は忍耐強く、こんな状況下でもいつも笑顔だったが、
その笑顔の裏側に悲しみを抱えている人はもちろん多い。

復興イベントの手伝いに行ったときに大坪さんが地元の方に聞いた話。

地震直後、動くことの可能な漁師さんは、自分の船を沖に逃がしたが、
そこから、津波に飲まれて行く町と、火の海と化す町を目の当たりにする。
火災がおさまらないため、港に帰ることもできず、
ただ手をこまねいて2日間、見ていることしかできなかったという……。

「家族も家も船もなくされたかたが多くいらっしゃいます。
それでも、復興イベントでは、笑顔で一生懸命頑張っておられるんです。
本当に頭が下がります」

そんな大坪さんに彼らはこう言った。

「これからのことを考える余裕はない。明日どころか1時間先のことに追われて、
だだがむしゃらに生きてきたんだ」

落ち着いてきたとき、一気に悲しみが込み上げきやしないかと、
大坪さんは言葉を見つけることができなかった。

■水中ご遺体捜索開始。ご遺体を引き揚げる

山田町は震災直後、人口19,000人のうち14,000人が行方不明という状態で、
その後も復興支援が進まず、4月8日にようやくボランティアセンターが立ち上がったばかり。
未だに陸上も遺体捜索が続き、瓦礫撤去もままならない状態。
海での遺体捜索も、保安庁と海自が水面捜索を少しやっただけで、
水中はほぼ行われていない状況だった。

1ヶ月間にわたるNPOによる水面捜索で7名のご遺体を収容したが、
潜れる人間がいないため、大坪さんが水中捜索を開始する。

4月12日。水中捜索を開始し、1名のご遺体を引き揚げる。

「ご遺体は必ず発見すると思って入っていましたので心の準備はできていましたが、
実際にご遺体を発見したときは、恐らく動揺していたと思います。
が、想定していたため、確保や引き上げ方法に関して冷静に判断はできました。
できるだけ多くのご遺体を引き上げてあげたい気持ちでいっぱいでした。
捜索も低視界と低水温、牡蠣いかだやはえ縄に絡まった瓦礫類に阻まれ難航しました」

一緒に漁船に乗り込んで協力を惜しまない地元の漁師さんだが、
ご本人も被災され、家も船も、家族も亡くされた状態。
にもかかわらず、毎日毎日海に出てきて、こんな状況下でも、
ひたむきに一生懸命、しかも笑顔で頑張られている。

なぜ、これほど協力的で一生懸命なのか。

「もしかしたら、一緒に逃げているときに見失った息子さんが
見つかるかもしれないという可能性を信じつつ、
一人でも多くのかたを引き揚げてあげたい一心で協力されています。
これからがどうなるかまったくわからない、何の見通しも立たない中で……」

 何としてでも息子さんを見つけてあげたい。

大坪さんは強くそう思ったそうだ。

■日本屈指のダイバー仲間が集い、本格的に水中遺体捜索

単独での水中捜索に限界を感じた大坪さんは、
所属する指導団体NAUIに協力を要請する。

NAUIは表立った動きはしてくれなかったものの、
たまたまこの要請を出した日にNAUIに電話をして、
その電話でのやりとりの中で状況を聞いた埼玉《シーメイド》太田樹男氏が、
協力を申し出る。
太田氏はすぐさま仲間に呼びかけ応援が実現することになり、
NAUIコースディレクターを中心とした屈指のダイバーたちが、
4月18〜22日に集まることが決定した。

それまでの間、大坪さんの水中での孤独な戦いは続く。

4月14日から音響探

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PROFILE
法政大学アクアダイビング時にダイビングインストラクター資格を取得。
卒業後は、ダイビング誌の編集者として世界の海を行脚。
潜ったダイビングポイントは500を超え、夢は誰よりもいろんな海を潜ること。
ダイビング入門誌副編集長を経て、「ocean+α」を立ち上げ初代編集長に。

現在、フリーランスとして、ダイバーがより安全に楽しく潜るため、新しい選択肢を提供するため、
そして、ダイビング業界で働く人が幸せになれる環境を作るために、深海に潜伏して活動中。

〇詳細プロフィール/コンタクト
https://divingman.co.jp/profile/
〇NPOプロジェクトセーフダイブ
http://safedive.or.jp/
〇問い合わせ・連絡先
teraniku@gmail.com

■著書:「スキルアップ寺子屋」、「スキルアップ寺子屋NEO」
■DVD:「絶対☆ダイビングスキル10」、「奥義☆ダイビングスキル20」
■安全ダイビング提言集
http://safedive.or.jp/journal
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