イタリアンレストラン発祥の地!? @辺野古

Dコミュ愛読者の皆さんこんにちは!

今回は大浦湾の海を撮影する際に情報提供していただくなど、
お世話になっている方が住む辺野古の集落を紹介しようと思う。

人口1,800人程の名護市内の東海岸に面する集落の中では一番大きい町。
そして、名護市から北には各集落に共同売店があるためコンビニが減るのだが、
国道沿いには唯一のコンビニエンスストアーがあり、
国立沖縄工業高等専門学校などの大きな建物もある。

一歩住宅地に入ると素朴な場所だが、戦後、アメリカ軍基地キャンプシュワブと共に栄えた町でもある。

  

今から45年程前はバーや飲食店、米兵向けの土産店などが100件ほどあり、
那覇の繁華街(現在の松山周辺)よりも栄えていたという。
そして、朝、バーの前には米兵が落とした小銭を拾いに子供達が集まっていたという。
今でもアメリカの地名が付いた看板や横文字の店名の跡が当時の面影を残している。

しかし、その景気も固定相場だった1ドル=360円から
1971年の『新経済政策』以降1ドル=308円になり、
後に変動相場制になって円高が進むに連れて
利用する米兵の数が減少を始めると店の数も減っていく。

15件あった飲食点の中、現在1件だけ営業を続けている
『イタリアンレストラン』の当時のオーナー座間味さん82歳に話を聞いた。

創業当時の45年前は未だ日本にイタリアンという言葉が浸透していなかったころ。
イタリア料理のブームは1980年代からなので、
沖縄のこの店が日本で初めて“イタリアンレストラン”という言葉を使った発祥の店ではないかと連想する。

しかし、店内に入りメニューを見ると、どこを探してもイタリア料理が無い。

あれ?と思って話を聞いてみると、
当時はピザとナポリタンがセットでよく売れて米兵に大盛況だったという。
店内にその面影が残っていた。

座間味さんは約30年間店を続け、今から15年ほど前にオーナーが変わった。
時代の変化とともに客層が米兵から地元の人たちに代わり、
なぜか沖縄の人たちには人気がなかったピザとパスタはメニューから外して営業を続けているそうだ。

沖縄の食生活が変わりつつある今、当時の味でピザとパスタを復活してほしいと願っている。

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