御蔵日記② イルカという厄介。
さて、スキャナーの機嫌も直ったことだし、
いよいよイルカの画像をアップ。
しかし、何を書けばいいのだろう。
というのも、イルカってのは、語り尽くされ、
そして、撮られ尽くされた感がある。
何十回もイルカの記事を書いたり、
グラフを組んできた自分としては、
イルカというのはなかなか消化不良な存在。
何ていえば言いのだろう。
大仰に言うならば、
イルカはすでに権力者なのである。
権力者というのもは褒めても何もおもしろくない。
さらに、権力者に迎合して、
自分の権威を上げるのはもっとおもしろくない。
例え、権力者が本当にすばらしくても、だ。
なので、イルカがかわいいとか、イルカが好きだとか、
正面きって言うのは、僕にとってはちょっと恥ずかしい。
言うけど。
とあるヤサ男が、
「イルカってかわいいんだよね〜」と白い歯キラリと
女の子に話す。
女の子は「私も一緒に泳ぎた〜い」と目をキラキラさせる。
そこには「ケッ」という空気がまとわりついている。
イルカはもうイルカ以上に人間界ではイルカな存在なのだ。
なんのこっちゃ。
なので、自分がイルカの写真を撮って、アップして、
かわいい〜だなんてやるのはクソおもしろくもない。
需要に応える雑誌ならまだしも。
というか、自分の写真がクソおもしろくないのである。
イルカがばっちり写っていて、まあ構図もキマってはいる。
しかし、だから何だという写真。ありふれた写真。
これでいいのか、俺! という気分。
いいんだけど。気負うな、俺。
次回、御蔵島に行くときは、もっと写真に意図を反映したい。
イルカを題材にして“かわいい”がテーマはもうつまらない。
今度撮るなら、例えば、牙を剥いたり、
他の生物をいたぶったりするイルカの残虐性を撮れたらいい。
もしくは、食文化としてのイルカとか、
人間の内面を映し出すのにイルカを使うとか。
ドルフィンスイムとイルカ漁という対比も魅力的だ。
なぜ、そういう写真をカメラマンが撮らないのか
不思議でならない。
イルカをかわいいという記号だけでとらえるのって、
もうつまらないと思うのだが。
イルカがかわいいという価値が生まれたのは、
最近のことだろう。
イルカの語源は“チノカ(血臭)”という説や
イルカの“カ”は「食用獣」という説などあるが、
いずれにせよ、
昔はイルカは完全に食料とか害の生物という立場で、
今のような親しみ深いイメージは皆無だったのだと思う。
“イルカ=かわいい”は普遍的ではない。
時代の価値観なんていい加減なもの。
だからこそ、かわいい以外のイルカの写真が見てみたい。
というのは、
編集者とかライターとかそういう目で見たときの話。
自分と絶対王者イルカとのスタンスの問題でもある。
誤解なきよう言っておく。
実際に会うイルカはとてもかわいい。
一緒に泳ぐのはとても楽しい。
そして、かわいい写真を撮るのは素敵なこと。
しかし、それはもう誰もが知って、
誰もがやっていることだなぁと、
表現者でもないくせに、
たまにそんなことを思ってしまう
天邪鬼がここにいるだけの話。
イルカは僕の中でとても厄介な存在だ。
といいつつ、また9月に会いに行く。
かわいい写真のストックも足りていないし、
作品も撮りたいし……。むぅ。