日本の減圧表が2014年に改定?ダイビングと減圧を巡る話の行く末

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レジャーダイバーは、法律的にはアウトローな存在!?

一般のリクリエーション・ダイバーには関係がないと思われていますが、リクリエーションであろうと業務であろうと、潜水は潜水、つまりダイビングをやる場合には、高気圧作業衛生規則という法律(略して、高圧則)で決まっているルールに従って、行うことになっております。

本来は高圧下で作業する人たちの健康を守るための、労働規則であります。
純粋に海で遊んでいるだけのリクリエーション・ダイバーがこの労働衛生のための規則に縛られるかどうかは、この規則の制定以来論議されていますが、現実に一般のリクリエーション・ダイバーが、その細かな規則違反で、その否を問われたケースは、このヤドカリ爺はしりません。

その意味で、リクリエーション・ダイバーにとっては現実的ではない法律なのであります。
 
しかし、リクリエーション・ダイバーも水中での作業者と厳しく解釈すると(いざとなれば、お役所は、そう解釈するのが通例であります)、この高圧則が定めた潜水のやり方でダイビングをしないわけにはいかないのであります。
少なくとも、ダイビング・インストラクターやガイドは立派に水中業務であります。

簡単に言えば、この法律が定めている潜水器材を使い、空気だけを使い、独特の減圧表を使って計算し、浮上スピード(10m/分)を守って浮上しなければならないことになっています。
そのための国家資格である潜水士免許を取得し、それを有効に維持するには6ヶ月ごとに健康診断が要求されることになっております。

しかしこの高圧則の減圧表を使っているリクリエーション・ダイバーなどまずいませんし、多くのダイバーは1990年代になって、多くのダイブテーブルやダイコンが遅い浮上を指示するようになるまでは、アメリカ海軍のダイブテーブルの毎分18mで浮上していました。
リクリエーション・ダイバーはいわば、この規則のアウトローだったわけであります。

セブ島の群れ(撮影;越智隆治)

50年以上ぶりに改訂される!? ダイブテーブル

なぜこんなに非現実的な状況が存在するかというと、現在の高気圧作業衛生規則(略称:高圧則)の制定は、昭和47年(1972年)といいますから、あの万国博の後の高度成長期のころ、やっと、リクリエーション・ダイビングがよちよち歩きを始めたころであります。

それどころか、実際には、さらに11年もさかのぼる昭和36年(1961年)に施行された、高気圧障害防止規則の衣替えをした法律だとされております。

このときに、この規則で定められたダイビングのルールに、つまり50年以上前のテクノロジーに基づいたルールに、私たちは縛られているといえば、縛られているわけです。
その中には、日本式の減圧表も含まれているわけです。

しかもその核心部分である減圧表、その根拠もその計算式もよく分からない不思議な代物なのであります。

たとえば、アメリカ海軍の減圧表など、広く使われている減圧表は、その計算式と許容限界値(M値)、さらに浮上速度など詳しく公表していますが、この高圧則の減圧表(別表といいます)は、あるだけで、そのベースとなっている計算式、アルゴリズムなどの説明は、どこにもその説明がないのですね。

いわば、日本でケーソン作業、潜水作業をするなら、つべこべ言わずにこれを使えというように、見えるのでありますな。

そしてこの正体不明の減圧表は、制定以来50数年使われていた、正しくは使われていたことになっています。

このオリジンが良く分からないというのは、このヤドカリ爺の意見ではなく、さる高名な潜水生理学の先生も、その論文などでも言われております。

それがたぶん来年には、50年あまりを経て、スイスモデルとして広く知られている、ビュールマンZHL-16というダイブテーブルが採用されることになるようですが、ビュールマンのZHL-16がどんなダイブテーブルなのかは、次回のお話にさせていただいて、現在私たちダイバーを、建前上縛っている、高気圧作業衛生規則の別表という名前の減圧表をあちこち乏しい資料を探して、推理してみました。

セブ島の群れ(撮影;越智隆治)

日本の減圧表の正体はなんだろう?

1907年にホルデーンが、人体の5つのモデルに分けて最初に減圧表を作って以来、このホルデーンタイプの減圧表が世界的に使われていて、特にアメリカ海軍が熱心に改良開発しております。

アメリカ海軍は、最初、その人体モデルを5つにしたり、ときには3つにしたりの試行錯誤を重ねて、基本的にアメリカ海軍が6つの人体モデルの減圧表を発表したのが1959年とされております。

これがさらに改良されて、1965年ごろに私たちリクリエーション・ダイバーになじみの深いスタイルの、アメリカ海軍の繰り返しダイビングのダイブテーブル、U.S.NAVYテーブルになります。

ちなみにPADIが採用しているリクリエーション・ダイブ・プラナーは、このダイブテーブルの系列にある、リクリエーション・ダイバー専用の改良版といったところです。
日本のNAUIはこの修正版を使っているようです。

では、出生の経緯不明とされている日本の減圧表ですが、今回の高圧則の改訂検討案の中の表に、6モデルであるとだけ書いてあります。
そして制定された1961年という時期、しかも高度成長期以前の日本が、膨大な費用のかかる減圧表の開発ができたとは思えないことなどを考え合わせると、どうも1959年に発表されたばかりの、6モデルのアメリカ海軍の減圧表をアレンジして、あの独特の別表という減圧表を作ったと、ヤドカリ爺は想像しております。

また、単純にその減圧停止不要時間をU.S.NAVYテーブルと比べると、その数値がよく似ているのですね。

さらに、当時の日本の潜水医学の権威だった梨本一郎博士が、分かりやすい潜函病予防法の解説「高気圧障害防止規則による減圧症予防の原理と実際」(1962年)というテキストを出版しておられます。

ヤドカリ爺がダイビングを始める以前のご本なので、国会図書館まででかけて調べてみると、その中に減圧表の使い方が詳しく述べられております。
日本の減圧表は“高気圧作業時間表”という名前だったようです。
減圧停止不要時間を比べると、非常にその数値が似ているのですね。

これらの状況証拠から、どう見てもU.S.NAVYのダイブテーブルとは似ても似つかないあの厚生労働省の別表2という減圧表は、私たちリクリエーション・にダイバーおなじみのアメリカ海軍のダイブテーブルと関係があるらしいと、このヤドカリ爺は思い至ったのであります。
それどころか血縁関係すらあるのではないかと。

セブ島のソフトコーラル(撮影;越智隆治)

では、なぜU.S.NAVYテーブルとあれほどデザインが違うのか、これもヤドカリ爺の想像でありますが、アメリカ海軍が1959年に6モデルの減圧表を開発し、さらに現在のスクーバダイバーを意識したデザインへと発展させたU.S.NAVYテーブルを発表するのが1960年代半ばですから、ルーツは同じでも、まるでデザインの違うものが、日本とアメリカで生まれたことになります。

1960年代はじめごろは、アメリカでリクリエーション・ダイビングが産声を上げたころ、日本ではスクーバダイビングの初期の初期、潜水という分野での中でのマイノリティー。
たぶん、潜函作業やヘルメットダイビングで使う事だけを考えて、当時としては最先端のアメリカ海軍の減圧理論を直輸入して、言い換えればちゃっかりいただいて、日本的なデザインにアレンジしたのでしょう。

一方で、アメリカでは、スクーバを軍事目的で使うことを前提にデザインされたダイブテーブルを、アメリカベースの指導団体が採用した結果、さらにリクリエーション・ダイビングがアメリカの指導団体主導で世界的に広がると、同じルーツであっても、デザインの違ってしまった日本独自の減圧表は、リクリエーション・ダイバーの中では影の薄い存在になってしまいます。

これらのヤドカリ爺の推測が当たっているとすると、デザインは違っても、減圧不要限界、窒素の吸収と排出の計算は、基本的に同じということになります。
前にもお話した、減圧不要限界などという、めちゃくちゃ直訳的訳語も、アメリカ海軍のマニュアルあたりから転用したと考えるとなんとなく納得であります。

ダイバーにおなじみのあの言葉が消える!?~2014年ダイビング界の大きな流れと小さな話~ | オーシャナ

アメリカ海軍のU.S.NAVYテーブルは、改良されながら今でも広く使われているのですから、リクリエーション・ダイバーに存在感の薄い、日本の減圧表もまったく無縁のものともいえないように思えてきたのであります。

お断りしておきますが、この日本の減圧表の正体が、どうもアメリカ海軍のU.S.NAVYテーブルらしいというのは、あくまでもこのヤドカリ爺の推測であります。
いや、勝手な思い込みといったほうがよいかもしれません。

しかしながら50年の後になって、さすがにこの日本デザインの減圧表は、いろいろな問題があるようで、2014年には新しい減圧表が採用されるとされております。

ビュールマンのZHL-16が予定されているようですが、ZHL-16への移行は、日本の減圧表、厚生労働省の別表からビュールマン・テーブルに変わるというよりは、U.S.NAVYテーブルからスイスモデルへの移行といえるのかも知れません。

では、ビュールマンテーブルとはどう違うというお話は、またいずれ。

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PROFILE
1964年にダイビングを始め、インストラクター制度の導入に務めるなど、PADIナンバー“伝説の2桁”を誇るダイビング界の生き字引。
インストラクターをやめ、マスコミを定年退職した今は、ギターとB級グルメが楽しみの日々。
つねづね自由に住居を脱ぎかえるヤドカリの地味・自由さにあこがれる。
ダイコンよりテーブル、マンタよりホンダワラの中のメバルが好き。
本名の唐沢嘉昭で、ダイビングマニュアルをはじめ、ダイビング関連の訳書多数。
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