おしゃべりなスプール~テックダイバーの道具は雄弁に語る~
ただ今フィリピンでTrimix(トライミクス)リブリーザーの講習中です。
年末以来、フィリピンで3週間を過ごし、日本にはまだ2泊。
よって、私の時計はかなりフィリピン時間。
フィリピンでは、約束の時間の2~3日遅れくらいで家を出ると、ものすごく時間に正確な人物と評価されます。
あるいは、フィリピンと日本には時差があり、日付が3日ほど遅いようです。
今回の原稿の遅れには、どちらの言い訳が有効でしょうか?
(編注:とりあえず、日本時間でお願いします……泣)
私は日本語のフレキシビリティーがかなり好きだ。
単語が本来の意味から逸脱して絶妙な別人に変身する有様や、単語を組み合わせることで本来そこになかった単語が天から舞い降りて自動的にセンテンスが組み上がるような反数学的な展開に、快感を覚えることが少なくない。
なので、都市と伝説を合体させると、半自動的に「信じる信じないはあなた次第です」とト書きが入る展開も、もちろん、大好き。
そして、オカマでも関西のオバサンでもない、ただのスケベなオっさんが、その後に起こるかもしれない面倒な論争を最初から放棄した状態で言いたいことを言うのに、これほど好都合な言葉の合体は大切に保護するべきだと思う。
加えて、この都市と伝説の合体は、その先っぽに、例えばスクーバを付ければ、これはダイビング関係の、信じるも信じないも話だと、瞬時に予想が付くという、素晴らしい発展性をも備えている。
このフレーズは以前一度注釈なしで使ったものだが、今回、改めてフレーズの意図を説明したのは、以降頻繁にお世話になる予感を覚えるから。
なので、今回の私は、器材に関してのスクーバ都市伝説の語り部です。
よって、一切の異なる見解を否定するようなものではありません。
要するに、器材の話はデリケートゾーン。
絶対的な優劣と様々な条件をからめて考える総体的な優劣が異なる場合があり、さらに、趣味嗜好の分野に立ち入る可能性もあって、それら全てを総括すると、特定の立場からの見解の是非の判断が非常に難しい話題となる。
が、そんなことばかりを気にして差し障りのない話を書くくらいならギラな提灯記事を書いてペニーオークションの胴元あたりからお小遣いをもらう方がきっと楽しいので、文の内容によるお小遣いの違いが発生しない今回は、都市伝説を盾に思うがままを書かせていただきます。
つまり、以降の話は完全に個人的な見解だが、しかし、器材に対する考え方の一端を紐解く手がかりにはなると思います。
で、今回のスクーバ都市伝説のターゲットはスプール。
少なくとも、テックダイブに関しては、人を持ち物で判断してはいけない、なんて言ってはいけない。
持ち物、器材は、そのダイバーのレベルや経験、バックボーンを知る際のとても重要な手がかりとなる。
特に同じレックに潜ったり、ケーブでラインを共有することになるようなダイバーに関しては、自身の身を守るためのひとつの予備知識としても、周囲のダイバーに対する観察は欠かせない。
その際の一つの重要な手がかりとなるのが、器材だ。
特にライン関係の器材は、ぱっと見で判断がしやすいので、とりあえず他のダイバーがライン関係の器材を持っていた場合「少なくとも私」は100%その器材を粘着度高く盗み見ることにしている。
そこでの格好のターゲットとなるのがリール(コンパクトなタイプに限る)やスプールだ。
ここで少し補足しておくと、リールは誰もが予想する通りの、ハンドルとフックとノブの付いた糸巻き本体のドラムから構成された、ラインを入れたり出したりするための道具。
スプールというのは、聞きなれない名詞かもしれないが、ブツは写真で見ての通り、言ってみれば糸巻きの親分だ。
で、私に関して言えば、まずリールではなく、スプールを使っているダイバーに安心感を抱く。
スプールは、ラインと、糸巻き用のドラムとWエンドと呼ばれるフック用のハードウエアという実に単純で原始的な単体のパーツの組み合わせだけで構成されており、構造部分を持たない。
よって、壊れる可能性が極めて小さい。
一方、リールはスプールと比較すると複雑な構造を持ち、構成部品が多く、稼働箇所も複数あるため、故障の可能性とバリエーションが豊富だ。
実際、私はこのジャンルのダイビングを始めてまだ間がない純粋無垢な時代に、有名どころのメーカーの高価なリールを使った水中からのフロートの打ち上げで、リールのシャフトという金属部品が(恐らくは腐食による強度の低下が原因で)折れ、折れたパーツがプラスチック製のドラムという部品を砕いて、リールそのものがバラバラにとっちらかり、赤いプラスチックの破片の花吹雪を水中に降らして環境汚染をしでかしたという苦い思い出がある。
主に淡水のケーブで使うことを想定していたのかも、という器材を海水で使っていたことが悪かったのかもしれないが、いずれにしろ、構造的にこうしたトラブルの可能性を、リールは持つということを身も持って確認したわけである。
さらに本格的に濁って姿勢も制限されるような環境でラインを扱うと、ラインを何かに巻きつける際にひっかかる可能性の高い複雑で出っ張りの多いリールの形状が、決して理にかなってはいないことを思い知らされる。
リールを使うとスプールに比べて、一つ一つのアクションに対してより大きめの気遣いが必要となり、動きも大きくなってしまうのだ。
従って、少なくともこうした経験を持っているか、あるいはこうした可能性に気づいているダイバーは、リールよりもスプールを選ぶんじゃないかと思うわけで、よって私自身としては、スプールを持ってるダイバーにより安心感を覚えるわけである。
ただし、リールには私の思いもよらない圧倒的な利便性や、リールを使うべくの必然性がある可能性は、もちろんある。
また、リールに関する要注意ポイントを把握してそれに対するケアを行い、かつリールマスターとしてのハイレベルなスキルを持ち合わせていてリールを使いこなしている友人もいるので、これはあくまでも例外を承知の上での私の個人的な見解です。
だってスクーバ都市伝説ですから。
一方、同伴ダイバーがスプールを持っていたからと言って、すぐに安心しちゃうほど、今の私はウブじゃない。
そのスプールの有様を、今度は粘着度高く見極める第二段階の作業に移る。
まずは素材。
衝撃で割れる可能性のあるプラスチック製の安いスプールの持ち主には要注意。
リールのお仕事の重要性を理解していれば、節約の美徳を裏切るのは簡単なはず。
つまり、これはリールのお仕事への理解の不足の証=リスクに対しての理解の不足の証であると、私は、考える。
ラインの巻きっぷりも気になる。
買ったままのスプールはお腹いっぱい。
ドラムの端の壁のギリ近くまで気前よくラインが巻かれてり、壁に空いている、Wエンドをフックするための穴は見えたり隠れたり、の状態。
しかし、これでは任意の穴にWエンドをフックしようとすると、ラインをこじ開け、穴にWエンドの先っぽを挿入するためのスペースを確保しなくちゃならない。
つまり実践では極めて使いにくい状態。
こうしたスプールは、私にこっそり耳打ちする。
「うちのご主人、実戦経験、少ないんスよね」
一方、実戦経験が豊富なスプールは、邪魔なラインが適度にカットされ、ドラムに巻き付く厚みを小さくすることで、お好み次第の穴を何時でもお使いくださいというWエンドの挿入に対しての好意が丸出しな状態。
よって、あえて語らずとも、ご主人の実戦経験が豊富であることを身をもってアピールしているわけだ。
また、スプール本体に明確なIDが記載されているかどうかも、チェックすべき重要な項目。
少なくとも、閉鎖環境を潜るために使われるスプールには、一目で持ち主が分かるためのIDが必須。
でないとラインを引いた活動の帰り道に複数のスプールがあった時、どれが自分が使ったスプールかが分からなく可能性がある。
こんなスプールも、やっぱりご主人の評判を聞かれると目をそらすタイプだ。
続いて注目するのは、Wエンドのフックの方法だ。
Wエンドのスプール側の先っぽは、ラインを抱き込んでドラムの壁穴に挿入することで、ラインをロックするお仕事を担当している。
新品スプールの購入時も、恐らく、この抱き込み姿勢が取られているはずだ。
しかし、この抱き込み姿勢が、実践での「携帯時」にも有効なスタイルだと考えるのは、間違い。
なぜなら、この姿勢はある方向から力が加わると、フックの開閉部分が開く側に動いて、ラインを逃がし、さらにはドラム自体も逃がしてしまうという危険を秘めた姿勢だからだ。
いざ使おうと思ったら、WエンドだけがBCのフックに残っていて本体が行方不明になっているとか、さらに、逃げたラインの先が、細長ぁぁい尻尾のように延々と伸びるという状況を生み出す可能性がある。
必要な時に本体が行方不明では、携帯した意味がないし、伸びた尻尾がどこかにいひっかかって拘束に繋がれば、これは極めて危険な状況だ。
従って、こうしてフックされたスプールの持ち主は、この種のトラブルに対しての想像力の欠如を予見させる。
仮に行方不明事件を起こしても改善なしで同じ方法を使っているとしたら、これは学習能力の不足。
従って、こうしたスプールは、古典的なヤンキー言葉で私にこう呼びかけだろう。
「うちのご主人、ヤベーからよ、ご注意、ヨロシク!」
そんなこんなで、スプールは雄弁な器材だ。
その姿かたちと、それを扱う姿を見るだけで、持ち主のダイバーは、そのレベルをけっこう赤裸々に語られちゃう場合が多い。
さらに、スプールにはラインに関するアレンジの妙とか使用方法に関しての、マニュアルには記載されていない様々なノウハウをたんまり語れる奥の深さを、実は秘めている。
それらを知ることは、テックダイバー的な器材に対する考え方と、器材を使いこなすための発想の理解への近道となりうる、と私は思う。
と書いていて突然思いついたのだが、ご希望の方がある程度いらっしゃるようなら、どこかの場を“無料”で借りて、オフラインで小規模なスプール談義の会でも開いて冬の夜長の時間を潰すのはそう悪いことではないかも。
ただし、この思い付き、実現するもしないも、寺編集長の腹のイチモツ次第です。