最善策を冷静に考えられるだけの経験の重要性~漂流寸前の実体験~
ここまでの経緯をご覧になっていない方は、こちらの記事をご覧ください。
宮古島でのナイトダイビング後に漂流寸前〜事前の状況編〜|オーシャナ
トラブル発生時、人によって異なるサバイバルの行動
ダイビングがハードだったうえ、この展開には、率直に「参ったな、こりゃ」と思いました。
一瞬、「漂流か!」とも頭をよぎりましたが、陸も近く、うねりもそれほどでもない。
渡真利さんについていけば、どこかしらで上陸できるだろうし、最悪、タンクとウエイトとカメラを捨てて(僕と越智カメラマンのそれぞれが一眼カメラを携帯)泳げば何とかなるだろうと、命の確保は確信できたので、それほどの恐怖は感じませんでした。
漠然と、「潜る前に軽く飯を食べ、水いっぱい飲んでおいてよかったな」と思ったくらいで、あとは渡真利さんについていくことに集中。
「こっちだ!」と叫ぶ渡真利さんと離れないよう水面を泳いで気がつくスノーケルの偉大さ。
スノーケルはつけていませんでした…。
スキルアップ寺子屋の和尚が本にも書いているように、「スノーケルはエマージェンシーグッズじゃ」を痛感。
流れは、壁沿いから沖に向かう北の流れで、岸から壁沿いを南に進む僕らの進行方向とは逆。
どうしても流れに逆らって泳がなくてはいけなかったので、レギュレーターをくわえて泳ぐことに。
何かでエアを使うことがあるかもしれないので、残圧30くらいは取っておこうと思っていました。
ここで初めての心配事。
年配の女性ダイバーAさんは大丈夫だろうか?
見ればキヨさんが手をつないで一緒に泳いでいるのを確認。
一方、越智カメラマンはやや離れた場所にいたので、方向を見失っているのかと思い、「お~い、越智さんこっち~」と声をかけたのですが、一瞬こちらをチラリと見ても、すぐに違う場所をウロウロしています。
この時、越智カメラマンは、登れそうな崖の場所を探していました。
漂流を始め、トラブルには何度も遭遇している越智カメラマン。
そうした体験を通して、トラブルが発生したときは、「何かに執着せず、最善策のために行動する」ということが染み付いていて、登れそうな崖も見つけており、「自分はカメラと器材を放棄すれば問題なさそうだから、登れそうだったら皆を誘導しようと考えていた」と慌てることはなし。
そもそも漂流体験を何度もしている越智カメラマンにとっては陸上が見えることは大きな安心材料のひとつ。
やはり、最大の心配ごとはAさんの無事へと移っていきました。
それにしても、「経験豊富な渡真利さんと離れないことが最善策」と人を頼る決断をした自分とは対照的に、トラブル後すぐにサバイバルルートを見つけようとする越智カメラマンとは、場数の違いを感じました。
いい意味で、“海で最後に信じられるのは自分”という人生訓のようなものを越智カメラマンからは感じます。
最短ルートで上陸することを選択
「ここが一番登りやすいぞ!」という渡真利さんのひと声で、ビーチではなく、岸壁を登ることが選択されたことを理解しました。
しかし、下地島はロッククライマーでもなければ登れない気が…。
ところが、渡真利さんについてくと、断崖絶壁の一部に窪みがあり、低く平らな棚状になっています。
船が流された後、渡真利さんは瞬時に「追いかけようか?」という選択が頭に浮かんだそうですが、残されるゲストのリスクを考え、上陸する選択をします。
上陸に関しては、岸壁沿いをしばらく泳ぎ、回り込んだところにあるビーチまで泳ぐことも考えたそうですが、やはりAさんが暗闇を長時間泳ぐことや助けを呼ぶ時間の短縮を考え、エグジット場所もすぐに決断できたので、最短ルートで上陸することを選択。
海と宮古島を熟知しているからこその決断で、当然、僕らだけだったら違う選択になっていたかもしれません。
僕たちが通ったルートは以下の通りです。
★ポイント1(図)
Aさんを棚へ押し上げた奇跡の波
まず、僕たちの第一関門は、岸壁の上にある平らな場所に上陸すること(ポイント1)。
敵は石灰岩の岩肌。
鋭利に尖った岩はまるで刃物のようです。
ここで痛感するグローブの大切さ。
はい、素手でした…。
もし、たまに南国で潜るような、シーガル、ましてや海パン+フードベストの格好だったらと思うと…。
次なる敵は波。
海岸に打ち寄せる時にはちょうど棚の高さぐらいになりますが、引いたときは人の身長くらいの高さになるのでタイミングが重要です。
引き波のパワーは想像以上で、タイミングを間違えれば、鋭利な岩肌で肌身を切り裂かれてしまいます。
先頭の渡真利さんや最後方の越智さんは、経験からすぐにひょいとエグジットしていましたが、慎重というより臆病な僕は一旦、頭でシミュレーションするタイプ。
追い波に合わせて一気に岸壁に登り、レギュはくわえたまま寝そべって岩肌をつかみ、引き波をやり過ごそうとイメージ(学生のころ、さんざん練習させられていて良かった…)。
手に持っていたカメラを捨てればより確実ですが、これがなかなかできません(笑)。
渡真利さんに続き、カメラを持ったまま追い波に合わせて棚の上までよじのぼり、引き波をやり過ごした後、立ち上がることに成功。
しかし、Aさんを引き上げるまでは安心できません。
正直、まずまず潜っている成年男子であれば腕力で何とかなりますが、非力な女性やましてや年配の方にはかなり困難な岸壁です。
カメラを置いてから、岸壁沿いで膝をついて、がけ下にいるAさんに手を差し伸べるスタンバイ。
Aさんを心配してグループの最後からついてきていた越智カメラマンもAさんを下から押し上げるスタンバイ。
タイミングを見はからいつつも、ひょっとしたらこれは厳しいかなと思い、渡真利さんも「器材を捨てちゃいなさい!」と言ったその瞬間!
低からず、高からずな、何ともちょうどよい波がやってきて、Aさんの体を持ち上げ、棚の上にひょいと乗せてくれたのです。
大げさではなく、ちょっとした奇跡。
何はともあれ、全員無事に棚の上に登ることができひと安心。
皆を明るくしようと、努めて冗談話をしていたのですが、油断は大敵。
引き波で足をすくわれそうになり、「まだここは油断できる場所じゃないよ」という越智カメラマンの声。
★ポイント2~3(図)
フィンのまま岸壁を登り、無事遊歩道へ
棚の奥にある、棚より一段高くなった場所(ポイント2)に上がってしまえば、ひとまず海の驚異はなくなります。
先に渡真利さんが登って、僕やキヨさんが下から器材渡して持ち上げてもらいます。
越智カメラマンは、カメラを波にさらわられない場所に自分の機材と皆の機材を移動させ、自分の機材から目印に使えるストロボを予備も含めて2灯外して持っていくことに。
器材をすべて引上げたら、今度は遊歩道(ポイント3)まで崖を登らねばなりません。
当然、器材の回収は後回しにして、ライト以外は置き去りに。
20時45分。
今度は、違う意味でのサバイバルのスタートです。
まず、崖を登ることになって知るブーツのありがたみ。
はい、ブーツも履いていませんでした…。
普段ブーツを履かない越智カメラマンはもちろん、こんな時に限っていつものソックスすら履いていない僕、キヨさんの3人が素足。
渡真利さんと、幸いなことにAさんはソールの厚いブーツを履いていました。
素足で登るか、フィンのまま登るか迷いましたが、試しに素足になってみると、立っていることすら辛い状況。
僕と越智カメラマンはフィンのまま登ることにしました。
キヨさんは、運悪く、誤ってサイズがあべこべのフィンで潜っており、フィンのまま登ることは困難。
素足で登ることに。
崖の高さは20mほどと思われ、おそらく、成年男子であれば、厚底の靴とグローブがあれば、特に問題なく登れると思われます。
実際、釣り人たちは、昼日中、周辺の崖を登り降りしています。
素手&フィンの僕らは、慎重にゆっくり登って行けば問題なさそうですが、油断すれば大けがする可能性も。
そこそこ経験がないと、フィンで登ることは難しいかもしれません。
キヨさんは素手&素足だったので、かなり辛かったと思います。
ブーツを履いている渡真利さんが先頭となって後続の足元を照らしながら、素足のキヨさん、年配のAさんのペースに合わせて、ゆっくりゆっくり崖を登っていきます。
渡真利さんは、先に行って船を回収したいという思いもあったのでしょうが、おそらく僕たちに気をつかって一緒にゆっくりと移動していましたが、「こちらは大丈夫だから、先に行ってください」という越智カメラマンの声に後押しされ、ひと足先に助けを求めに移動。
実際、残される4人のうち、プロと言っていいダイバーが3人ということもあって、時間をかければ問題なく遊歩道に出られる状況だったと思います。
僕と越智カメラマンはAさんの手を取りサポートをしながら、通り池を横目にゆっくりと進み、その後を素足のキヨさんが続きます。
やっとの思いで登りきると、汗だくだった僕は、それまで体の保護という意味で着ていたスーツを上半身脱ぎクールダウン。
再び歩き始めます。
歩きながらなるべく明るくなるようにおしゃべりをしていました。
後から越智カメラマンに「寺山君、『いや~、不幸中の幸いですね~』ばかり連呼していておかしかった」と言われました。
やがて遊歩道が近づくと、植物が茂っており、足元が不安定な状態。
岩と岩を上手に選んで進まないと足がすっぽりハマってしまいます。
慎重にルートを選んでいたつもりでしたが、Aさんは岩と岩に足を挟んでしまい、軽く足をひねってしまいました。
21時15分。
遊歩道(ポイント3)に上がると平地のありがたみが身に染みます。
一般道を目指して遊歩道を歩いている時は、安堵感でみな口数が増え、思わぬ下地島上陸を笑い、ホタルの登場に感動したり。
何よりAさんが笑っている様子を見てホッとしました。
エントリーから4時間半。クルーズ船に再乗船
一方、渡真利さんはいち早く一般道に出て民家へ向かっていました。
かなりの距離があり、30分以上かかるであろう道のりのはずが、道路へ出てすぐに、運よくデート中のカップルが運転する車に遭遇。
呼び止めて、携帯電話を借りることができました。
それにしても、夜中に、上半身裸の男性がいきなり登場して、カップルも驚いたことでしょう(笑)。
21時25分。
渡真利さんは、借りた携帯で同業者の弟に電話し、船の探索とピックアップを要請。
同時に下地島に隣接する伊良部島にある伊良部島マリンズプロ宮古の冨谷さんに連絡が入り、下地島にいる僕らをピックアップしてくれることに。
戻って来た渡真利さんと合流し、遊歩道と一般道の分岐点でピックアップを待つ間、安心したせいか現実的な心配が。
「今日の原稿どうしよう」「メールしてないなー」「船が座礁したら、これまで撮った画像が…いや、パソコン沈んじゃったらマズイよな」などなど。
21時40分。
冨谷さんにピックアップしてもらい、冨谷さんの父親がやっている伊良部島の民宿へ。
ここでウエットスーツを脱ぎ、シャワーを浴び、冨谷さんにお借りした服を着て、熱いコーヒーをすすりながら事後相談をしていると、水着を忘れてパンツ一丁だった僕に、冨谷さんのお父様が「これ履きな」と愛用のトランクスを差し出してくれました。
まさにともだちんこな温もりに感謝(涙)。
皆の共通の心配事は船の無事。
幸い、流れ的には座礁の心配はないだろうとのことでしたが、「無事、回収」の電話が入った時は安心しました。
深夜0時前ごろに宿を出て、港から冨谷さんの船で回収されたTIDA Againへ向かい、0時25分についに乗船。
船の回収に来ていた渡真利さんの弟は、怒りが収まらない様子で、「アンカーかけときゃ、こんなことにならなかったのに!」と何度も渡真利さんに怒りをぶつけ…。
「すまなかった…」と小さくなるしかない渡真利さんでした。
僕も越智カメラマンも手は傷だらけで、キヨさんも足が傷だらけ、Aさんは後に靭帯が2本切れていることが判明しましたがこの時は軽くひねったくらいに思っていたので、ほぼ原状回復で生還できたことを、皆で喜び、ささやか祝杯をあげたのでした。
次回、最終回はこの経験を今後に活かせるための考察をお届けします。