「ダイビングなんかしたら嫁に行けなくなる」
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「うちのクラブは、女は入れない」と言い放つY先輩。
1964年に創部された我がクラブ。
確かに創部当時はダイビングの黎明期であり、
ダイビングは命がけの冒険に近いもの、女、子供ができるものではなかった時代だ。
けれども、私が大学生になった1980年代は、女性ダイバーも珍しくなく、
実際に2年生に1人だけだが女の先輩がいる。
本人の強い希望があれば、女だからと特別扱いしないという条件で入部が認められていた。
「練習も厳しい。それでもいいか」とさらに眉間にシワを寄せるY先輩。
そう言われても「え〜、やっぱりやめます〜」と後に引けず、
気づけば「はい。お願いします」と頭を下げていた。
「ダイビングクラブに入った」と父に伝えると
「法政はA君、M君、Y君と優秀なインストラクターをたくさん輩出している」と聞かされた。
ついこの間までダイビングとは無縁の高校生だった身には何のことやら。
どうやらたまたま合格した大学に名門ダイビングクラブがあり、入部してしまったようだ。
父は私がダイビングを始めることに、賛成も反対もしなかった。
危険も楽しさもじゅうぶん知る父は両方の気持ちを持っていたのだろう。
だが、父の会社(海洋調査会社)の潜水士たちは違った。
「危ないんだよ、やめときなよ」
「ダイビングなんかしたら嫁に行けなくなる」
Kさんに至っては、潜水事故で亡くなった若い女性の写真を見せ
「こうなっちゃうかもしれないんだよ」と。彼らは口をそろえて止めさせようとした。
「なぜみんな、自分はダイビングをしているのに反対するの」と不思議だったが、
何を言われてもけろっとしている私を見て、「案外、ずぶとい女だな」
「これならだいじょうぶじゃないか」としぶしぶ認めてくれた。
今思うと、ダイビングを極めたプロダイバーたちの過激な教育的指導だったのだろう。
簡単にやめると言うようならたいしたことがない、と試されたのだ。
強烈な洗礼を受け、ダイビング一色の学生生活が始まった。
続く。