水中ご遺体捜索 後編
前編 中編
■第二回の水中遺体捜索。漁師さんの息子さんを探してあげたい
広島へ一時帰宅した大坪さんだったが、
このまま放置してしまうと捜索活動は打ち切られ、
海の復興作業にシフトしていく可能性を危惧し、
日程調整を急いで5月9〜14日再び岩手県の山田町へ(現地滞在4日間、移動2日間)。
前回の教訓を踏まえ、往復のリスクを避けるため、まずは新幹線で東京まで向かい、
東京から仲間と二人でタンクなどの備品を積込み、陸路現地入り。
現地では、すべての日程を水中での遺体捜索のために費やす決意だった。
「前回行った時も、水中捜索は手付かずの状態でしたが、
私が帰った後も水中捜索は行われなかったようで、
地元のかたから再三に渡って要望が来ました」
大坪さんの心に、やり残したこととして引っかかっていたのが、
捜索を手伝ってくださっているお二人の漁師さんの息子さんの捜索。
「息子さんを見失った辺りや疑わしいポイントに潜ってほしいとは一切語らず、
他の遺族のために毎日毎日笑顔を絶やさず、
捜索活動をされているお二人に何とか報いたい気持ちでした」
10日に山田入りした大坪さんは、潜り続ける毎日を過ごす。
潜らない時間は、船から流したロープに捕まり、
水面から水中を監視しながら船を移動させ、怪しいポイントをひとつひとつ潰していく。
「18時前に下船する頃にはヘトヘトです。
陸に帰ってからもタンクの充填をしつつ、地元の方からヒアリングし、
次の潜水計画を立てていきます」
もうボランティアの域は、とっくに越えていた。
■今、広島から思うこと
山田町での活動を終え14日に広島に帰宅。
2回に渡る山田町入りで、移動を含めトータル23日、実働18日、
うち水中捜索活動11日(うち単独潜水は4日)。
ご遺体の捜索は難航し、実際に大坪さんが見付けることができたのは、
水中と水面で各1体ずつ。
「特に2回目の山田町入りでは、1回目の反省等を踏まえ、
捜索範囲をかなり広範囲まで広げ、地元の方のご意向、
ご要望に沿う形で捜索しましたので、
ある程度のご理解とご納得をいただけたのではないかと思います」
強い意志と行動力で水中から支援に尽力した大坪さんにも生活がある。
現実問題として、次の山田町入りは難しいかもしれない。
「どなたかが意思を引き継いでいただけると信じています。
山田町含め、被災地の一日も早い復興を祈って止みません。
被災地である山田町の皆様に、いろいろなことを学び、
お手伝いに行ったはずの私が逆に励まされ、力をいただいたことに感謝します。
また、ご支援いただいた皆様と、私を快く送り出してくれた弊社スタッフ、
心配をかけ、支えてくれた家族に感謝します。
最後に、このような惨劇が二度と起こらないよう祈るばかりです」
(終わり)
■ご支援・ご協力
朝日養素、㈱ウイリンクス、宗田博之、竹野八百屋、ダンク ダイビングスクール、
水兼勇人税理士事務所、 (有)大坪スタッフ一同
■現地で行ったボランティア活動内容
○水中での遺体捜索/
水温7〜9度、今回の水深は最大で20m、
透明度(視界)は悪いときで50cm、良いときで6m
○水面での遺体捜索/
水面から船に引っ張られながらのスノーケリングによる水中目視、
海上の瓦礫や牡蠣いかだの上に乗っての遺体捜索