水中ご遺体捜索ドキュメント 陸上編
■撮影/石丸智仁
※水中ご遺体捜索活動について→こちら
■「実際に見る」ということ。
2011年5月29日(日)。東京・渋谷からおよそ470km。
東京から福島の、さらに倍近い距離を車で飛ばしておよそ8時間(通常10時間)。
岩手県の山田町へ。
花巻JCTから津波被害のあった海側に地域へ向かってひた走る。
しばらく被害は見当たらないが、ひと山越え、
鵜住居川にかかる日野神橋を越えると様相が一変する。
報道で見たままの様子が目の前に広がっている。
「報道で見たのと、実際に見るのとではまったく違う」とよく言われるが、
「見聞きしたとおり」というのが正直な第一印象。
これは情報が少ない時に先陣を切って乗り込んだ方々が、
「実際に見るとまったく違う」と言って、どう違うのかということを
臭い、音、感触を言葉で丁寧に報告していただいていたからだと思う。
「見るのと聞くのでは大違い」
この言葉を聞くたびに、行かない人を少し責めるようなニュアンスを感じていたが、
少なくとも3ヶ月経った今、報道と信用する個人の情報を併せ見れば、
おおよその状況は把握できる。
皆、行くのと見るのとの違いをことさら強調するが、
ネットが普及しつつある今、逆に行くのと見るのとの急接近ぶりを感じた。
また、〝身近な人に迷惑をかけてまで、行くことが大事なのか?〝
〝ただ行くことではなく、何ができるかが大事〝
そんなことをあらためて考えさせられた。
※
沿岸をさらに北上して山田町を目指して走る。
ほんの少し前までいた渋谷と、目に入ってくる瓦礫の山のギャップを
埋めるものが何もないので、どこか現実感がない。
瓦礫でパンクの心配をしたり、人々が炊き出しをしている光景
を見たりすれば現実感も出てくるのだろうが、
道路はきれいに舗装されていて、瓦礫の中を穏やかに犬の散歩をしている人もいる。
焼け野原のような光景の中、まるで危険のない状態で、
舗装されたきれいな道路を走っていると、語弊があるかもしれないが、
テーマパークにいるような感覚さえしてくる。
現在、興味本位の見物人が増えているらしいが、
当初、僕も被災地を体感するだけでも大事なことだとは思っていたが、
現地をただのテーマパークにしてはいけない。
確実に被災地のためになることができる人だけが行くべきだ。
※
山田町に到着。やはりここも被害は甚大だ。
頼りない堤防を挟んですぐ海に対峙する町は、津波に飲みこまれてしまった。
これでもかなり復旧したという。
やはり、きれいに舗装された道路を走りながら目にする光景に現実感が湧いてこない。
■災害ボランティアの暗部。
山田町の災害ボランティア支援センターに到着し、先発隊と合流する。
今回の水中ご遺体捜索活動で同行するのは、
そもそもこのエリアで活動を始めた大坪俊彦さんが呼びかけ集った仲間たち。
大坪さんがNAUIのコースディレクターだったためかNAUI仲間が集まっている。
メンバーは、「シーメイド」の太田樹男さんと三瓶厚太郎さん、
「ダイブキッズ」の山崎良一さん、「海心」の高野修さん、そして我々。
※
合流していきなりボランティア活動の暗部に触れることになる。
「正面からの取材が難しい」と聞かされる。
前日も新聞記者が取材できずに追い返されるという事態が起こったそうだ。
現地の方々への配慮であれば納得もできるのだがそうではない。
大雑把に言えば、もともと行政に食いこんでいるNPOがいて、
彼らがすべてを仕切りたく、違う窓口から入ることは許されないのだろう。
大坪さんの意思を引き継いだ太田さんたちは、
「我々は求められたところでただ水中捜索をするだけ」であり、
僕らは「それらの活動を広く伝えて輪を広げていきたい」だけである。
しかし、ここ山田町では取材規制などを含め疑問を感じることが多々。
ただ言っておくと、今回の取材はボランティアやNPOの問題がテーマではないし、
するつもりもない。また、1日で把握できるものでもない。
人が集まれば主導権を握りたい人が出てくるのは常であるし、
長く運営していくためには募金のための広報活動も大事だろう。
こうした問題は各地で起こっているようで、
こんな時に、と思わざるを得ない、なんだかな〜な現実だ。
大坪さんや水中ご遺体捜索の方々から聞いた情報で、
僕なりに問題点の感触をつかんだが、批判されるべき対象への取材もしていないし、
テーマでもないので、ここでは控えようと思う。
ただ、きれいごとでは済まされないボランティアの暗部を覗き見た思いだ。
「水中を捜索してもらいたい人がいて、水中を捜索する人がいる」ことを伝え、
活動の輪が広がる可能性を探りたい。これが僕の目的だ。
ここに忠実になろうと自分に再確認する。
しかし、取材班としては潜れないようで、身元を隠して取材することになる。
もう一度言っておくと、現地への配慮からの取材規制ではない。
つまらない政治的な規制である。
そんな状況にもかかわらず、「現実を伝えたい」という思いの捜索隊の面々には、
完全サポートしていただいた。
※
当初は、カメラマンが一眼レフ・カメラを持ち込むのもNGだったが、
それでは仕事にならない。そこで、記録係というかカメラ好きというか、
とりあえずなんやかと理由をつけて持ち込むことに。
僕もただの捜索ダイバーの一員として同行することになるが、
どう見てもカメラマンはカメラマンであるし、
ペンとノートを持ってあれこれ質問する僕は少なくともただのダイバーではない。
というか、Dコミュ・カーを見れば一目瞭然なのだが、
普段はサイトの運営をしているが、今日は捜索メンバーの立場ということで切り抜けることに。
組織に属している人は、個人の思いと組織の思いの狭間で葛藤するのが常だ。
組織は変でも個人は素晴しかったり、個人が変でも組織が健全だったり、
そんなあべこべな話はよくあること。
取材規制をかけてきたNPOの方も個人としてはとても素晴らしい人で、
2カ月前からずっと、主に水面の捜索活動を行っている。
また、給料をもらっている立場上あれこれ監視しなくてはいけないのだろが、
基本的にはこちらの面々とも仲が良く、
どう考えても雰囲気の違う僕らを訝しがりつつもとりあえず受け入れてくれ、
お目こぼし的な微妙な立場でありつつも、とりあえず捜索開始となった。
※奥歯にモノが挟まったようなレポートで申
し訳ないが、
今度、参加・取材するときにはボランティア活動もサブのテーマとして取材しようと思う。
(水中編に続く)