「江の島の神様飲み会」の後味
独り盛り上がりまくっていた江ノ島の神様飲み会。
http://diving-commu.jp/ceditorblog/item_5093.html
終えてみて今僕の口の中に広がる後味は決していいものとは言えない。
ネタの世界がリアルになったことの難しさよ。
つまり、こういうことだ。
テレビで見る木村拓哉は商品でありただの記号であるから、
「キムタクうぜー」と言っていればいいのだが、
もし実際に会えば木村さんと呼ぶであろうしブログに批判も書きづらくなる。
プロ野球選手を呼び捨てにする子供に、
実際に会ったときに「さん付けしなさい」とさとすといった類の話である。
そういう意味では、当時茶化しまくっていた(という表現が合っているかどうか)
小倉智昭の「誤解しているようですから一度お会いしましょう」という申し出を拒否し、
テレビの前に座り続け、テレビの中だけの小倉をえぐっていたナンシー関は素晴らしい。
まったくレベルの違う話ではあるが構造的には同じ。
絵馬の出会いというおもしろさに、江の島の神様飲み会だ、運女だと盛り上がり、
それをネタにすることは誰も損しない楽しい話であり、
運女が実際に姿を現さないというのが最高のハッピーエンドなのである。
しかし、彼女は目の前に現れ、ネタの世界からリアルの人となった。
運女ではなく、○○さんになってしまったわけだ。
会って初めてそのことに愕然とし、僕は会ってしまったことを大いに後悔した。
一目惚れしたのであれ、ガッカリしたのであれ、
リアルな相手が傷つかないことは最低限のマナーであり、
そういう意味ではネットでネタにするということが一番やってはいけないことなのである。
「よくそんなことまで書いちゃうね」と言われることがあるが、
実はリアルな人たちは誰も傷つかないようにかなり配慮して書いている。
会ったこともない人が傷つくのは正直どうでもいいし、
そんなもん気にしていたら何も書けない。
もし会ったことがある人が傷ついたことがあるならば、
それは傷つける、というかメッセージを意図的に発しているのだと思う。
会ったことのない100万人が傷つくより、
目の前の一人が傷つくことの方が重罪である。
会えばそりゃ自分のこともある程度話すので、
彼女が僕のことを知ろうと思えばネットでいくらでも情報が得られるし、
簡単にブログにもいきつくだろう。
そういう意味では、この飲み会については書かないことが最低限のマナーであるが、
ネタとして事前にあおりまくっていた責任もある。
実際、驚くほど「どうだったのよ?」と聞かれるし。
ここ数日、この件に対してどう書いていいかを悩み、
何とか自虐で切り抜けられないと考えていたわけだがよい方策も見当たらず。
かといって、やはりあおった以上スルーするわけにもいかず、
こうなれば誰かが傷つくこと覚悟で、
露出狂の自意識過剰な人生行路を見ていただくほかない。
結果、「その場はとても楽しかったが、女性として特に意識するようなことはなく、
その後いただくメールにどう対処しようか若干面倒くさくなっている」という、
最低限のマナーすら守れず、誰も得しない、おもしろくもなんともない
最低の告白がただただリアルに横たわるだけなのである。
この件、自分の未熟さに自己嫌悪甚だしく、
そっとしておいていただけると幸いです……。