新年の抱負
あけましておめでとうございます。
辰年にちなんでタイガーテールシーホース
昨年を振り返り、新年の抱負を。
■震災とダイビング
2010年を振り返れば、やはりまず思い浮かぶのは3.11の東日本大震災。
「自分に何ができるのか? すべきか?」「メディアとして何ができるのか?」
「そもそも、こんな時に潜っている場合か?」と右往左往し、その後、大きな虚しさに包まれた。
震災からおよそ1週間後、そんな虚しさの中、
「自分は潜ることが仕事じゃないか」と思うに至り、
エイヤと重い腰を上げて大瀬崎へ潜りに行くことにする。
電車の中は、放射能から逃れるため大きな荷物を持って西へ逃れる多くの人々で、
ダイビング器材を持って潜りに行く者など自分ただ一人。
たまたま向かい合わせに座った男性はそれこそ大阪に逃げる途中で、
政府や東電が隠している情報の恐ろしさを深刻な顔をして教えてくれたが、
僕が潜りに行くと知って「へぇ……」とキョトンとしていた。
大瀬崎に到着するとダイバーの姿は2〜3人で、
その前の1週間、ゲストは1人もいなかったらしい。
そして、いざダイビング。
この日の、大瀬崎でのダイビングは忘れられない2本となった。
1本目は、ただただ水の中が気持よく、
カメラを持って潜った2本目は、撮影に没頭。
大きな解放感に包まれ、何もかも忘れ、やがて心の澱は水に溶けてしまっていた。
ダイビングがあって良かった。
理屈抜きに、ダイビングの持つ力を実感。
昨年は、全体的には潜る意欲が減ってしまった1年だったが、
今年はダイビングの力を信じ、たくさん潜り、その素晴らしさを伝えていきたい。
そして、微力ながら、復興のためにできることを引き続きやっていこうと思う。
■ダイビング・メディアとして
一色さんと話していたときに言われたことがある。
ダイビング・メディアに足りないのは「次はどうなる?」のワクワク感。
多くのダイバーによく言われることがある。
「海や生物の紹介だけじゃつまらない」。
ダイビング雑誌では広告収入の受け皿としてエリア特集がメインとなり、
それがダイビング・メディアの基本の収益モデルとなっている。
それは広告収入ありきなので、マンネリやダイバー目線不在を生んで、
読者に飽きられてしまっているということだろう。
そういう意味で、昨年は、感動のフィルターを通して海やダイビング見る、
伝えることの大切さを痛感した1年。
また、その芽が見えてきた年でもあった。
昨日の記事、「アクセス人気ランキングTOP10」がそれを教えてくれている。
http://diving-commu.jp/divingspirit/item_6249.html
一色さんの小説「シューボコ」は、人との出会い、そして
そこから生まれる感動というフィルターを通じてダイビングを見つめている。
ダイビングに出かけても海の中にいるのは2時間にも満たない。
それはかけがえのない時間だけど、
陸上にいて人と出会っている時間も実はキラキラ輝いていて、
それこそダイビングの魅力だともいえる。それを圧倒的な筆力で伝えている。
モノ書きとして感動させることができない僕は、
笑いという感動のフィルターを通して、ダイビングを見つめようとした。
それが水中ヌード企画や潜入レポート企画。
それに、サイトならではの「次はどうなる?」のハラハラ感もくわえた。
これらのアホ企画、本人はノリではなく結構、大真面目(いや、ノリが半分かも・笑)。
「この海はこんなにきれいで、こんな生物が見られて面白いんです!」
ってことはもはやみんな知っているし、おもしろくないから、
「水中ヌードで感動のフィルターを作ってからこの海の素晴らしさを伝えよう」
という無茶な提案に乗ってくれただけでなく脱いでくれたガイドさんたちに感謝したい。
来年も脱ぎましょう(笑)。
そして、1位の地震・津波関連記事や潜水事故など、
ニュース性や物語性のあるものも軒並みトップ10にランクイン。
ジャーナリスティックな視点、感動で海を見つめることも
やはり大事だということを教えてくれる。
つまり、ダイビング・メディアには、ライターや編集者はいても、
こうした感動を生みだす記者、評論家、作家、タレントといった発信者が求められていて、
逆に言えば不在だったとも言える。
一色さんという本物の作家とお仕事をさせていただき痛感した。
もちろん、僕らがこれらをすべて自分たちでできるわけがなく、
こうした役割を意識しつつ、編集者として、Dコミュ隊員や各専門家に助けを借りながら、
今年1年、感動の熱量を上げ、フィルターを増やし、外に向かい、
“「ダイビング・ドット・コミュ」でしかできない企画”にこだわり、
海やダイビングを紹介していきたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
編集長テラ