「あと10分遅れていたら死んでいたかもしれない」水中で右肺が潰れた危機からの生還~冷静なダイビング事故対応と分析から得る重要な教訓~(後編)
沖縄県ダイビング安全対策協議会・会長として、安全潜水の普及やドクターヘリの研究にも取り組んできた村田氏が、潜水事故の当事者となり、皮肉なことに本人がヘリ搬送され一命をとりとめることとなった―――
ご本人のその一部始終をうかがったインタビューの後編、今回はその事故から得た反省や教訓をお伝えいたします。
※前編はこちら。
「あと10分遅れていたら死んでいたかもしれない」水中で右肺が潰れた危機からの生還~冷静なダイビング事故対応と分析から得る重要な教訓~(前編) | オーシャナ
■村田幸雄
NAUIコースディレクター、DAN酸素インストラクタートレーナー、「国際潜水教育科学研究所」の運営、NPO法人 沖縄県ダイビング安全対策協議会会長。
※詳細プロフィールはこちら
村田 幸雄が書いた記事|ダイビングと海の総合サイト・オーシャナ
■聞き手/寺山英樹
喫煙から緊急時の備え、心理状況まで
~ダイビング事故から得た反省と教訓~
ポイント1.
喫煙ダイバーのリスク
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まず、気胸について、原因は喫煙でしょうか?
村田
大きな要因になったのは間違いないと思います。
20歳から50歳まで30年間の喫煙歴があり、喫煙係数が単純計算では600(30年×20本)。
禁煙してから6年目でしたが、右肺が破れてしまったのです。
―――
健康診断では、事前にはなかなかわからないものなのでしょうか?
村田
法律で定められていた潜水士の健康診断を年二回受診し、完全に禁煙して六年が経過したのですが駄目でした。
肺の肺胞が変性して嚢胞になります。これは健康診断時に受けるレントゲン写真では判らないようです。
特に喫煙者、受動喫煙の可能性のある方は、胸のCT画像を撮影してもらうように追加オーダーしてください。
病院にもよるでしょうが、一万円以内でできるそうです。
ポイント2.
自然気胸とは?
―――
今回、村田さんが受けた診断名は気胸とのことですが、そもそも気胸とはどういうものなのでしょうか?
村田
最終的な確定診断名は、自然気胸でした。
肺は、膨らませる前の風船と同じで、小さく縮まろうとする性質があります。
それを胸の大きさに合わせて膨らませて空気の出入りを可能にしているのが、肋骨と呼吸筋と横隔膜で囲まれた胸腔と呼ばれる入れ物です。
刃物で刺されて胸に穴が開くと、胸腔内に空気が入って肺は縮んでしまいます。
肺は無傷でも吸おうとしても吸えません。
この胸の内で肺が縮んだ状態を気胸と言います。
また、胸腔に穴が開かなくても肺に小さな穴でもあれば、風船と同じように肺が縮んで息が吸えなくなります。
これが自然気胸です。
痩せ形の若い美男子に多い病気と一般には言われていますけど…。
呼吸を止めた急浮上による肺破裂とはまったく別物です。
―――
気胸は前兆のようなものがあるのでしょうか?
村田
恥ずかしながら自然気胸の前兆を理解できませんでした。不覚でした。
ただ、事故の3日くらい前より、弱いカラ咳が数回連続することがあったことを記憶しています。
今思えば、これは軽い自然気胸状態と思われます。陸上生活だけなら自然に治る場合が多いらしいです。
ただ、入院時のCT検査にて、両側の肺に先天性肺嚢胞の存在が確認されました。
潜水禁忌を宣告されました。
自分としても納得しており、医師の宣告を真摯に受け止めております。
―――
水中での自覚症状はどのようなものでしたか?
村田
先ほど言ったように、肺には神経がないので、まず痛みはありません。
横隔膜がつき上がった感覚と口からの吸気動作ができないという認識でした。
そのために鼻から酸素を吸うようにしていましたが、病院に搬送されてからも口から吸気を試みたができませんでした。
―――
やはり、ダイビングにとって喫煙は百害あって一利なしですね。自覚症状、CT画像という具体的な予防策など、貴重な証言です。
ポイント3.
単独潜水のリスク
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今回、バディの助けは借りなかったのですか?
村田
単独潜水でした。
体験ダイバーを連れた船に乗っていましたが、体験ダイビングの潜降を手伝ってから、あとは担当のインストラクターに任せ、私はトウアカクマノミの定点観察をするために深場(21m)へ向かい、動画撮影をしていました。
今回は水深10mという偶然浅い水深での発生でしたが(編注:最大水深は21m)、深い水深だったら水圧が高くてパージ程度では吸気不可能ですし、心臓変位による失神の危険性がありました。
バディに異変を知らせるか、気付いてもらって引き上げてもらう必要がありました。
バディシステムは公務潜水を含めて、万一の場合への対応策として基本中の基本です。
船上テンダースタッフとはまったく別の問題です。
ベテランという慢心があったはずです。
ポイント4.
恥ずかしい、ためらいの心理
―――
事故後の対処は迅速でスムーズでした。普通、ヘリの連絡先どころか、ヘリを呼ぶという発想すらないかもしれません。
すべきことをすぐ行動に移せたのは、やはりそれまで事故対策の研究をしてきたこともあり、何も考えずに行動したという感覚でしょうか?
村田
いや、それが、実はそうでもないのです。
当然、手順や連絡先はすべて把握していますし、そのステップを踏めばその先がどうなるかもすべてわかっています。
迅速に行動することの重要性もわかっているのですが、これまでの想定はゲスト、つまり他者。
あるいは、沖縄の緊急システムというもっと大きな枠組で考えてきてことです。
それが、自分が当事者になったとき、ヘリコプターを呼ぶことも救急車を手配することも躊躇しました。
普段から、気軽にヘリや救急車を呼び、本当に必要なところへ行けなくなるという問題を誰よりも認識していたので、当事者になった時も、自分より重傷例がいるかもしれない、という思いです。
また、大げさにしたくないという心理状態、恥のイメージ、周囲に迷惑をかけているという感覚もありました。
そのために前兼久漁港に接岸しても、しばらく甲板上に横たわっていました。
隣の船では中高年者の体験ダイビングに出発する準備でお客さんが乗っていたので、騒ぎにしたくありませんでした。
その間、酸素がなくなったので、予備の酸素シリンダー(10リットル、2リットル)を事務所に取りに行ってもらい、酸素を交換しました。
しかし、呼吸の改善が見られないので、遂に村田の携帯電話からU-PITSの知人にしてもらったのです。
―――
プロならではの心理ですね。僕も経験あります。
流されてしまった時に、自分の命の心配より、まず「みっともないことになってしまったな…」と思いました。本質へ向かう心の準備も普段からしておくべきかもしれませんね。
村田
このような心理は、我々オジサンならずとも、日本人ならではの「恥の文化」から当然の心理ですし、「何とかなるかも」の平和ボケもあります。
マリンスタッフ側では、危機管理として「最善を尽くした」と言える意識改革を徹底しておかないと、躊躇が「事故隠し」として捜査側やゲスト側関係者に疑念されてしまう現状認識が必要です。
―――
とても大事な指摘ですね。特に雇われているインストラクターは、上司、経営者、オーナーの顔色をうかがって行動してしまうことがあります。
事故が起きた時、保身の前に、事故への対処へ向かうマインドを作るには、当事者だけでなく、お店全体でそういう態勢にしておかないとですね。
ポイント5.
酸素の備え
―――
港まで酸素を吸入していたということですが、船上には酸素が装備されていたのですね。
村田
船上だけでなく、水中にも、潜降ラインに予備ウエイト、酸素シリンダー、酸素呼吸できるレギュレーターをぶら下げていました。
今年(2014年)から合法になりましたが、当時は実験段階でしたので、他の船ではほとんどない環境かもしれません。
呼吸がおかしくなった時点で浮上しようとの選択肢も考えましたが、減圧症の併発の恐れや、先ほど言ったようにチャンバーが使えないかもしれないと考えていたので、とにかく窒素を早期に排出したいと思い、水底を船の下まで自力で泳いだのです。
その後、水底(5m)にて酸素レギュレーターに交換したのですが、自発呼吸ができないために酸素レギュレーターのパージボタンを押しながら純酸素を呼吸しました。
その際、浮力が強いために水底5mに留まることができず、潜降ラインを握りしめてゆっくり浮上。
連続排気を意識する心の余裕はありました。
時間的には3分程度の時間経過です。
―――
やはり、ダイビングにおける備えという意味では、酸素の存在はとても重要になってきますね。
村田
はい。
何より、ダイビングで最初に考えねばならない減圧症への対処で、これほど有効なものはありません。
また、気胸にも酸素は有効でした。
口からは吸えなかったものの、鼻からは酸素を吸えていたので、窒素の排出と生存に必要な酸素を確保することができました。
ひと昔前は酸素の携帯も薬事法等の問題でグレーでしたが、我々、安対協なども厚労省に働きかけて、今では問題なく使えるようなりました。
ただ、DAN JAPANの酸素プロバイダーなどを受ける必要がありますが、酸素を装備しておくことは何より大事なことです。
ポイント6.
ダイビング中、船上に人がいること
―――
その他、緊急事態への備えという意味で、大事なことは何でしょうか?
村田
改めて今回のような緊急事態に陥った際に、比較的迅速に酸素供給、予備酸素の準備、手配関係等で短時間に救急搬送までできたのには、船長さんやダイビングのスタッフが船上にいたことが大きいと感じています。
自分の年齢(当時55歳)になると、身体的に何らかの生理的問題を抱えることが多くなるので単独潜水は禁止ですが、単独の状態で潜っていました。
今回の一件は非常に幸運が重なったと思います。
―――
沖縄では船上に人がいない状況で潜るのは、まだまだよくあるという印象ですね…。
村田
緊急事態への備えという意味でももちろんですが、そもそも船が流されてしまうリスクがあり、実際に起こっています。
君も流されていたよね(笑)。
この問題を指摘すると、「人がいない」「それでは利益が出ない」、あるいは「ゲストはガイドに付いているので、自分が潜らないわけにはいかない」という目の前の話になってしまいます。
水は低きに流れるので、グレーゾーンの間はなかなか改善されない。
しかし、オーシャナのようなダイビングメディアが伝えるようになってきたし、ゲストダイバーの中にも問題視する意識が出てきました。
―――
確かに、僕らのところにも、「船に人を残さずに潜るお店に、指摘していいのでしょうか?」「言いづらいのですが、どうやって言えばいいでしょうか?」という質問もありました。意識が変わってきているのかもしれませんね。
村田
海保や司法も問題ととらえ始めてきているので、社会として、そろそろ許容されなくなっていると思いますし、我々も提言していこうと思います。
スタッフでローテ―ションするなどして、船の上に人は残しておくべきです。
ポイント7.
ドクターヘリの重要性
―――
もう少し広い備えという意味で、今回は、村田さんが長い間、尽力してきたドクターヘリの存在も大きかった。
村田
まさか身を持ってその効力を知ることになるとは思いもよりませんでしたが、出動依頼してから7分で読谷基地を出発し、その8分後には港へ着陸しています。
救急医には、あと10分遅かったら、片肺状態になって心臓が圧迫され、最悪、心停止の恐れもあったと言われました。
救急医療では、迅速な搬送は要で、ドクターヘリはとても大きな存在です。
村田
沖縄はダイビングのメッカで、減圧症をはじめとする迅速な治療を必要とする事態へ対応するネットワークを構築しておくことはとても重要です。
ダイビング業界として、行政関係や医療関係者の方とは常に情報交換しながら協力体制を作っていく必要があります。
私個人としても、安対協としても、これまで以上にそうした安全への対策をしていきたいと思います。
―――
ちなみに、ヘリを呼ぼうと思ったら、どのような手順を踏むのでしょうか? 有料ですか?
村田
現場からドクターヘリを要請したい場合、直接出動要請をすることは控えてください。
まずは直近の消防本部か離島診療所へ連絡し、その後、消防あるいは診療所医師の判断によってドクターヘリを要請するかどうかが決定されるという手順になっています。
ドクターヘリ出動イメージ図(pdf)
お金はかかりません。
“もらった命”はダイビング事故防止に捧げたい
―――
ダイビング事故から6年以上が経ちましたが、やはり、ダイビングの仕事、さらに、ダイビング自体は辞めたのでしょうか?
村田
もちろん潜っていませんが、それでもダイビングに携わる仕事は続けていきます。
―――
これまで当たり前のように潜っていた美しい海を奪われ、仕事も奪われたと言っていいわけですから、相当、落胆したと思います…。
村田
それが、ちょうど50歳くらいから定年というものを考えていて、仲間とも「いくつまで潜る?」というような話をしていました。
ですので、辞め時がきた、というさっぱりした気持ちもありました。
ただ、それは仕事の話で、趣味という意味では、もちろん、私も海やダイビングが大好きでダイビングを始めたわけですから、潜りたい気持ちはあります。
みんなが、Facebookで写真をアップしたり、オーシャナで素晴らしい写真なんかを見ると、単純にうらやましいですよ、そりゃ。
潜れないだろうなと思いつつも、「もしかしたら穴が塞がっているかも」なんて、今でも検診を受けているのは未練かもしれません。
―――
では、肺の状況が良くなれば、また潜る可能性も?
村田
いや、そう簡単にはいかないでしょうね。
絶対に死ねませんから。
あれだけ周りの人を巻き込んでおいて、また、事故を起こしたなんてことになったら…。
ダイビングの安全に携わる立場上としても、そう簡単には潜るとは言えません。
でも、やっぱり潜ってはみたいけどね。あくまで、心では。
―――
今回の事故を別の角度から見て、とても大事なポイントだと感じたのは、村田さんの事故記録です。拝見すると、単なる経過にとどまらず、分析や心の動きにまで踏み込んでいて、今後の事故予防に有効だと思いました。
記録をつける上で大事なことや心がけはありますか?
村田
まず、心がけとしては、内容の前に、記録を残すこと自体が重要だという認識です。
ダイビング事故を予防する上で、事故から学ぶことはとても大事なことです。
その拠りどころとなるのが記録ですから、特にインストラクターは事故の場面になったら記録を残さねばなりません
記録する内容は、ひと言でいえば“思いついたことすべて”。
時間のような客観的な記録はもちろんですが、思ったこと、感じたこと、片っ端から、記憶が薄れないうちに記録しておくべきです。
―――
まだまだ事故の記録を表に出す風潮がないですよね。
村田
山の世界では当たり前ですし、テクニカルダイビングの世界でも当たり前にやっていますけどね。
事故の記録をしっかり残すというのは、ある意味、業界の成熟度を表すものでもありますから、ダイビング事故もきちんと残る形にしていかないとでしょうね。
ただ、当事者はいろいろ利害関係がありますし、後から検証しにくい水中で起こることでもあるので、自らは出しにくい。
仕組みとして出てくるようにしないとダメでしょうね。
―――
今後はどのような活動を行なっていくのでしょうか?
村田
今回は、本当に病態が深刻だったのですが、血管内に気泡が浸入することなく片肺だけが潰れただけで済みました。
呼吸が継続できたこと、酸素があったことなど、条件が幸いし、幸運にも生還することができました。
まず、このことに関して、改めてヘリコプターの威力に感謝しております。
また多くのガイド仲間、船長、医療、消防関係者の連携に感謝します。
そういう意味でも、今生きているのは“もらった命”という感覚が強いです。
このもらった命は、これまで30年以上お世話になったダイビングに返していきたいと思っています。
実際、事故の当事者になり、同じようなことが起こらないように、これまで以上に事故の予防や安全潜水の思想を普及させたいので、少しずつ力をつけていきたいと思っています。
今年から大学に入りましたが、ダイビング事故の研究をするつもりです。
また、潜水障害時のヘリコプター搬送の重要性、医療機関との連携等、自分なりの反省点や改善点をまえて、伝えていきたいと思います。
(おわり)
村田幸雄氏の潜水事故記録
※以下は、村田さんが残した事故記録の一部です。より事故を深く知るためにもご覧ください。
概要
1.いつ
平成20年3月15日(土) 午前10時40分くらい
2.どこで
沖縄本島 恩納村 前兼久漁港沖 山田ポイント(通称:砂地ポイント)
3.誰が
村田幸雄 単独潜水 ボートダイビング(体験ダイビングへ乗合便乗)、定点ブイに係留、船上には船長とダイビングスタッフ2名が残っていた。
4.どうなった
最大深度21mにてトウアカクマノミを撮影して、船へ戻るために浅場に戻る途中の、深度6mくらいで自力で息が吸えなくなった。
5.なぜ
水中で右肺の肺嚢胞(はいのうほう)の破れが広がり、自然気胸(しぜんききょう)が増悪したため。
6.どのように対処したか
レギュレーターのパージボタンを押しながら強制的に吸気した。
船の下へ到着後、潜降ラインに予備ウエイト、酸素シリンダー、酸素呼吸できるレギュレーターをぶら下げていた。
水底(5m)にて酸素レギュレーターに交換して、窒素を早期に排出したかった。
そこで自発呼吸ができないために、酸素レギュレーターのパージボタンを押しながら純酸素を呼吸した。
その際、浮力が強いために水底5mに留まることができないために潜降ラインを握りしめてゆっくり浮上した。
連続排気を意識する心の余裕はあった。
呼吸がおかしくなった時点で浮上しようとの選択肢は考えたが、減圧症の併発も考えられたので水底を船の下まで自力で泳いだ。
時間的には3分程度の時間経過でした。
潜水ログデータ(クアンタムに保存されたデータ、携帯電話の時計より5分遅い)
エントリー10:03 エキジット10:38
最大深度21.1m 平均深度9.9m 水温22℃
装備内容
- 6.5mmカブリ両面スキン地(ロングジョン、フード付き上着)
- スノーケル(ビーイズム)
- マスク(ビーイズム)
- BC(ネルエスD、ビーイズム)
- レギュレーターおよびオクトパス付き、残圧計(ビーイズム)
- フィン(ダイブチームムラタオリジナル)
- ブーツ
- ダイブコンピュータ(ダイブデモ:ビーイズム、クワンタム:エイペックス、ヴァイパー:スント、エイピーシステムズ:ダイブブレイン、シチヅン:アクアランド)
- ウエイトベルト4kg(腰)
- ウエイトベスト6kg
- 10リットルスチールタンク
- 3.4リットル酸素シリンダー
- 酸素用レギュレーター(エイペックス)
詳細経過説明
平成20年3月15日(土)に水中で自然気胸が憎悪。
船上にて、村田の携帯電話でU-PITS(浦添総合病院運営)に電話してもらい、自発呼吸が難しかったので代わって情報を伝達してもらいました。
U-PITSに連絡したら、すぐに前兼久漁港に向かう旨の連絡と、金武地区恩納分遣隊に連絡して救急車の手配もするように指示されました。
救急車には直接船着き場に来てもらうように指示しましたが、ヘリが来たので、臨時へリポートまでダイビングサービスの車で移動しました。
酸素は自分で、毎分15リットルをノンリブリーザーマスクで呼吸しました。
臨時へリポートに付くとヘリが着陸体制になっていました。
メインローターが廻っている状態でヘリに近づく人がいて、パイロットから制止のサインが見えました。
救急車も臨時へリポートに合流。
ヘリからストレッチャーが降ろされ、村田は自力で起きてストレッチャーに横たわりました。
水着一枚だけでした。
その後、ドクター・ヘリコプターにて、極めて短時間に救急搬送してもらいました。
救急搬送された先は名護市にある北部地区医師会病院でした。
3日間はICU(集中治療室)、その後は一般病棟に入院でした。
肺が潰れたままで治療が遅れると、潰れた肺が二度と膨らまなくなってしまう危険性が高くなるので、緊急な治療が必要でした。
ドクターヘリで搬送されるまでの経過
11:18 出動依頼(消防にも連絡するようにと指示があった)
11:25 ドクターヘリが読谷基地出発
11:33 前兼久漁港着陸(南部徳洲会病院へ連絡したが対応できないとのこと。次の選択肢として北部医師会病院に連絡して対応受諾)
11:59 前兼久漁港を離陸
12:07 名護市数久田へ着陸(北部地区医師会へリポートが工事中だった為)
名護消防の救急車にて陸路、北部地区医師会病院に搬送された。
12:24 北部地区医師会病院救急部に到着
救急車やヘリ搬送中の処置内容
U-PITSのヘリ内では、酸素をノンリブリーザーマスクで毎分12リットルを供給していました。
最初の酸素飽和度測定で、自分自身の酸素飽和度が82だったことを記憶しています。
心電計で心臓をモニターしていましたが、乱れは測定されていませんでした。
補液はせず、ヘリ機内では酸素だけでした。
名護の数久田に着陸して名護消防の救急車に移されてから補液の予定でしたが、右手の甲の血管を確保しようとしたところ注射針が刺さらなかったと記憶しています。
ケロイド状の跡が残っています。
潜水直後は血管が硬くなっていることが多いと説明を受けました。
この名護消防の救急車については北部地区医師会病院の医師が同乗しており、ドクターカー的な機能を果たしていました。
陸路での振動がきつく、自分の体が大きいのか、寝かされているストレッチャーからはみ出しそうな感じでした。
特に腕の置く位置に困りました。
治療経過
3月15日(土)から27日(木)まで、右肺にドレインチューブを入れて肺の機能を回復するための処置を受けていました。
搬送直後に撮影したレントゲンで完全に右肺が萎縮していることがわかりました。
肺からのドレインチューブを抜管したのが27日(木)で、3月29日(土)の午後に退院。
二週間にも及ぶ入院生活、人生始まって以来の長期の臥せ状態でした。
4月3日(木)に抜糸しました。
4月4日(金)に中頭病院にて呼吸器専門医による精密検査をお願いしました。
その結果、右肺については手術できるか、肺胞が変性して肺嚢胞を形成している箇所も精密なCTで再確認することができました。
4月20日(日)に入院、21日(月)に病変部の切除手術を受けることになりました。
手術後の入院期間についてはおおよそ一週間程度とされています。
呼吸のリハビリの程度にもよります。
本人による対応のポイントや溺れなかった理由の考察
1.結果的に肺に空気が入っていたので沈むことはなかった。
2.水底での姿勢は、右体側を水面に向けた横向きの姿勢だった。
3.強制的にでもパージボタンを押して送気した。吸気を確保できたのだろうか。
4.水中で酸素用のレギレーターに切り替えたが、これもパージボタンを押して辛うじて吸気できた。
5.水底および浮上中、呼吸を止めることはなかった。自然に排気できていた。水慣れ十分。
6.水面に出た後に、最初にBCへの給気動作。瞬時に浮力を確保できた。
7.船上に船長以外にダイビングスタッフが居た。水面からの呼びかけに呼応してくれた。村田は喋ることが苦しかったので、単語程度の会話、「器材外すぞ」「呼吸が苦しい」程度。
9.腰に4キロ、上半身にウエイトベスト6キロに分散していたので、急浮上しなかったかな。
10.船の真下まで水底移動して戻った。潜降ラインを掴んで浮上した。スピードコントロールできた。
11.腰のウエイトベルト脱装、BCユニット脱装、ウエイトベスト脱装、スーツ上着脱装、それから船のステップまで自力で移動、ステップにつかまりながらフィンを脱装して船上に上がり、船首にてうずくまった。
顔色は真っ青とのことでした。
酸素シリンダーを抱えてレギレーターのパージボタンを押して鼻から給気していた。横隔膜が押し上げられた状態だった。ブーツを自力で脱ごうとしたが、力が入らなかった。体験ダイビングのグループがエキジットするまで待った。
12.港に着くまでの間、酸素シリンダーから酸素を給気することができた。
13. 着岸後、酸素キットと予備シリンダーを準備してもらった。
以上、村田幸雄氏による事故の振り返りでした。