健全な魂
今日は久しぶりのジム。走って筋トレして泳ぐ。
体を動かすと気持ちスッキリ。気分シャッキり。
「健全な魂は健全な肉体に宿る」
中学時代の剣道部顧問がよく使っていた言葉だ。
身体をとにかく鍛えよと、その肉体美を見せびらかされていた。
高校時代までヒョロヒョロだった自分(ちなみにウエスト58㌢!)にとって、
この言葉は何だか嫌な言葉だなぁとコンプレックスの元にもなっていた。
しかし、少し前にネットでこの言葉の本来の意味を知り、なるほどと思った。
この言葉は、ローマ時代の詩人の言葉で、
本来の意味は「健全な魂が健全な肉体に宿ることを祈る」。
つまり、実は中味のない筋肉バカを皮肉るためのものらしいのだ。
確かに筋肉ムキムキは主食が鼻クソのような印象を受けるし、
ヤセマッチョ狙いはセコイ人間の気がする(ちなみに僕はここに所属)。
むしろ身体に不自由がある人にこそ健全な魂が宿るような気さえする。
そのサイトでは、この言葉は、本来の意味を変えられて、
ナチスの強兵スローガンに利用されたとも言っていた。
ビルドアップされた自分の肉体に自信を持ったり、
悦に入るのはいいことだと思うが、それは健全な魂ではない。
むしろ魂の偽装とも言える。拠りどころが肉体の人は魂が脆い気もする。
つまり、本来の言葉の意味を変えてもいいが、
僕が嘘くささを感じていたのは、“健全な魂”が言い過ぎなためだ。
やっぱり昔の偉人は偉人だった。
“健全な魂は健全な肉体に宿る”なんてバカげたことを言うはずがない。
これはどちらかというと鼻クソ寄りの人たちか、
“人の命は地球より重い”とかいうエセ教育者の言葉であろう。
長年の釈然としない思いを教えてくれたこのサイトに感謝。
どう考えても健全でなかった先生を思い出しやっと納得。
とはいうものの僕はたまにではあるが身体を鍛えているし、
良いことだとも思っている。なぜか?
根本的な話になると、
動物である以上ビルドアップされた身体の方がモテるとか
イントラとしての職業意識みたいな、
つまり、色と金の話に尽きるのだが、もっと単純な理由を言えば、
テンションが上がる
のだ。
冒頭に言ったようにスッキリして気持ちがいい。
運動は、その過程でテンションが上がり、
いい身体は異性と抱き合う時にお互いテンションが上がる程度。
決して健全な魂なんぞ宿らない。健康な人が健全な魂を持つというのは嘘だ。
つまり、変えられたことわざを現実に戻せば、
「健全な肉体は何だかテンション上がる。ヒャッホーィ」
が正しい。
全国の教育者には、この正しいことわざをぜひ普及してほしいものだ。
もちろん、テンションが上がる分、肉体は鍛えた方がいいとは思うし、
“ダイバーだってカッコイイんだぞ計画2008”を主催する身としては
メタボは敵。イントラがメタボだなんて、何だかなぁである。
太陽系方面担当副部長さんのブログで、
温暖化を地球のためではなくかわいい白熊ちゃんのために、 と言っていたが、
“地球”とか“健全な魂”とか得体の知れないものを相手にするとことは進まない。
そういう意味では、ダイビングを始める動機が、
「母なる海に包まれて……」なんて言ってないで、
「かわいい子とセックスしたい!」だっていいのかもしれない。