実録☆漂流体験記 前編
ダイビング事故を未然に防ぐには? それは、
実際の事故を検証し、そこから得られた教訓を元に、万が一に備えること。
漂流
めったにあることではないが、毎年、必ずといっていいほど起こっている。
「まさか自分に限って」と思うかもしれないが、
伊藤祐一さんは、パラオでそのまさかを経験してしまったダイバー。
伊藤さんからそんな漂流体験談とそこから得られた教訓、
そして、漂流後変化した現在の潜り方について聞いた。
まず今回は、2008年1月に起きた漂流レポートを紹介する。
■実録:漂流体験
伊藤祐一さん (当時1360本)
※インストラクターの資格を持つが、この時は仲間とファンダイビングでパラオに訪れていた
※現在は1700本。TDI・CMASインストラクター
その日は非常に重く強い流れがありました。
ペリリュー島にて午前中2本潜り終えた私たちは、お弁当を食べた後、
希望する6名にガイドとアシスタントを加えた8名で3本目へ行くことになりました。
このときスタッフは、陸に残った5名に笑顔で言ったのです。「約50分で戻ります」と……。
【14時25分 ブリーフィング】
潮を見ながらエントリーポイントを決定後、ブリーフィング。
■ブリーフィング内容
①エントリーポイントは「ペリリューエクスプレス」
②ボートの下5㍍に集合
③15〜20㍍で水深を維持しながら流れに乗って移動。
④南から北にドリフト
⑤ウォール(注:ドロップオフの壁)沿いのダウンカレントに注意。
【14時46分 エントリー開始】
まずは、フィリピン人ガイド、3名のゲストがエントリー。
続いて、私は14時49分に エントリーしましたが、ボートの下に行っても誰もいません……。
透明度は10㍍程度で浮遊物も多く、カレントは1 ノット程度だが重い。
私は4人の吐くエアを探して周辺を探しましたがやはり見つかりません。
4人がダウンカレントに捕まったのかと思い、
私もダウンカレントに乗って水深42㍍周辺を捜索しに行くことにしました。
水深55㍍付近に巨大なロウニンアジが100尾くらいで壁の状態になっていて、
ペリリューのすごさを実感しましたが、とにもかくにもほかの人を探さないといけません。
自分の吐くエアも後ろには行くが下には下がっていなかったし、
周辺にエアも上がっていなかったので、これより下にはいないと判断し、
流れから逃れて浮上しました。
約3分後、戻ってみると、後からエントリーしたゲスト2名とアシスタント1名の
計3人のダイバーがボート周辺の流れの弱いところで待っていたので合流し、
ブリーフィングで聞いたエグジットポイントを目指すことにします。
注:つまり、”フィリピン人ガイド+3名”と”アシスタント+3名”の2グループに分かれて行動
私たちはブルーフォーターの中、25分フィンキックし続けました。
強烈な流れに乗っている間もどんどんサメは追い抜いていく……。
そして、予定どおりのエグジットポイントで浮上。
【15時24分 浮上】
浮上してみると、先にエントリーしたフィリピン人ガイドを含む4名も浮上していました。
15分前に上がっていた彼らと合流し、8名のグループがまとまった状態になりました。
しかし、ボートはブリーフィングとはまったく違う南東東 約4㌔地点にいるので、
オペレーターに知らせようと、シグナルフロートやホイッスル、
ダイブホーンでアピールしても反応がありません。
【15時30〜40分 漂流の予感】
依然ボートは同じ場所から動きません……。島は少しずつ小さくなっていっています。
アシスタントガイドは不安な顔で「こんなことは今までなかった」と言うだけ。
私は彼女のその顔を見てさまざまなことが頭をよぎりました。
■伊藤さんが水面で考えたこと
①リーダーがリーダーの役目をしていない。
②5人を残してきているので、必ず事故に気がつき捜索が始まる。
③ 以前にペリリューで遭難したダイバーがマニラに漂着した。
④日没は18:30である(前日ヤップでの日没がそうだった)。
⑤前日の夜、ヤップからコロールに向かう飛行機から見下ろした月は三日月で大潮。
(※実際は大潮に近い中潮だった)。
⑥低体温症が怖い(2人はスーツを着ていなかった)。
⑦捜索は島周辺から行なわれ、何本か潮があれば順に捜索される。
⑧信頼できる仲間と一緒。
⑨夜になれば精神的に耐え難い。
⑩ペリリュー島まで約6㌔。
【15:45 行動】
私の意思は固まりました。
私は信頼できる仲間とともにペリリュー島を目指すことを決意したのです。
そして、仲間もそれに賛同。自力で上陸することや、漂流している場所は、
港から見えそうな角度だったので、ライトやストロボで
残った5人にアピールできると考えました。
このとき日没まで約3時間。日没の時が最大のチャンス。
私たちにはカメラのストロボと大光量のLED ライト、そしてダイブホーンがあります。
このときまだボートに動きはなく、捜索依頼がかかって捜索が始まるころには
さらに流されていることになるので、捜索が始まった頃には最大限島に近寄っていたい。
私を含む仲間3人で泳ぎ始めると、フィリピン人ガイドはこちらへ泳ぎながら
アシスタントガイドに「Come Together!」と叫びました。
注:伊藤さんたち3名とアシスタントたち4名、そしてその中間点にフィリピン人ガイドの状態
私たちはウエイトを捨てましたが、タンクは最後まで迷いました。
360度すべて海ならダイブホーンを使う1本だけを残して捨てたでしょうが、
残圧十分のタンクが、自力上陸する際に最大の難関である潮流を渡るときや
波立つ岩場にエグジットするときに武器になるのではという考えから
まずは捨てずにおきました。
【16時 異変】
ボートは依然動きません。波が大きくなってきたようです……。
この頃にはフィリピン人ガイドは私たちと合流していました。
上陸する地形や島周辺の潮の流れに詳しい人間が合流してくれて、非常に心強く感じました。
一方、港では陸にいたガイドが疑問を感じ、残された5人に声をかけ、
ここで初めて異変に気づいたのです。なぜなら、50分で戻ると言って出航したボートが、
1時間45分たっても戻っていなかったからです。
彼はすぐさまボートで「ペリリューコーナー」を目指しました。
そして「ペリリュードロップオフ」周辺でボートを発見し、
状況を確認するとパラオ人オペレーターは「90分以上経つのに、誰も上がってこないんだよ」と言ったそうです。
そりゃそうです。違う場所で待っているし、
時間も40分ではなく15分と30分ちょっとで上がっているのですから……。
この時点でそのガイドにより、ようやく捜索依頼がかかり、
アンガウル島方面の捜索が開始されました。
【16時10分〜漂流&捜索中】
パラオの全ダイビングサービスに救助依頼がかかり、
そして警察・レンジャーへの救助依頼がかかりました。
しかし、パラオの大半のサービスはコロール周辺にあるので、
ペリリュー島までは50〜70分かかることになります。
その頃私たちは、フロートを水面に浮かべたままコンパスを島に合わせて、
水深3㍍を効率良く移動中でした。しかし、水面の状況がまったくわからず、
何度も浮上し、いつしか、水中を泳ぐことを断念し水面を泳ぐことに……。
17:30 みんなの気を紛らわせるために撮影
全員、泳ぎきる気持ちと絶対に生きて帰るという強い気持ちでいっぱいでした
【17時50分 不安】
夕暮れが近づいてきており太陽の角度は25度。
あと5度下がれば完全に雲に隠れてしまいます。
私たちは夜に備え、はぐれないようにそれぞれの体をラインで繋ぎました。
覚悟はしていましたが、何度も眼下にサメが泳ぐ様子を見ると、やはりいい気はしません。
夜が不安でたまりません……。
しかしこれからの2時間が最大のチャンス。遅くなりすぎれば二次災害防止のため、
捜索が一旦打ち切られることが多いことも理解していたのです。
【17時57分 救出】
そんなときです。不安に包まれながら水面を漂う私たちの耳に、
かすかなエンジン音が聞こえてきたのです!
そちらに視線を送ると波間にボートが見えました!! およそ4㌔です。
私はできるだけ高い位置でライトを振りました。
少しでも高い位置で、波に隠れることなくライト光を見つけてほしい一心で
ガイドの肩を借りて一生懸命ライトを振ったのです。
ガイドもストロボを使って必死にアピール。さらに、1人はシグナルフロートを頭上で振り、
1人はホイッスルを吹きながらダイブホーンを鳴らしました。
何の打ち合わせもしていないのに、各々が素晴らしい動きをしていたのです。
すると、ボートが気づいてくれ、こちらに向きを変えて進んできたのです。
うれしくてうれしくて涙が出そうでした。
17:58 近づいてくるボート
【18時 全員エグジット】
私たちは救出されましたが、まだ残り4名は海の上。再び捜索が開始されました。
私は克明に記録していた時間、潮、波、位置情報を伝えました。
南への潮と西への波で、南南西から南西西方向に流されており、
浮上地点がオレンジビーチ付近であることと、
浮上から3時間が経過しているので南北方向は「ペリリューコーナー」 より南である可能性が高く、
現在捜索地点より東側のあの辺り(指さし)だと伝えました。
しかし、ペリリュー周辺の海に詳しい現地の人には考えにくかったらしく、
私の言った場所よりかなり西側の捜索が続けられました。
しばらくするとレモンティーとピーナッツチョコをもらいました。
1本のペットボトルをみんなで回し飲みしましたが、
あんなに甘ったるいレモンティーをあれほどおいしく感じたことがあったでしょうか。
チョコレートもドロドロに溶けていましたが、忘れられない味となりました。
捜索中も、私たち以外の4名はコンパクトデジカメしか持っていなかったので、
ストロボでアピールできるだろうか? ライトは持っていただろうか?
よく思い出せず、心配は募るばかりです。
18:30 捜索中
18:56 ペリリューレスキュー
【19:40全員救出2】
事故者はまだ見つかりません。すっかり日没し雨も降ってきました。
「これは相当不安だろう……」と心配していると、漂流者発見の無線連絡が入ったのです! しかも、全員無事とのこと!!
彼らはアンガウル島周辺まで流されていたところを、
捜索中の《パラオスポート》のスピードボートに救助され、
「ブルーコーナー」周辺に停泊中の本船に戻っているとのことでした。
私たちは心の底から拍手を送り、安堵したのでした。
【まとめ】
今回の事故で私はさまざまなことを学び、今後の皆さんのお役に立てばとまとめました。
■良かった点
●ゲストがイントラ3名、ダイブマスター1名だった。
●ライトやストロボなど光を放つ物が多くあった。
●全員冷静かつプラス思考であった。
●助かるために泳いだ。
■悪かった点
●私以外全員スノーケルがなく、水面で苦労した。
●1名のBCがエア漏れしていた。
●タンクを捨てなかった。
●水中バランス抜群のバックフロートBCが、水面では最低のバランスであった。
●スーツを着ておらず、低体温症の不安があり、クラゲにもやられた。
■今後やりたいと思うこと
●レーダーフロートの携帯と、それを陸上(船上)に残る人に伝える。
●海面着色剤を携帯し、昼間の空からの捜索とサメに備える。
●もっと長いシグナルフロートに買い替え波間から確認できるようにする。
●温暖な海でもスーツを着用する。
●DANへの加入を勧める。
●水の携帯。
●この経験を伝え、事故防止に役立てたい。
●この事故をきっかけに、さらに安全にダイビングを楽しませることができるインストラクターになりたい。
今回の事故原因は、オペレーターによるところが大きいと思います。
私は、きっと彼は昼寝していたのだろうと思います。
そして、場所がペリリュー、さらに3本目でボートの数がかなり少ないことから、
ここまでの事故になったと思います。
ついつい優秀なイントラ、ガイドに目が行きがちですが、オペレーターのスキルも重要です。
これも後からわかったことですが彼はレンタルオペレーターであったそうです。
パラオはキャプテンはパラオ人でなければならず、こういったレンタルオペレーターが存在するようです。
そしてベテランという言葉を信じてレンタルし、
今回の事故が発生する一因になったと思います。
優秀なオペレーターがいれば安心して潜れます。
リフトバッグを打ち上げ損ねてもキチンと回収してくれます。
数㌔のドリフトも安心してできます。
強いカレントの中、ガイドがフロートを上げながらダイビングする必要もありません。
強いカレントで真っすぐ上がってこないエアからも下にいるダイバーの位置を推測します。
ダイビングは潜っている人だけでやっているんではないこと、
上がればなんとかなるという考えだけではいけないということに改めて気づきました。
エントリーしてからエグジットするまでがダイビングであると錯覚しがちですが、
セッティングからオフティングまで……。
もっといえば、家を出てから帰るまで、
すべてを安全かつ確実に行なわなければならないことを再認識しました。
私はさらにいいダイバーになって再びペリリューを訪れたいと思います。
※次回、現在の伊藤さんのダイビングについてご紹介します。