生物を触ること
デリケートな問題であり、自分の立場的にも触れなかった問題だが、
ちょうど今酔っ払っているということを理由に書いちゃう。
なので、明日には違う見解かもね(笑)。
「生物に触ること」
指導団体やらピースでエコな団体の洗脳が効を奏して、
ダイバーはすっかり「生物触っちゃいかん」というマインド。
正直に自分のスタンスを表明するなら、
“触っていい”でも“触っちゃいかん”でもなく、
“まあ、触らないでおくか”。これは単純に職業的理由だ。
少なくとも「かわいそう」だなんて死んでも思わないし、
ウミウシを触ったことに怒り狂う人を見ると、若干ひく。
そんな触る触らないを超越した取材での話。
怒る人もいるかもしれないけど、僕は心の底から笑った。
そのダイビングエリアの母体は漁協。
つまり、船長も漁師ならガイドさんも地元の方。
その海のウリのひとつはネコザメだった。
しかし、取材に限っていなかったりする(泣)。
焦る僕を見て、漁師さんたちは不憫に思ったのだろう。
ダイビングスポットに行く船上。何やら大きなバケツがある。
中をのぞくと、ネコザメが4尾。
も、もしや!
僕は船上であれこれ考える。絵はほしい。でも、いいのだろうか。
そして、スポットに到着すると、
ガイドさんが「さあ行こうか!」とネコザメを右手に2尾、
左手に2尾持って、マスクの後ろと前を押さえながらジャイアント。
ネコザメがピチピチ跳ねながらも、気にせずジャイアントする
ガイドさんのものすごいシュール(?)な絵に僕は大笑い。
漁師は豪快だ。そして、人と魚との生々しい距離感を思い出させてくれる。
漁師にとって、ネコザメはただの駄魚だ。それ以上でそれ以下でもない。
エントリー寸前、他のダイビング船が近づいてきたので、
「ヤベー、早くエントリーして〜」と焦る自分の小ささが情けない。
ガイドさんに少し遅れて水中にいくと、
先に着底したガイドさんが水中で何やら手を振り下ろしている。
見ると、ネコザメの頭を石でガンガンたたいている。
船上に上がった後に話を聞くと、
「岩でぶっ叩くとよ、脳震盪起こして、しばらく動かなくなるんだよ。
ガッハッハ。それに、しばらくすれば正気になって海に逃げていくしな」
水中をふらふらしながら海に帰っていったネコザメを思い出し、
もう何だか笑うしかなかった。
自らこれをやることはまずないだろう。しかし、郷に入れば郷に従え。
漁師さんたちを批判する気はまったくなく、笑い転がるだけだ。
そもそも、それで成果をあげた自分に批判する資格はない。
まあ、これは極端な話だが、言いたいことは、
リアリティのないヒステリーは気色悪く、
“触る”ことはとても大事なことだということの2点。
ザリガニを手で捕まえる。カニを爆竹で破壊する。
子供のころに残虐性を発揮して、親にぶったたかれた僕の貴重な体験。
磯遊びの基本も捕まえて触ること。
セックスだって触覚と嗅覚がリアリティを生み出す。
エロ本見てシコシコして、それじゃ生きていない。
指導団体が言う「ダイバーだからこそできる海の啓蒙活動」。
なんたる詭弁。サンゴ植えてダイバーっていいことするねって、アホかっ。
ダイビングは人間様たちが楽しみたいから潜っているに過ぎない。
そして、リアリティの肉付けは客観的数値。
そこを踏まえたうえですべてが始まる。
酔っ払っているので、多少の支離滅裂はお許しを。