「ダイビングの那覇観光への貢献は知られていない」業界振興を推進する政治家が描く未来[前編]
「ダイビング・マリンレジャーは那覇観光におけるもっとも重要な業界の一つである」。
そう語るのは今年7月に那覇市議会議員に当選したよしみね努さん。
よしみねさんの父である吉嶺全二さんは、沖縄におけるダイビングの黎明期、素潜りダイビング協会を立ち上げその発展に寄与。自然保護活動においても「沖縄 海は泣いている―『赤土汚染』とサンゴの海」の出版を始め尽力していたという。そんな環境で育ったよしみねさん自身も海を身近に感じ、ダイビング事業者と携わる中で、この業界を応援すべくさまざまな活動を行っている。
なかでも活動の起首となったのは、新型コロナによるマリンレジャー事業者の困窮に対する給付金獲得。この獲得のためによしみねさんと連携して動いた、那覇市マリンレジャー振興協議会の立ち上げを行うOPGの古郡優樹さんも交えながらお話を伺った。
ダイビング・マリンレジャー業界の発展を応援する4つの活動
よしみねさんはダイビング・マリンレジャー業界を応援する活動として、大きく4つの活動を推進している。
・防災ヘリの導入でダイビング・マリンレジャー事業者の救助活動の支援体制を作る
・ダイビングとマリンレジャーを職業体験に加える
・海洋環境学習を学校授業に組み込む
・那覇市におけるダイビング・マリンレジャー用のマリーナ建設を推進
それぞれの活動を行う背景には一体何があるのだろうか。
オーシャナ編集部
数ある海の遊びの中でダイビング・マリンレジャーを応援するのはなぜでしょうか。
よしみねさん
私の父は素潜りダイビング協会の会長をしていました。始まりはダイビングショップを経営したいという人たちへ使われていない土地を提供してプールを作ったところからだったでしょうか。それまでは観光客の皆さんにダイビングをしてもらおうと思ったら講習を海辺でやらなければならず、天候や海況に左右されることが多々ありました。そのような状況を打破すべく、安定してお客様を迎え入れる環境を整えるために水深4mくらいのプールを作ったんです。
それだけでなく地域の方にもマスクやフィンを貸し出してプールで遊べるようにもしていました。浅いところで地域の子供たちが集まって遊んでいたと記憶しています。
また、父は素潜りをしながら沖縄のサンゴや環境問題について関心を寄せ、定点観察をしていました。そこで北部の開発、道路、公共事業によって海に赤土が流出してサンゴが死滅している状況やオニヒトデの問題を憂い、写真を撮り続け県を訴えるなど自然保護活動にも力を注いでいました。
オーシャナ編集部
幼い頃から海やダイビングに触れることが多かったんですね。
よしみねさん
海や環境問題は幼少期より身近でした。その上で、政治家として活動をしていく中で事業者さんと関わるようになり、那覇市の観光を大きく支えていることや、一方で課題もあるということを知り、自分にできることを始めたというところです。ただ、当初はダイバーが那覇市の観光に貢献していると那覇市は思っていなかったので、そこから知ってもらう必要がありました。そこで、古郡さんたちにも動いてもらったんです。
古郡さん
昨年の5月ごろでしょうか、最初はマリンレジャー業界にもコロナ禍の困窮に対して支援が欲しいということで、那覇市役所に行ったんです。ですがまったく取り合ってもらえなくて…。そこで、色んな方に相談していたところ、よしみねさんをご紹介いただき、力になってもらえることになったんです。
そこで、データが欲しいとよしみねさんから言われ、私の方で那覇市内のダイビングショップ約100社へアンケートを取ったんですね。「売上は何%減りましたか?」など困窮状況を示すものです。これを那覇市に提出しました。
このデータをもって、よしみねさんから議会で「マリンレジャー業界が困窮している」「マリンレジャーは那覇市の観光の柱ではないのか」とご発言いただいて。そこでマリンレジャー事業者に給付金がおりることになったんです。それをきっかけに、マリーナ建設などの活動の連携ができてきたと思います。
万が一の水難事故でもより多くの人の命・生活を守るための防災ヘリ
ダイビングやマリンレジャーで万一の事故が起きた場合、それは海上であることがほとんどだ。そのため、迅速に搬送や対処ができるよう陸上とは違ったルートの確立や訓練が必要となってくる。この体制を強固にし、那覇市の事業者と観光客の安心を向上させることを目的に防災ヘリの導入をよしみねさんは推進している。
オーシャナ編集部
ドクターヘリではなく防災ヘリを導入しようと思ったきっかけはなんでしょうか?
よしみねさん
私が前職でドクターヘリのパイロットをしていたこともあり、事業者さん側からダイビング中の事故があったときに、どうしたら早く患者さんを運べるかという相談を受けていたんです。現状、海で事故が起こった場合、ヘリコプターは着陸できないため、患者さんを船に引き上げて、近くの島へ運ぶ必要があります。そこまでも時間がかかるうえ、そこで初めてドクターヘリが要請されるので、さらに到着まで10~15分はかかります。
患者さんの命を救ったあと、社会復帰ができる状態にすることも考えると、治療までの時間は短いに越したことはありません。なので、その時間を短くできる防災ヘリを導入したいと考えています。
オーシャナ編集部
防災ヘリはドクターヘリと比べてどんなところに利点があるのでしょうか。
よしみねさん
ドクターヘリの目的は医師と患者さんを早く会わせることですが、防災ヘリは広く救助活動に対応しているため、人を釣り上げたり、医師を迎えに行って現場に連れて行ったりすることもできます。つまり、患者さんを船の上に引き上げ、近くの島に連れて行かなくても、直接船や海の上から救助活動ができるんです。
オーシャナ編集部
むしろ今まで防災ヘリが導入されていなかったのはなぜなんでしょうか。
よしみねさん
沖縄県自体が、災害へ備える意識が薄くなっていたというのがあるのではないでしょうか。歴史的な大災害というと、約300年前にあった明和の大津波。そこから大きな災害がないため、そういった意識が希薄になっているところがあるのかもしれません。
米軍基地や自衛隊基地もありますが、全国で防災ヘリを導入していないのは沖縄県だけ。私は、東日本大震災のとき、災害派遣医療チームからの要請でヘリコプターパイロットをしていた経験から、沖縄の大切な人たちを守りたいと考え、沖縄に戻りドクターヘリのパイロットをしていました。しかしより多くの方を守るため、防災ヘリの導入が必要だと考えているのです。
この海がなければ観光客は来ない
自然環境保護と仕事の価値をあげる教育を学校へ
沖縄観光にくる8割の方は海の美しさに期待しており、ダイビングを含めたマリンレジャー体験の満足度は9割にもおよぶ。しかし沖縄観光の柱ともいえるこの事業に関わる地元の人間は少ないという。
オーシャナ編集部
中学生や高校生の職業体験にダイビングやマリンレジャーを加えるのはどういった狙いがあるのでしょうか。
よしみねさん
事業者さんとお話しする中で、出てきた大きな課題の一つが人材育成と人手不足でした。人材を定着させるために、仕事に誇りを持てるようなものにしていきたい。そのために人を育てることを通じ、この仕事が魅力的であるということをより知ってもらって、事業者さん自身も感じてもらう必要があるのではないかと。
また、世界に誇れる海が目の前にあるのに、そこに携わっている人たちは沖縄生まれ沖縄育ちという人がそう多くないと聞いていますので、生まれ育った人たちもその魅力を感じて欲しいとも思っています。
オーシャナ編集部
地元の方にも事業者さん自身にも海の魅力や仕事の価値を感じてもらうと。
よしみねさん
そういう意味では職業体験というのはいろんな要素があって、環境教育にもつながるのではと考えています。実際に海を経験して環境保全を学ぶことでどう行動するかという教育がより深まるのではないでしょうか。
オーシャナ編集部
学校の授業に海洋環境学習を組み込んで、沖縄の美しい海と珊瑚礁を守ることの重要性を子どもたちに伝えていきたいともありましたね。これはどういった背景があるのでしょうか。
よしみねさん
中学生、高校生に対して環境教育があまりできていないのが現状です。しかし、この海や自然がなければ観光客を呼び込むソースが限られてしまう。その中で職業体験や学校の授業として環境を守るための問題提起は私の方でできるのではないかなと思っています。
実際、海に潜ると最初は「意外と汚れてないな」と思いましたが、サンゴを食い荒らすレイシガイや流れた定置網、自転車タイヤなどさまざまなものが投げ込まれているのを目の当たりにしました。このことから単に訴えるだけでなく、自らも活動していく必要があると思いました。
この海という資源があって初めて観光客の皆様に楽しんでもらえるというのは、事業者さんと話をしたり一緒に潜ったりする中で気付かされたことです。事業者さんたちがそのように考えて、海を守る活動をしていくのであれば、なるべく多くの方々が意識を持って環境保全をしていけたらいいのではないかと思うようになりました。
よしみね努Profile
沖縄県が本土復帰後の、1976年に沖縄県那覇市首里金城町で生まれ、那覇市で育つ。小学生の頃からの夢であるヘリコプターのパイロットになることを叶えるため、沖縄大学短期大学部英語科を卒業後、20歳で単身米国に渡り、自家用ヘリコプターの免許を取得。
その後アメリカでプロのヘリコプターパイロットとなり、26歳でアジアナンバーワンの航空サービス会社に就職。日本各地で送電線パトロールや旅客輸送、TV中継など様々なミッションを行う。
2011年に発生した東日本大震災を機に、命を守るための緊急事態への対応に仕事の中心が移り、2015年には、沖縄県ドクターヘリ事業に移籍。生命の現場で働く中で、故郷沖縄、那覇市のためにできることがある、と政治の道を志す。
2017年7月の那覇市議会議員選挙で、「守りたい生命のために 創りたいこの島の未来」をスローガンに掲げて初当選。2021年7月、2期目当選。健康と安全、教育と防災を軸に、「那覇市を変えれば、沖縄が変わる!」そう信じて全力で活動中。
よしみね努Official site
取材協力:OPG 古郡優樹さん