’11上方水中映像祭り特集
第2回:手探りで進んだ第1回目
’11上方水中映像祭り特集、第1回では幹事団の言葉をもとに、この水中映像祭がどういうきっかけで生まれたのかをお届けしました。
そこで今回は、2008年に初めて行われた第1回の上方水中映像祭りを開催するにあたっての道のりを探りたいと思います。
想いを実行に移す。
そのプロセスの中で、多大な苦労・障害が在ったと想像することは難くありません。
具体的には、どんなことが起こっていたのでしょうか。
「まったくの手さぐり状態でした」
と、幹事団のTOMIYAさんは語ります。
まず、何人ぐらい観に来てくれるのかがわからない。
来場者数が読めないから、会場もなかなか決められない。
だけど、何の根拠もない話ですが、100人ぐらいは集められるんじゃないかな…ということで、150人収容の大阪城ホール内のコンベンションホールを押さえました。
誰も経験したことのない大阪でのイベント。
全く予測もできない、まさに手探り状態の中での判断でした。
ただ、幹事団の「予想」は、良い意味で大きく裏切られることとなります。
150人を遥かに上回る予約が殺到したのです。
インターネットで受け付けた予約者は、約300人。
幹事団が想定していた数の2倍です。
第1回上方水中映像祭りは、急遽2部制を採ることとなりました。
キャパシティの2倍の来場者に見てもらうために、同じ内容を二度に分けて上映することとなったのです。
もともと1部だったものを2部制に変更する際のお話もうかがいました。
特に大変だったことはありませんが、強いて言えば、一度告知してあった内容から変更になったことを周知させることですかね。
でも特に混乱等はなかったと思います。
この水中映像祭を第1回から協賛している大阪のダイビングショップ・なみよいくじらの関藤氏にも話を聞きました。
第1回で印象に残っているのは、決して混乱等ではなく、その盛り上がりだったといいます。
「あれは驚きでしたね。『ダイバーはここまで集まる場を欲していたのか』と思いました」
かくして、第1回の上方水中映像祭りは幹事団の予想をも上回る大成功となりました。
もちろん幹事団の方々の努力は特筆すべきことです。
アマチュアフォト派ダイバーやプロ水中写真家への作品依頼、宣伝するためのポスター・チラシ製作、インターネット上での宣伝、開催するにあたっての色々な段取りや打ち合わせ…。
8人の幹事団の方々が分担して、これらの作業をされたそうです。
また、後押ししてもらったパワーの大きさについても、幹事団のTOMIYAさんは触れています。
我々幹事団だけでは絶対に成しえなかったことで、多くの方の協力、後押しがあってからこそできたことでした。
どちらかというと、まわりのニーズに我々が動かされてきたような感もあります。そもそも最初は、飲み屋でスライド作品持ち寄って楽しくやろうよ、と始めたことですから。
それがこんな大袈裟なこと(笑)になるなんて、誰も思っていませんでした。
本当にたくさんの人に支えられて、開催できたことだと思います。お客さんのニーズは我々の思い以上のものがあり、そのニーズによって大きくなっていったような気がします。
まさに幹事団8人のご尽力、そして周囲のダイバーのパワーが初回からここまでの成功を生んだと言えるでしょう。
ここまで第1回・第2回と、幹事団の言葉を中心に振り返ってきました。
次回の第3回からは、第三者からの視点で、この上方水中映像祭りを採り上げてみたいと思います。