安全と楽しさの狭間
DANの会報にも載っていたWHOが開催した「溺死に関する世界会議」。
〝溺死事故の80%は防止可能である〟という報告に魅力を感じ、読者に紹介しようと思いつく。
ありがたいことに学者はわざとわかりにくく書くことが仕事なので、
理解してわかりやすく紹介すれば商売になるわけです(笑)。
しかし、紹介するのはとりあえずやめた。
溺死防止、ひいてはダイビング事故防止で
最も大事なのは事前の〝レスキュープラン〝。
「最寄の医療施設を尋ね、
ダイビング緊急時の対処手順について調べてみましょう」から始まり、
潜るエリアの危険性の予見とそのリスクの軽減、
さらに医療支援が遅れるとしたらなぜかなどを「考えてください」とある。
そりゃそうだけど……。
体育会系のおかしな(いい意味で)ダイビングクラブにいたときは、
確かにレスキュープランはかなり用意周到に作っていた。
例えば合宿する海では、一番近くの公衆電話を確認し、
やはり近くの病院に菓子折り持って挨拶に行き、
予定コースにおけるリスクをすべて書き出した〝安全計画書〟なるものを冊子にして先輩に提出。
さらに、曳航係や記録係、小銭係(公衆電話のため)まで作って、
レスキューのシミュレーションまで行なった。
確かに安全だった。しかし、ひとつ重大な事実が。
ダイビングがつまらなかった。
事前に書いた計画書には「エントリー時にコケで転ぶ可能性が抜けている!」
などと赤がいっぱい入れられて戻ってくるし、
レスキューのシミュレーションでは迫真の演技が求められた。
「誰か助けてくださーい」、「それが、愛する者が死にそうなときの表情か!」って(笑)。
プロになるなら役に立つかもだが、
レジャーダイバーにとってダイビングはもっと気楽なものじゃなかろうか。
雑誌も説教臭い記事に燃える人もいるが、
〝レスキュープランを考えよう〝なんて記事は読み飛ばされる。
安全を真剣に考えている人たちは100%の安全に向かい、
その過程で酔っぱらい、伝え方と落としどころが抜けがちになる。
実際、〝安全を考える〟みたいなところに顔を出すと、
お友達になれなそうな一般ダイバーがいっぱいいたりする。
まあ、逆に自分の場合は、小手先の伝え方ばかり考えてしまい、
本質が抜けてしまうことが多々あるのだが……。
ちなみに、今書いているバディシステムの重要性を説く記事でも、
「バディシステムをしっかり守ろう!」では読んでくれないから、
「飾りじゃないのよバディはふっふ〜」と書いて、
10歳ぐらい下の後輩から「意味がわからない」と言われて凹んでいる。
明菜はテラ少年に性の香りを運んでくれた素敵なお姉さんだったんだぞ。
それにしても、つくづく、絶対善とされる〝安全〟と〝環境〟はやっかいだ。
極端に言えば、
「死ぬ可能性があるからダイビングはおもしろい」。
そんなこともちょっとは考えてほしいなぁ。語弊があったらスイマセン……。