YoYochu 〜SEXと代々木忠の世界〜
ドキュメンタリー映画「YoYochu〜sexと代々木忠の世界」を観てきた。
http://www.yoyochu.com/
彼のチャネリングSEXがテレビでもてはやされていたことは、
子供過ぎて記憶にまったくないが、
彼が撮った日比野達郎や加藤鷹があえぎながら痙攣している映像は
頭の中に鮮明に残っている。子供心にインパクトがあったのだろう。
彼をひと言で表すなら、
「オカルトを自在に使いこなす優しい任侠」といったところか。
セックスというテーマを掘り下げるというより、
ポルノから始まるAVの歴史を駆け足で見ていくといった映画。
セックスなくして文化は語れないわけだから、
自分の生きてきた道を確認する上でも見ておいたほうがいいかと。
「歴史、戦争を知らずして己を知らず」というがAV史も同じ。
割と女性の客も多く(僕も女友達が一緒)、女性専用席もあるのでぜひ。
sex自体に迫ろうと思うなら著書の方がいいと思うけど。
映画自体の話からは離れてしまうけど、映画を見て思ったのは、
僕らの世代はかなり即物的なAVの見方をしているなぁということ。
ビデオを最初から最後まで通しで見るということはなく、
いわゆる〝ヌキどころ〟しか見ない。
ゆえに、巻き戻しを忘れた友達からビデオを借りると、
友人のヌキどころがわかってしまい、
「あいつ、ここかよ!」とお互い恥ずかしい気持ちになったり(笑)。
しかし、昔の人たちは映画館で見るという事情や隠された部分が多いことから、
感情移入し、想像をかきたてつつ、ストーリーに合わせて興奮。
さらに、映画館で観たことを記憶にとどめ、
家に帰って映画を思い出しつつやっと思いを果たす。
僕らがすでにベットの上で何かをにぎっているころ、
彼らは映画館で手に汗にぎっているしかなかったのだ。
こうした世代間ギャップを表す実体験がある。
「インターネットの履歴を見られてかみさんに叱られる」との理由で
エッチな画像が見られないと嘆く大先輩カメラマンのため、
僕は必死に動画を集めた。
厳選を重ねたあらゆるタイプのきれいな女優さんたちのSEXシーンのみの
モザイクなし動画をCDに焼き、
奥さんに怪しまれないようCDに「パラオの美しい海」と書いて渡した。
後日、そんな寺山スペシャル・オムニバス動画を見たカメラマンが言った言葉は、
「全然、つまらなかったな。あれじゃあ、ダメだ」。
あなたの喜ぶ顔が見たかったのに……。
「あ、あれ以上のクオリティを求めるというか!」と思ったが、
そうではなくて、想像をかきたてられるようなストーリーがないとダメだと。
そして、見えすぎてはダメだと。パンチラが一番だと。
パンチラが一番。なんと豊かな心だろう。
大丈夫か、俺(笑)。ふと我に返ってしまったが続けよう。
「エロはほんの一歩先にある浪漫である」とは、
昭和の大詩人である、と思いこんでいるとある肉屋のせがれの言葉だ。
パンティーの一歩先にある「パンティーを脱ぐ」ことが最高のエロで、
パンティーを脱いでる行為を見ている瞬間は「ぬお〜〜」と一番興奮し、
脱いでしまったら一気につまらなくなってしまうのだ。
パンティーの先にあるモザイクの世界で育った僕らの世代の浪漫は、
モザイクの先にあるモロ出し映像で、
初めて見たときは衝撃が走るどころか吐き気がした。
しかし、今やモロだしが当たり前になってしまっている現代の子は
何に浪漫を感じればいいのだろう……。
と思っていたら、あるんですね、その先。
昨晩、テレビの世界が長い作家さんと
映像の最先端をいく方々と飲む機会があったのだが、
3Dの世界が何だかとんでもないことになっている。
よくわからんが、ただ立体的とか飛び出すって次元の話じゃないんですね。
その技術がAVに使われれば、もはや想像力なんぞいらない。
かつて〝その先〝を見るためには、
一番面倒くさい現実の女性にアタックするしかなかったが、
ここまでいくともうリアルはいらない。行きつく先は「狂四郎2030」か。
想像力を培い、現実への対応力を身につける。
そのためにはどうしたらいいか出した結論は、
もうエッチな映像は見ないことにしよう(可能な限り)ということ。
タイミングよく、もう長いこと見ていないので続けよう。
映像なき想像orリアル。よし、この二者択一でいこう。
と、一緒に見にいった同居人が言っていました(笑)。
俺は下ネタ嫌いなのに。もう。
最後にダイバー予備知識。
映画の後のトークショーの二人、
バクシーシ山下とカンパニー松尾の師匠である安達かおるは、
ダイビングのインストラクターでありパラオで水中セックスを撮った人。
カンパニー松尾さんと
俺って男優っぽいかも……