津波が残した「命めぐる海」
3月11日。
あの日、岩手県大船渡市の海岸線に住む浦嶋みさおさんは、
駆け上った高台から津波に飲み込まれる家屋を呆然と見つめるしかなかった。
自宅は、1階の天井スレスレまで水が押し寄せ、
水の圧力で家財道具はなぎ倒され、その多くは引き潮でさらわれていった。
津波が去った自宅に恐る恐る戻ってみると、
家の中は水浸しで、めちゃめちゃの状態。
沈鬱な気分で、散乱する部屋の中を見渡していると、
1冊の写真集がみさおさんの目に止まる。
「命めぐる海」
本棚にあった他のすべての本が流されてしまっていたにもかかわらず、
水中写真家・中村征夫さんの写真展を収録したこの写真集だけが、
原型をとどめた状態でポツリと床に残されていた。
※
10数年前、東京の写真専門学校に通っていたみさおさんは、
六本木のダイビングショップでCカードを取得し、
ダイビングの虜になって、結婚するまではよく潜っていた。
学校でも迷わず水中写真のゼミへ。
初めて行った水中写真展は中村征夫さんのもので、
写真はもちろん、その人柄を含めて、すぐにファンになった。
結婚後、岩手に来てからはダイビングとは遠ざかっていたが、
2009年、征夫さんの写真展「命めぐる海」が秋田で開催されることを知り、足を運んだ。
久しぶりに触れる海の世界に心打たれ、その場で写真集を購入。
リビングの本棚に大事にしまい、時々、引っ張り出しては眺め、
昔潜った南の島の海を思いながら、「また潜りたいな〜」と心を躍らせていた。
「命めぐる海」は、みさおさんと海をつなぐ大好きな写真集だった。
※
床に投げ捨てられてかのように残されている写真集を見たみさおさんは、
ほうっておくことなどできず、すぐに拾い上げ、
1ページ1ページめくっては丁寧にタオルで拭いた。
津波の後に唯一残された本のタイトルが「命めぐる海」。
皮肉のようにも、希望のようにも感じられた。
できる限り泥や水気を取り除いたものの、
やはり、元通りとはいかなかった。
それでも、運命的に手元に残ったこの大好きな写真集。
捨てる気にはなれず、大事にとっておくことにした。
※
運命はめぐる。
みさおさんの義理の弟である浦嶋康元さんは、
震災後、「三陸ボランティアダイバーズ」のメインスタッフとして活躍。
その活動の中で、共通の知人を通じて、中村征夫さんの息子である
中村卓哉さんと出会い、一緒にチャリティイベントを開催することになる。
当時、ダイビングをしたことがなかった浦嶋さんが、
義姉のみさおさんに、会話の中で何気なく中村卓哉さんのことを伝えた。
「水中写真家の方でお父さんも有名な写真家らしいよ」。
みさおさんは、「し、知っているわよ!」と驚き、
そんな驚く姉に浦嶋さんも驚いた。
さらに、めぐる。
その後も三陸ボランティアダイバーズの活動に協力していた卓哉さんが
そんなエピソードを征夫さんに話すと、心動かされた征夫さんから、
「ささやかなプレゼントですが、時間があるときにでもどうぞご覧ください」と
丁寧な直筆メッセージが添えられたサイン付きの写真集が2冊、
みさおさんの手元に届けられた。
当然、みさおさんは大喜び。
「恐れ多くて、いただいたときにはとにかく驚きました。
そうした気遣いがありがたく、最後は狂喜乱舞(笑)。
一生大事にしたいと思います」
その後、お礼状を送ったみさおさんだが、
震災から1年以上経った今、改めて中村さんへのメッセージをお預かりした。
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前略 中村征夫様
昨年の東日本大震災に際しては
お心を寄せていただき本当にありがとうございました。
私事ではございますが、お手紙を差し上げました後、
仮設工場において事業を再開することができ、今は立て直しに奮闘中です。
またいつか海に戻れる日を目標にがんばっていきます!
先生もどうかお体を大切にお過ごし下さい。
草々
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新しい本棚に納められたピカピカの2冊の写真集。
箱の中にそっとしまわれているヨレヨレの「命めぐる海」。
いずれも、みさおさんの大事な宝物だ。