ヘッドラインHEADLINE

そもそも日本のダイビングにはバディシステムが合っていない?という斬新なお話~編集長・多事総論~閲覧無制限

カテゴリ:
徒然コラム

セブ島の魚の群れとカメラ女子ダイバー(撮影:越智隆治)

先日、日本最高峰のテックダイバー、田原浩一さんとお話する機会がありました。

刺激的な話がいくつも出ましたが、ダイビングの根幹を揺るがす話として興味深かったのが、「今のレジャーダイビングのスタイルにバディシステムは合っていない。意味がない」というお話。

え?

ダイビングの基本といえばバディと誰もが思っていますが、日本のダイビングスタイルに合っていない、意味がないとはこれやいかに?

“バディシステムに意味がない”という言葉は、「そんな“形だけの”バディシステムでは意味はないよ」という、ある意味、昨今のバディをないがしろにする風潮に対する警告というか、啓蒙のように使われている言葉だと思っていて、最初はそうした文脈だろうと聞いていたのですが、田原さんの話をよくよく聞いてみると、言葉通り、“合っていない”し“意味がない”と言っているのでした。

つまり、“レベルの高い安全性”の確保のために考えられたバディシステムを成立させるためには、バディがひとつのチームとして共通の目的を持ち、常にバディシステムが機能する状態を保ってダイビングを行うことが必須。

同じライン上を、互いにライトによる状況確認を行いながら行なうケーブダイビングや、海猿がチーム&バディで協力し合って人命救助をするとき等、バディは、リスクマネージメントの要としていつでも機能できる状態であり続けることが必要なのです。

そうでなければ、その活動は、万一のトラブルやアクシデントがあった際、基本一人での対応、解決が必要となる可能性を秘めたものとなりますから、一人での対応、解決が可能となるような装備(バックアップ)や、そのためのスキルの習得が不可欠となるはずです。

一方、昨今のダイビングは“海を楽しむ”という、例えば、フィッシュウオッチングや写真撮影がメイン。

これらは、真っ暗な閉鎖環境がフィールドのケーブダイビングとか水中の救助活動等のようにダイビングに潜在する危険というものを実感しにくい活動で、また、その楽しみ自体、バディのサポートや協力が不可欠というものでもありません。

そう考えると、“バディシステム、バディへの意識”へのフォーカスは、むしろ、気を散らす要素と感じれがちです。

そもそも、個々のダイバーが魚の発見や観察に熱中している時、互いが自身の写真撮影に没頭している時、バディ間の距離が遠い時、バディが視界から外れた位置にいる時等のバディは、その存在感自体が希薄となりがち。

バディの存在感が希薄なら、当然、バディシステムがリスクマネージメントの要とは言えません。
しかし、そんな時でもトラブルやアクシデントが起こらないと保証されているわけではないのです。

なので、よくガイドに付いていくだけの日本のダイビングスタイルは“金魚のフン”と揶揄されることがありますが、ガイドが、常にゲストを気にかけている点、目的(生物とか撮影とか)に合った深い知識や方法論を持ち合わせている点では、実はかなり合理的で、リスクマネージメントが不完全なセルフダイビングよりよっぽどリスクの低いダイビングを可能にしやすいと田原さんは言います(ガイドの責任過多という別の大きな問題はありますが……)。

バディシステムよりソロダイビングの方が安全?

そういう意味では、PADIのマニュアルが変わり、しっかりバディ同士で潜れるよう見直される流れがありますが、そもそも、バディシステムが今のダイビングに合っていないのであれば、ガイド付き(アシスタント付き)のダイビングを前提としたダイビングスタイルを突き詰める方向もありだな、などと考えてみたり(コストの問題などの問題がありますが……)。

田原さんは、今のようにパーソナルなテーマや楽しみを追求するレジャーダイビングに最もマッチしているのは“ソロダイビング”だと言います。

ソロダイビング=単独潜水というと、その語感や、これまで絶対やってはいけないと言われていたことへの抵抗感、テックダイビングの領域のハイレベルで特殊なダイビングを想像しがちですが、よくよく話を聞いてみると、トラブルやアクシデントを自分自身で解決可能な装備やスキルを備えたダイバーによる、「自己完結が可能なダイビング」といった意味のようで、海外には、一般のレジャーダイバーを対象とした、教育プログラムとしのソロダイビングというステイタスもあるそうです。

いずれ田原さんが詳しく語ってくれるとは思いますが、少なくとも、ソロダイビングについて、どんなものであるかは伝えなくてはいけないと思いました。

ページトップへ