ダイビングのきっかけは、人との出会いとドラゴンレディとの再会

ダイビング小説「シューボコ」作者 × 3日連続ロング・インタビュー

一色伸幸


作者プロフィール

第2回
ダイビングのきっかけは、
人との出会いとドラゴンレディとの再会
■聞き手/編集長テラ ■撮影/石丸智仁

『彼女が水着にきがえたら』が終わるとダイビングとは無縁の生活になってしまった一色さん。しかし、その17年後、ドラゴンレディと海中で再会することに……。

第1回 今だから言える『彼女が水着にきがえたら』

―映画から17年。再びダイビングを始めたわけですが、きっかけを教えてください。

確か2006年の春だったかな。長男が高校を卒業し、自分も長く手掛けていた仕事が終わって、ちょうど2人して暇になった。マイルが山ほど余っていたので、2人でグアムに行ったんだけど、だんだん飽きてきた。そこで、夜にいろいろ探して、ダイビングのOWを取りに行こうということになったんだよ。ちょうど、素潜りもいい加減飽きてきたころだったしね。Cカードは2日間でなんなく取れた。いわゆる手抜き講習ってやつかな(笑)。

―当時は手抜きも何もわからないですしね(笑)

というか、みんなそうだと思うんだけど、ただ温かい海に漂っていたいだけという気軽な気分。せっかく旅行に行ったのだから他にやりたいこともあるし、そんなことに3日も4日も講習されたらたまんない。あくまでアクティビティーのひとつで、続けようという感覚もなかったしね。

―それがなぜ続けることになったのでしょう?

講習の合間に仕事の話になり、インストラクターのエミさんという人が、「『彼女が水着にきがえたら』の飛行機は、今でも座間味のドラゴンレディというポイントにあるそうですね」と教えてくれて、すごいびっくりした。だって、映画を作ってから17年くらい経っていたんだからね。僕らが作った飛行機が、水中に魚礁みたいにあるなんて。

DVDを作ったとき、監督の馬場さんと副音声で映画の解説をしているんだけど、「この飛行機はきっと嵐で流されちゃっているんでしょうね」なんて話をしていたくらい(笑)。

だから、そこに潜ってみたいなと漠然と思った。もうひとつは、Cカードを2日で取って、グアムではもう潜る気はなかったんだけど、エミさんとそれからミクロネシアではカリスマといわれているドミニクというベテランのチャモロ人ガイドに「せっかくCカードを取ったんだからファンダイビングしてみない?」と言われて、正直、少し面倒くさいと思ったんだけど、潜ってみたらすごく楽しかった。これが続けていくきっかけになったんだと思うよ。

―続けるきっかけとなったドミニクとのダイビング。気になります。

ひと言で言えばドミニクがとてもエンターテイナーだった。僕ら初心者ばかりだったんだけど、いきなり連れていかれたのが「ブルー&ホワイト」というポイント。水深が32mくらいの砂地で、本当に上が青くて下が白くてとても感動した。OWのポイントって浅くて、素潜りする海と変わらないんだけど、30mまで行ってみるとなんだか違う。すごい濃密だなって。

2本目は、いかにもチャモロ人みたいだけど、シャコ貝をさばいてみんなで食べたりして、とても自由なダイビングで楽しかった。

そのとき、今のダイビングの主流のように、フィッシュウオッチングを熱心にされていたら、僕は今こうしてダイビングをしていなかったかもしれない。

OWは18mまでって決められているけど、行けるなら30mまで行って、「こんな不思議な空間があるんだよ」って体験させてくれたり、日本だと漁協の問題でいろいろあるだろうけど、シャコ貝をみんなで食うなんて日常ではなかなかできないことだし、楽しいじゃない。

何事も最初の一歩って本当に大事だと思うよ。

―日本に戻ってからドラゴンレディには潜りにいきましたか?

グアムから帰ってきて翌月くらいですから、割とすぐに行った。

―お店はどのようにして見つけたのですか?

当時、ドライスーツに興味があった。水の中に入って濡れないってどんな感じなんだろう? 実際は単純なもんだけど、知らないとあれはすごいしかけに見えるんだよね。それを経験してみたかったんだけど買う気もないし、ネットで調べて、唯一レンタルしているのが「リベルテ」というお店だった。そこで、「リベルテ」に申し込んだら、たまたま常連さんで混んでいて、ドライは貸すからダイビングは仲のいい「パラダイス倶楽部」というところがあるのでそこで潜ってもらえませんかと言われたので、わかりましたと。

―実際に見たドラゴンレディはどうでしたか?

映画やテレビドラマのセットは撮影が終わったら壊すんだけど、2ヶ月間も付き合ってきたセットを壊すのがいつも切ない。それが残っていることは普通はないことなので、かなり不思議だったよね。しかも、17年前の映画のセットって。

自分の17年もずいぶん歳とったけど、飛行機のドラゴンレディも水中でバラバラになっていて、お互い歳取ったね〜みたいな感じ(笑)。

―その後、趣味としてはかなりのペースで潜っていますが、
やはりこのドラゴンレディとの出会いがきっかけとなったんでしょうか?

それもあるかもしれないけど、やっぱり一番は”人”との出会いなんだよね。OW取ったときのエミちゃんや最初にガイドしてくれたドミニクがダイビングに引き入れてくたように、「パラダイス倶楽部」の今川君や今は独立して「HOTLIMIT」というお店をやってるコータロー君は、潜り方が割と自由だった。きっと、ヤシャハゼを見ましょうとかウミウシを見ましょうとか言われていたらすぐに飽きていたと思う。

例えば、コータロー君はドリフトが好きなヤツで、割と最初のころから流してくれて「なんか、楽しいな〜」と。

入口が自由な人たちだったというのが大きかったと思う。

―そこから沖縄通いが始まるわけですが……

1年、毎月通ってみようと思ったんだ。なぜかといえば、海の中の四季を自分の目で見てみたいな〜と。陸上の四季はいくらでも見てきたけど、海の中にも四季がある。グアムのような熱帯だとあまり四季がないけど、沖縄のような亜熱帯の海は、冬は水温20度くらいになるし、夏は30度くらいになって、はっきりとした四季がある。そんな話を聞いて、ぜひ自分で見てみたいと思った。そこから、毎月のように沖縄本島発のケラマ通いが始まった。

―ダイバーに限らず沖縄にハマる人は多いですが、
やはり陸上の雰囲気も含めて沖縄が良かったのでしょうか?

ダイビングをやる前にも随分沖縄には行っているんだよ。仕事でも一ヶ

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PROFILE
法政大学アクアダイビング時にダイビングインストラクター資格を取得。
卒業後は、ダイビング誌の編集者として世界の海を行脚。
潜ったダイビングポイントは500を超え、夢は誰よりもいろんな海を潜ること。
ダイビング入門誌副編集長を経て、「ocean+α」を立ち上げ初代編集長に。

現在、フリーランスとして、ダイバーがより安全に楽しく潜るため、新しい選択肢を提供するため、
そして、ダイビング業界で働く人が幸せになれる環境を作るために、深海に潜伏して活動中。

〇詳細プロフィール/コンタクト
https://divingman.co.jp/profile/
〇NPOプロジェクトセーフダイブ
http://safedive.or.jp/
〇問い合わせ・連絡先
teraniku@gmail.com

■著書:「スキルアップ寺子屋」、「スキルアップ寺子屋NEO」
■DVD:「絶対☆ダイビングスキル10」、「奥義☆ダイビングスキル20」
■安全ダイビング提言集
http://safedive.or.jp/journal
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