東京は10/7まで!映画「くじらびと」、鯨漁をする村人と鯨の物語。監督のコメントあり
9月初旬より公開中の石川梵監督(以下、監督)の映画「くじらびと」。この作品は命を賭けてモリ一本で巨大なマッコウクジラに挑む、インドネシア・ラマレラ村の人々に密着した“生きること”の本質に触れるドキュメンタリー映画だ。令和3年度文科省特選映画に選ばれた作品でもある。
先日、オーシャナ編集部セリーナは、監督とご一緒させていただき映画を鑑賞。本記事では、作品概要やセリーナの感想、そして石川監督からの裏話やコメントを紹介していく。
“生きること”の本質に触れるドキュメンタリー。作品の概要とは
「インドネシア・ラマレラ村。人口1500人ほどの小さな村。村人は互いの“和”を最も大切なものとし、自然の恵みに感謝の祈りをささげ、言い伝えを守りながら生活をしている。中でも「ラマファ」と呼ばれる鯨のモリ打ち漁師たちは最も尊敬される存在だ。そしてラマファを夢見る少年エーメン。おとぎ話のような平和な村に、ある日大事件が起こった。
2018年、ラマファのひとり、ベンジャミンが漁の最中に命を落とした。家族も村民も深い悲しみに暮れた。父で舟作りの名人・イグナシウスはバラバラになりそうな家族の結束の象徴として、息子のデモと伝統の鯨舟を作り直すことを決心。「鯨舟は生きている。だから釘は刺せない。設計図もスケールも使わない。魂と会話しながら造るのだ」。1年後、彼らの新しい舟はまだ見ぬ鯨を目指し大海漕ぎ出すー」。(公式WEBサイトより)
映画「くじらびと」100秒予告(YouTube)▼
監督から、作品の裏話や想いを伺った
撮影で最も苦労したこととは
日本から遠く離れ、言葉や習慣、そして文化もまったく違う地で、7年間にわたり撮影を敢行した本作。特に苦労した点はどのようなことだったのだろうか。
「何より大変だったのは“待つ”ことですね。忍耐力が問われました。この村の本格的な撮影は90年代に開始しました。このときは終了まで7年間という年月を費やしたのですが、そのうち3年間は鯨がまったく出ませんでした。それから時がたち、2017年に映画の撮影を開始しました。ロケハンでは鯨が出ていたのですが、クルーを連れていっていざ撮影を始めると、やはり鯨が出ない。結局出るまでまた3年かかりました。『梵がいるとクジラが出ない』とまで言われてしまいました(笑)。なのでこの村とは写真家時代を含めると30年関わっていることになります」。
鯨をなかなか撮影することができなかったという監督。長い間、鯨が現れなかった分、現れたときの喜びは相当だったかと思う。そのときの様子とは。
「写真家時代のことですが、ようやく現れて撮影できたとき、鯨が頭を出して急に鳴いたのです。その瞬間、私は水中に入って、海の中の鯨の物語も撮らねばと思いました。そこで私は鯨の“目”を撮ることにしました。鯨は他の魚と違い、死んだら目をつぶります。だから目に感情が宿るのではないかと思いました。今回の映画撮影でもその“目”を意識した編集をしています」。
涙を浮かべる鯨など、“目”が印象的に描かれているシーンが映画の中でも何度かあり、監督からのこの話を聞いて腑に落ちた。
臨場感あるその撮影方法
鯨と人間が対峙するシーン。想像をはるかに超える迫力に驚いたのだが、同時に撮影方法が非常に気になった。実際に監督も船に乗り込み撮影していたようだが。
「ドローンに望遠レンズを付けて撮影したり、GoProも用いて撮影しました。船上ではミラーレス一眼のGH5が活躍したのですが、漁の最中は、何度も鯨が船にアタックしてきます。その都度、船が転覆しそうになり、みんな吹っ飛ばされるのですが、案の定GH5も壊されて最後はGoProだけが残った。なので最後のシーンはGoProが大活躍でした(笑)」。
モリで打たれた鯨の血が海に流れ出しサメも集まるなか、真っ赤に染まるへ飛び込み、鯨の背中につかまって引っ張られながら命がけで撮影したときもあったという。映画を観ただけでも相当な臨場感があるのだから、現場はそれ以上に緊迫した状況の中で撮影したのは間違いないのだろう。
7年に渡る撮影の中で村人との信頼関係が生まれた
「撮影開始1年目は村人と信頼関係を築くのに時間がかかりました。ようやく受け入れてもらえた気がしたのは、鯨の撮影に成功した4年目でしょうか。今回の映画撮影でも息子を亡くしてしまって泣く父親のシーンがあるのですが、そのときは『梵さんだから』と言って撮影を許してもらえました。今まで、地震の被災地などにも行って撮影してきましたが、みんな最初は部外者である我々に対しての目が冷たいんです。だけど、真剣に撮り続けることで最後には『撮ってくれてありがとう』と言ってもらえることが多いです。息子を亡くしてしまった今回の事故後の撮影も、非常に協力的でむしろ事故後の方が家族と仲良くなれました。そういう意味では感謝しています」。
鯨漁をしているときは「邪魔だ!」と船員に何回も言われていたそう。「船の上では気合いと気合いのぶつかり合い。負けてはいけない。向こうも興奮しているからわけがわからないんです」と監督。そして鯨の捕獲に成功したときは何事もなかったかのように笑顔で握手を交わしたという。村人とのこのやりとりも信頼関係があってこそなのだろう。
ラマレラの村人たち大切にする関係性とは
村人たちとの関係性について、非常に印象的なシーンがあった。鯨を追っていた船が鯨を仕留められるのに村の掟を守って仲間に譲ったり、獲れた鯨を村人全員で平等に分けているというシーンだ。これは村の文化なのだろうか。
「彼らは個々の利益より、“和”を重んじる文化なのです。鯨を譲ったり、鯨を平等に分けたりするシーン以外にも、モリ打ちが夫婦げんかをした後に鯨漁に出て亡くなり、それが夫婦げんかのせいで亡くなったと村人が考えるシーンがあります。夫婦げんかで死ぬなんて嘘のようなことが、神話の世界のようなこの村にいると、本当に思えてくるんです。彼らにとって”和“ということは、絶対に守らなければならない掟なのです」。
村人の食料である鯨を監督も食べたそう
「映画に登場する鯨“マッコウクジラ”は水深2000mくらいまで潜ります。これは筋肉内にミオグロビンというタンパク質の一種を大量に含み、酸素を蓄えているからできることなのですが、食用には血生臭いというのが正直な感想です。ジンベイザメも食べましたが、美味しいとは言えない味でした…。マンボウは腐るのが早いので船の上で海水を付けて食べたりしました。しょうゆとワサビを持っていっていたので、味付けして食べたらおいしかったです(笑)」。
くじらびとの続編の可能性は
「少年エーメンが成長した姿を撮りたいです。本映画の最後に、エーメンが学校に行くことを父ピスドニと話すシーンがあります。私自身、エーメンがどのような人生を歩むのかわかりませんし、ドキュメンタリーは期待していたシナリオどおりにはいかず裏切られることもあります。そこもドキュメンタリーの醍醐味ですね。エーメン、村人たち、そして鯨漁がどうなっていくのか、楽しみです」。
日本各地で活躍する水中写真家の方々から観た「くじらびと」
監督自身、「この映画を観たダイバーや水中写真家がどのように感じるのか気になりますね。クジラもしくは村人の立場でも見方は変わりますし、受け止め方は人それぞれだと思います」と話していた。今回一緒に鑑賞した3名の水中写真家の方々からコメントをいただいた。
水中写真家・中村卓哉さん
「映像はかなり強烈で重いシーンもあったのですが、漁を離れたときの村人の優しく思いやりのあるコトバや表情一つひとつがとても印象的で、そのコントラストが興味深かったです」。
水中写真家・鍵井靖章さん
「自分がもしラマレラの村人を観たときに、映画にしたいかと考えたとき、監督のように行動できるか正直わからないですね。僕はどちらかというと動物側の立場で見てしまって、咀嚼するのに時間がかかりました。いろんなシーンでいろんな想いを抱きました。ちなみに映画開始後10分くらいは僕も映画撮りたいと思いましたが、映画が終わるころには無理だと思いました(笑)」。
ドルフィンスイマー、写真家、水中モデル・鈴木あやのさん
「クジラを捕獲するシーンの迫力の映像に痺れました!日本の太地町でも、昔は生きるために、小さな船で手銛1本で命懸けでクジラを獲っていたので、ラマレラ村がこれからどのように発展して、クジラ漁や文化がどう変化していくのか気になるところです」。
編集部セリーナ、鑑賞を終え
命を賭けてモリ一本で巨大なマッコウクジラに挑む人々の壮絶な狩と鯨の生き様が、過去に類を見ないほど迫力ある映像で表現されていた。圧倒的な迫力に心を揺さぶられたのと同時に、鑑賞後はさまざまな想いが込み上げ、人間と鯨の命について深く考えさせられた。私たちが知らないところで、想像もつかないことが実際に起きている。監督の想いや本映画を通じて、命について考えるきっかけになるのではないかと思う。
映画は好評につき上演期間延長が決定!東京・新宿ピカデリーでは10月7日まで上映中。お急ぎください!
その他劇場情報はこちらからご覧ください。
石川梵監督プロフィール
いしかわ・ぼん
1960年、大分県生まれ。1990年に写真家として独立。世界60カ国以上で「大自然と人間の共生」をテーマに撮影を重ねてきた。著書・写真集に『海人』『祈りの大地』『The Days After 東日本大震災の記憶』など。監督作品に『世界でいちばん美しい村』(1997年)がある。