ダイバーによる支援物資お届けの報告とお礼
ダイバーの皆さんにお願いした味噌と扇風機をお届けしてきたのでご報告します。
そもそも「TSUNAGARI」という団体が行なっているこの活動に参加するきっかけは、
代表のかっつん(勝又三成)がダイバーという縁。
■かっつんのブログ→こちら
かっつんと仲の良い「マリング」のしのっち(東忍)が、
僕と「ダイビングショップ海好き」の福ちゃん(福田航平)とかわっきー(川崎寿一)に声をかけ、
ダイバーにご協力いただいた物資を現地にお届けしようということになったのだ。
震災後からかっつんの活動には注目していたが、
本音を言えば、「大丈夫かいな?」「何をしているんだろう?」と少し疑問の目を向けていた。
というのも、仙台出身のかっつんは、震災直後から行動開始。
炊き出しから物資応援まで、行政も自衛隊もなんのそのでズンズン現地に入っていく。
ブログを見ていて、「今、しかるべき団体を通じずに行動を起こすのは
むしろ良くないのでは?」「大丈夫なのか?」などと思っていた。
しかし、現地に行って、かっつんたちの活動の成果を目の当たりにすることになる。
※
まず、呼びかけに応えて味噌276.5キロ、扇風機29台が集まる。
北海道から沖縄まで全国各地からダイバーたちが郵送、もしくは直接届けにきていただき、
条件の味噌200キロ、扇風機20台を大きく超える。
個数や量を目標ではなく条件というのにはわけがある。
というのも、お届けする避難所にいる被災地の方々すべてに行き渡るようにするためで、
避難所の人数、あるいは世帯数分がないとお届けしないのだ。
これは行政なども同じ理屈なのだが、あちらはさらに大きな規模での平等を求め、
さらに書類上の手続きなどがあって物資が滞ってしまう。
逆に小さい団体の草の根ボランディアのほうが、
少ない物資をピンポイントでお届けできるという現実があるのだ。
※
「マリング」にて仕分け作業後、「ダイビングショップ海好き」の車に積み込みおよそ4時間。
かっつんの住む仙台に到着し、かっつんと行動を共にし、
毎週のように現地を訪れているやはりダイバーのひでろ〜さんと合流。
まずは、近くの倉庫へ。
倉庫にはいくつかの支援団体の物資が、
「必要なものを必要なだけ」のコンセプトで集められている。
たとえ善意であっても求められないものを送ってもゴミになるだけ。
その最たるものが冬服であるという。
フィンランドからの物資
倉庫から必要な物資を積み込んで南三陸町へ。
仙台からおよそ1時間半。今さら僕が説明するまでもなく、
南三陸町は報道通りの惨状。
しかし、当初に比べればだいぶガレキは片付いている印象。
かっつんの印象的な言葉。
「ガレキを歩くときは、人様の土地を歩く気持ちを持たねばならない」
「被災地の方に“がんばって”は禁句」
高台にある老人ホームでも人の身長を超えるほど浸水。
天井とのわずかな隙間のおかげで生き残った人も少なくないという。
引き波の強さを物語るように、海辺の木々は海側に向かって倒れている。
なぜか、1本だけ無事な木。
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政治的な思惑や地理的な事情によって今でも避難所格差があり、
行政の網の目からこぼれた場所を中心に物資を届ける。
まずは、南三陸町の歌津・馬場中山の避難所へ、
味噌を200キロ、扇風機3台、栄養ゼリーなどをお届けする。
当初、ここに220人が寝泊りしたという
印象的だった被災者の言葉は、
「ここまでやってこられたのは、99.9%がボランディアのおかげ。
行政は何もやってくれない」
そして、お母さんたちは元気にふるまっているがとても疲れた表情をしている。
かっつんに聞くと、毎日、少ない物資で食事と洗濯を回さねばならず、
働きづめなのだという。
「食料はもう足りているだろう」と炊き出しも少なくなってきているが、
こうしたお母さんやボランティアのための炊き出しも大事なのだという。
「冗談抜きに、炊き出しスタッフのために炊き出しもすごい喜ばれるんだよ」とかっつん。
※
次は歌津・泊浜の避難所へ、味噌50箱をお届けする。
芸人仲間も多いかっつんはこうした笑いのケアも行なっていて、
「こんなに笑ったの久しぶり」と感謝されている。ちなみに、
アントキノ猪木の「義援金があればなんでもできる」は鉄板で笑いが起こるそうだ(笑)。
ここではじっくりと生々しいお話を聞かせていただくがどうにも所在無い。
かっつんが築き上げた関係にポッと来た僕が土足で入っていく申し訳なさと、
切なる訴えかけに対してあまりにも自分は無力。
それはともかく、とにかく物資が届いていない現状や
1日中水を汲み続けなければいけないといった現