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今だから言える『彼女が水着にきがえたら』閲覧無制限

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徒然コラム
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ダイビング小説「シューボコ」作者 × 3日連続ロング・インタビュー


一色伸幸


■作者プロフィール

第1回
今だから言える『彼女が水着にきがえたら』
■聞き手/編集長テラ ■撮影/石丸智仁

バブル景気にわく1980年代後半から1990年代前半にかけて、『私をスキーに連れてって』『波の数だけ抱きしめて』と共に、ホイチョイプロダクションズのいわゆる”ホイチョイ3部作”の第二作として作られた『彼女が水着にきがえたら』。

スキーに続き、空前のダイビングのブームを巻き起こし、「原田知世ちゃんと同じセットをください」なんて女性が巷にあふれ、「みんな講習と器材をセットで買っていくから、週末だけで札束が立つくらい儲かったな〜」と当時を知るダイビングショップオーナーは遠い目をする。

『彼女が水着にきがえたら』から20年余。映画から小説に舞台を変えて、ダイビングをテーマにした『シューボコ』を連載中の一色伸幸さんに直撃インタビュー!

―まず、このホイチョイ3部作はどういう経緯で作ることになったのですか?

単純な話なんだよ。まずは、ホイチョイ3部作で最初の作品となる『私をスキーに連れてって』があった。この映画はホイチョイプロダクションのみなさんがスキーが大好きで、いろんな人のやりたいという思いが結実して実現した映画だった。

そもそも当時は文芸モノとかアイドルものが主流で、リアルな僕らがなかった。だから、とにかく自分たちの言葉とか行動とか考え方を記録したかったんだ。登場人物は全員26歳。書いた当時の僕が26歳だったからね。

当時の映画の常識から考えると、もしスキーの映画を作るなら、「スキーをするために一生懸命にバイトをして……」といったドラマ仕立てがセオリーだったけど、僕らは食うに困った経験なんかない。だから、お金で苦労した経験がない等身大の自分たちを出したいと思った。

確かに苦労話の方がわかりやすくはあるんだけど、誰も苦労した経験がないんだからお客さんは共感できない。「親にお金もらえるじゃん」と。

とまあ、書く立場の僕はいろいろ考えたりはしたけど、根本はもっと単純で、ホイチョイの人たちがとにかくスキーをやりたかった、というのが始まりなんだよ。

―やりたかったスキー映画が大ヒットして、次のテーマはダイビング。
   これも、やっぱりダイビングが好きだったからでしょうか?

いや、つまらない話なんだけど、これはもう世界共通で、ヒットすれば2をやれという話になる。一番やりやすいのは同じキャストでまたスキーを舞台にすること。でも、僕らはちょっとひねくれていたんで、あの話は完結しているのでやりたくない。じゃあ、どうするというときに、すごく単純にスキーの次は海でしょ、ユーミンだったから次はサザンでしょと(笑)。

―スキーと比べて、ダイビングはすごくビジネス的に決まったんですね〜。
   では、ダイビングに対して思い入れはあまりなかった?

正直、あまり……(笑)。僕は昔から素潜りは好きで、グアムとかサイパンとかタイにいってはよく素潜りをしていた。でも、海でダイバーもよく見かけたんだけど、器材を山ほど持って、減圧症がどうのこうのと神経症的にダイブテーブル引いて……。なんだか、すごく女々しいというか、器材頼みというか。器材の大げささやウエットスーツのダサさを見て、正直なところ、かっこ悪いイメージを持っていた。

ほら、素潜りもサーフィンも身軽じゃない。自分のやりたいときにやって、上がりたいときに上がればいい。でもダイビングはガイドをつけなくてはいけないし、たとえガイドがいないにしても、タンクが空になれば上がってこないといけない。なんだか、すごく管理されているものに見えた。

―映画の脚本を書く際に、そういうかっこ悪さとか、
  ダイビングが持っている負のイメージを変えてやろうというモチベーションはありましたか?


いや、それはあまりなかったかなぁ。でも、僕の役割ではなくてスタッフの仕事なんだけど、できるだけカラフルにしようというのはあった。例えば、フィンをプラスチックで透けているものにしたりね。

それより、僕の場合、もっと単純に”水中の絵が欲しい”というのがモチベーションというより課題だった。ダイビングは動きがないから映画にならないんだよね。映画って動きだから。『海猿』みたいに人命救助なら動きが出るんだけど、ダイビングは動きがないから、試しに潜ってみた海の中で、頭を抱えてしまった。絵になんねーよって(笑)。「フィッシュウオッチングでこんなに珍しい魚を見た」って言われても絵にならないでしょう?

どうしようと悩んだ末にスタッフが行き着いたのが、当時発売したばかりのアポロの水中スクーター。あれに本当に救われた。ああ、これで動けると。それに、ダイバーの方々はダイビングの映画っていうけど船も多いんだよね。ボートやジェットスキーなども含めて、やっと動きを出すことができたんだ。

―あの、みんなが憧れた水中スクーターは、動きを出すためだったんですね。
   スクーターにしてもジェットスキーやボートにしても、
   とても激しい動きになっていましたが、実際に撮影するのは大変そうですね。

そういう技術的なことよりもっと根本的なことで、映画の撮影全般に言えることだけど、とにかく寒かったことのほうが大変だった(笑)。座間味1カ月、東京と湘南で1カ月の合計2カ月ちょいの撮影なんだけど、夏公開の映画だったので、撮影は真冬。夏の設定なので、湘南の海でもウエットスーツで潜らなくちゃいけない。もちろん、田中美佐子ちゃんが飛び込んだ海も真冬の湘南で……。

―寒さにも負けず海に潜っていた出演者たち。
   皆、実際に撮影のためにCカードを取得したのでしょうか?

確か、出演者全員、座間味でCカード講習を受けたんじゃなかったかな。映画の場合、待ち時間というのがとても長いんだけど、織田裕二君なんかは釣りが大好きで、空いている時間はダイビングではなく、ずっと釣りばっかりしていたらしい。

―出演者といえば、ヒロインの原田知世さんのウエットスーツ姿は、
  当時、ファッショナブルでまぶしく印象的でしたが、前作のスキーにしてもダイビングにしても、
  原田知世さんにアウトドアのイメージはあまりありませんでした。

それまで、『時をかける少女』など、青少年向けのアイドルとしてロリコン的な人気があった。その角川との契約が終わったときに出演したのが『私をスキーに連れてって』で、大人向けのラブストーリーのヒロインとしてありかなと。知世ちゃんにとっても、少女から女性への変わり目となる作品だった。

―映画のキーポイントとなる、海底に眠る飛行機・ドラゴンレディ。
   あれはどのように作って沈めたのでしょうか?

こだわりの美術監督がいて、彼が撮影の2か月前から沖縄の嘉手納基地に行って、飛行機の部品を安く買い取って、嘉手納の近くの町工場を借りてカンカンカンカンやってDC

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